Go Forward

国際日本学部

「和食は、WASHOKUとなりえるのか:日本食文化の世界発信をめぐる学際的日本研究とその実践」(眞嶋ゼミによる文化庁との連携プロジェクト成果発表③)

2023年11月21日
明治大学 国際日本学部

文化庁内の施設見学文化庁内の施設見学

屋外での取材風景屋外での取材風景

取材終了後の記念撮影取材終了後の記念撮影

眞嶋ゼミでは、昨年度から、2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された和食を巡る保護と振興を目的とした文化庁との連携プロジェクトに着手し、在日米国人建築家ジェームス・ランビアーシ先生へのインタビューを行いました。その取材を通じて、日々暮らしているだけでは気づくことのなかった日本の特異性について知り、食だけでなく、日本における多くの問題は有機的に繋がりあっているという大きな気づきを得ました。眞嶋ゼミでは、研究成果報告としてこれらのプロジェクトから見えてきた日本についての記事を3回にわたり挙げていきます。今回は3回目の最終回です。

前回記事:「和食は、WASHOKUとなりえるのか:日本食文化の世界発信をめぐる学際的日本研究とその実践」(眞嶋ゼミによる文化庁との連携プロジェクト成果発表②)

【第3回動画】

 
ランビアーシ先生は、日本の建築の特徴をいくつか挙げてくださいました。
第一に「住宅は使い捨てであること」です。アメリカでは、住宅は中古でも、その歴史的価値やメンテナンス次第で高く値をつけることができるのに対し、日本では住宅も新築、車も新車を好む傾向が強く、特に住宅は中古の一戸建ては壊していく、使い捨ての側面があるといいます。たしかに、「夢のマイホーム」という言葉があるように、結婚し家庭を持って新築の家を買うことが、人生のひとつのゴールのように語られてきました。そのイメージは根強くあるように思われます。

このほか、アメリカと比べて、日本では家に人を招くことにそれなりのハードルを設けられていると思います。アメリカではホームパーティーをはじめとした立食型パーティーや着席型の食事会がしばしば開催されますが、日本で一般的な暮らしをしている人がそうした会に参加することは殆どないでしょう。そこからはパーソナル・スペースの違いに加え、日本人にとって家が極めて私的な空間であるという強固な内外意識も見えてきます。

ではなぜ、日本の家はこうも閉ざされた私的空間と化しているのでしょうか。

そこには、生活に根付く心性をも反映してか、日本の建築方法にも表れていると考えられます。ランビアーシ先生は、アメリカの家は外側から作る一方、日本の家は内側、つまり人の動きの部分から作ることが多いといいます。日本の家はより暮らす人に合わせて作られていると考えることができるのです。しかし、私的であればあるほど、それは閉鎖性を伴うものとなり、結果として、住宅の構造だけではなく、閉鎖的な家族関係を生むことにも繋がります。家族の閉鎖性は日本における多くの問題の温床になっており、子供に圧倒的な影響を及ぼす食の選択や嗜好傾向だけでなく、親子関係が人間関係の原型となるだけに、封鎖的な環境は望ましくありません。

自分が生まれ育った家庭以外の様々な家庭を見聞きし、関わり合っていくことが、自分の当たり前と相手の当たり前は異なるという事実に気づくきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。また、「夢のマイホーム」とは言っても、その先を想像する人はどれだけいるでしょうか。日本では空き家が大きな問題となっていますが、まだまだ新築を選ぶ傾向は強く残っています。なんとなく・当たり前だから選ぶのではなく、より広い価値観を知りそのうえで選択していくことが、私たちに求められているのではないでしょうか。(眞嶋ゼミ4年 石川明香里)