卒業生の声
宮沢和史さんが、国際日本学実践科目Bで日系移民について話しました
2024年12月10日
明治大学 国際日本学部
宮沢和史さん(サンパウロにて撮影)
今年度の宮沢和史さん(明治大学経営学部卒)のゲスト講義では、音楽家として交流を重ねた、主に中南米の日系移民について、映像や写真、体験談を交えながら、お話ししていただきました。宮沢さんは、THE BOOMの代表曲である『島唄』(1992)などを通して築いた沖縄の人々との繋がりの中から、世界中に多くの日系移民がいることを知りました。そして、ご自身が大きな音楽的関心を抱くラテンアメリカへ、その地の音楽と、そこに暮らす日系人に出会う旅を始めます。たくさんのエピソードの中でも、笠戸丸でブラジルに渡った日系一世の方との面会したことについてのお話は、私にとって、特に感動的でした。
いまでこそ、私たちは自由に海外に渡航し、留学や就業もすることができます。しかし、かつての日本からの移民は、棄民政策という側面も持っていました。見知らぬ土地に渡り、荒野やジャングルを開拓し、懸命に働いた先達の存在を、決して忘れてはなりません。外務省の2023年の統計では、全世界に推定500万人の日系人が暮らしています。宮沢さんは、日系人こそが、日本の未来のために必要な人々だと説かれました。
(兼任講師 原田悦志)
<宮沢和史さんの授業後のコメント>
100年以上前の、しかも遠い遠い国で起きたことを1時間半の授業を通して、自分のこととして捉えてもらえるだろうか?それが自分にとって課題でした。しかし、学生たちは移民たちの物語を自分たちが生きる場所に果敢にも引き込もうとしてくれたようでした。明治大学生たちの問題意識の高さに感心させられました。
宮沢和史
<受講した学生のコメント>
国際日本学部 4 年 坂本憲星
宮沢和史さんの講義の中で「一人一人の人生が日系移民史である」という言葉が印象に残った。以前別の講義で視聴したインディアンに対して行われたインタビューの中で、「17 世紀中ごろから始まりウーンデッドニーの大虐殺を経て今なお残るインディアンに対する処遇は過ぎ去った歴史ではない。今なお私たちの生活に色濃く影響を与える現在進行形の問題である」と語っていたのをその言葉で思い出した。日本人が貧しさゆえに海外に移民として出て行ったのは 20 世紀初頭であり、彼らが現地で暮らし活動した痕跡や影響は、私たちにとって単に歴史の教科書の 1 ページに乗る過去の出来事ではなく、グローバル化する世の中において私たちの生活や社会に現在進行で形作られ多分に影響を与える要素である。移民として外国にわたりかの地で幾重もの大きな困難を乗り越えてきた彼らの血のにじむ苦労と努力で築いた信頼の上で、私たち日本人はその地で安泰に過ごすことが出来ているという事実を忘れてはいけない。
国際日本学部3 年 赤井紀心
今回の講義を受けて、日本にルーツを持つ人々が世界中にいることを実感した。特に、日本からの移民が多く存在するブラジルやアルゼンチンに対しては親近感が生まれ、ぜひそれらの国を訪れてみたいと思った。
私は、これまで移民として渡った人々は、新たな地で生きていくためにその土地の言語や文化を新しく学び、素早く新たな環境に順応していったという過去を持っており、もともと住んでいた土地の言語や文化の記憶は彼らの中からすでに消えてしまっていると思っていた。しかし、実際には、年月が経った現在でも日本から世界各国に渡った移民の間では、日本の歌である「島唄」が歌い継がれていた。この事実は、とても衝撃的なものであり、「異なる国で生活をしていても、日本のことを思いながら生活をしている人が遠い場所に存在している」ということを知り、私は心が温かくなった。加えて、世界各地で行われた日本祭や移民祭の様子を動画で見たことから、移民として生きている人々は、自分たちの生まれた故郷である日本を誇りに思い、日本の歌を歌い続け、離れた土地で日本文化を守り続けているように感じた。
これからの時代は、各国が自分自身の利益のために行動するのではなく、他国のことを考え、協力をしながら行動をしていく必要があると私は考える。その際に、日本と他国との懸け橋となる重要な存在が移民であり、今後、日本人、特に日本政府は、彼らと良好な関係を築いていくべきである。
国際日本学部2 年 瀬尾紗彩
私は、恥ずかしながら⽇系移⺠について歴史上の事実としては聞いたことがある程度で、深く知らなかったため、今回の授業を通じて移⺠の規模感や、その⼈たちの現地での⽣活ぶりについて初めて知ることができました。数々の試練を乗り越えて⽣きてこられた移⺠の⽅々の⼈間⼒や経験には果てしない⼒強さがあり、私たちが現代社会を⽣きる上でのヒント、学ぶべきものがたくさんあるという⾔葉がとても印象的でした。また、移⺠史とは遠い歴史上のことと捉えがちであるけれど、そうではなく、現代にも続くその⼈たちひとりひとりの⼈⽣そのものであるというお話を聞いて、とても史実を近くに感じられた上、100 年ほど前の⽣⾝の⼈たちの声を聞くことができたような気がしました。その背景を知ることで、その⼟地で⻑い年⽉をかけて先⼈たちが築き上げた信頼がどれほどの重みを持つかを理解でき、⾃分はその場でどのように振舞うべきかを⾃分⾃⾝で考えることができると感じました。
今回の授業を受けた上で、宮沢さんの⾳楽を改めて聴いてみると、そのような⼈々の声や⼟地の⾵⼟を元に作られているということがとてもわかりました。「⾳楽は時間芸術であり、⼀瞬にしてその⼈の過去を回想させ、癒し慰めるというすごい⼒を持っている」、「⾳楽は聴く⼈それぞれの⼈⽣と重なる」ということは私も常々感じており、実際に⾳楽に救われた経験もあるため、とても納得することができました。
私は最近、⽬の前のタスクをこなすことにいっぱいいっぱいで、時々どうしたら良いのかわからなくなってしまうことがあります。けれど、そんな⽇々の中で⾃分の好きなこと(歌や⽂章を書くこと、⼈と話すことなど)に⽬をむけ、夢中になれる時間を⽣み出して⼼を豊かにしたいなと思いましたし、「明⽇が楽しみだな」と思えるような毎⽇を過ごせる、いつまでも⼼が若い⼤⼈でありたいなと思いました。
宮沢さんの⾳楽や経験を宮沢さんご本⼈から直接聴くことができるという貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました。
国際⽇本学部2年 シンヒョビン
宮沢さんの授業を受けた際、⽇本近現代⽂学の授業で⼤江健三郎について扱ったのが思い浮かんだ。『沖縄ノート』についても少し取り上げたので、宮沢さんのお話を聞きながら、思わず⼤江健三郎との関連性を考えてしまった。『沖縄ノート』には、戦闘当時、住⺠に⽟砕を強要した⽇本帝国の残酷さや、本⼟の⽇本⼈から差別され、駐留していた⽶軍兵⼠から被害を受けた沖縄の実態が⾚裸々に描かれている。⼤江健三郎は、⽇本社会がこれを記憶し、償うべきだと主張しているだけでなく、⽇本が戦争中に⾏った残虐⾏為に責任を負うべきだと訴えた。アジアで⽇本が犯したことを⼀⽣記憶し、贖罪しなければならないと考えていたのだ。
宮沢さんはひめゆり学徒隊の⽣存者の⽅に出会い、「島唄」を作ることになった。「島唄」の制作についてさらに調べたところ、⽣存者の⽅を通して知らなかった歴史を知り、知ることができなかった当時の教育について疑問を持ったそうだ。つまり、⼆⼈の共通点は、⽇本政府にとって忘れたい記憶であっても、未来を⽣きていくためには、またこれから育つ若者たちのためには、過去を隠さず、逃げずに、正⾯から向き合い、⽣きていくべきだと伝えていることだと思う。
宮沢さんが間接的に戦争の苦しみを経験し、歌を通して戦争に巻き込まれた⼈々の痛みを歌い、その⼈たちに慰めを与えているように、⼤江健三郎もまた⽂学を通じて⽇本の政治や社会問題に対する批判意識を⽰している点が似ていると思った。
授業の後、ずっと「島唄」を聴いているのだが、なぜかサビの部分を聴くと、⼀緒に歌いたくなったり、涙が出そうな気持ちになる。このように感じる理由は、歌に込められた真⼼のせいだと感じる。私にとってこれほど⼼に響く歌が、苦しみを直接経験した⼈々にとってどれほど⼤きな慰めとなったのだろうか、と考えさせられた。歌の持つ⼒は本当に⼤きいと感じる。私も毎⽇⾳楽を聴くが、⾳楽を聴いて気分が悪くなったり、憂鬱になったりしたことは⼀度もない。それどころか、慰めや喜び、楽しさを得ている。
最後に、最も印象に残ったのは、「幸せとは何か?」という問いに対する宮沢さんの答えだった。それは、「明⽇が早く来てほしいと思えること」。つまり、今⽇が過ぎてしまうのが惜しくなく、明⽇が待ち遠しく、楽しみになることだとおっしゃった。実は私は、1⽇1⽇が過ぎていくのがとても惜しく、時間がもう少しゆっくり進んでほしいと思うことがある。しかし、今⽇が過ぎていくのが惜しくないというのは、それだけ今⽇という時間を後悔なく過ごせたからこそなのではないか。明⽇が来るのが待ち遠しいというのは、明⽇も今⽇と同じくらい楽しく、充実した⽇になることを願う気持ちからだと思う。それはまるで、修学旅⾏や体育祭の前夜のようだ。明⽇が待ち遠しいと思える⽇を作ることこそが、幸せの始まりだと考えた。
国際⽇本学部1 年 廣木美乃
今まであまり知ることのなかった日系移民について、各地を巡り、実際に当事者の方々と関わってこられた宮沢さんから貴重なエピソードを直接お聞きすることができ、とても良い機会になりました。
私は、大学受験の際、日本史を選択して毎日のように教科書を読んでいました。しかし、日系移民については備考欄に数行記載されている程度で、その実態について詳しく学ぶ機会はほとんどありませんでした。日本史の重要な一部分であるにもかかわらず、その歴史が深く教えられていないのは、過酷な環境を生き抜いてきた日系移民の方々にとっても、現代の日本人にとっても、とても残念なことだと思います。だからこそ、この歴史がもっと多くの人に知られ、次世代に語り継がれていくことを強く願います。
また、宮沢さんが仰っていた「幸せ」の定義(「「明日が早く来ないかなと毎日ワクワクできる状態」)に強く胸を打たれました。宮沢さんの紡ぐ言葉ひとつひとつが温かく、自然と涙がこぼれてしまいました。この文章を書きながら宮沢さんの講義を思い返し、また胸が熱くなっています…!
この度は、私たちに日系移民の歴史について知る貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございました。これをきっかけに、私自身でも少し調べてみたいと思います。
国際日本学部1年 古野稜汰
日本だけでなく世界でも活躍されている宮沢さんの授業を通して、世界に広まった日系移民の背景と、今を生きる私たちが大切にするべきことを学ぶことができました。まず、私はブラジルに日系の子孫が多くいるのは知っており、その知り合いもいましたが、どのような背景があって地球の真裏に位置するブラジルに日本人が定住したのかまでは知りませんでした。世界史で習う他国のように、新たな領地を求めて、開拓のために派遣された人たちなのかな、と思っていたので、貧困により仕事を求めていた人たちが政府の嘘ともいえる説明の影響で何も知らずに渡航したということを知って、真実に気づいたときは相当ショックだっただろうな、と思ったとともに、彼らのこれまでの努力に敬意を表したい思いになりました。
今私たち日本人が「日本のパスポートは世界最強のパスポート」と呼ばれるほど世界で信用されているのも、このように世界に広がり、努力し、信用を気づいてきた先祖がいるからなのだ、ということを知り、自分も留学に行った際は気づかれてきた信用を壊すことのないよう心掛けるのはもちろん、何か世界のために日本人として貢献したいな、と思いました。
国際日本学部1年 酒井ひなた
宮沢さんの授業を聞いて、私は世界のどの地域にどのくらい移民がいるのかなど詳しく知らなかったため新しい知識を得る良い機会になった。今回は南米に住む日系人の話を聞かせていただいて、まず南米に多くの日系人がいることに驚いた。日本人が出稼ぎのためにアメリカに行っても、日本人が働き者であるためにあまり良い顔をされないというエピソードを聞き、勤勉であることは私たち日本人の良い点だと考えていたが移民として海外に渡ったときに足枷となってしまうことがあると知った。少し昔を生きた人々が文化を受け入れてもらえない苦しい状況を乗り越えて今があるという事実を忘れてはいけないと強く感じた。
現代の移民問題においては日本がどう外国人を受け入れるかについて焦点が当てられているように感じるが、今も日系人の移民については私たち自身が自分事として捉え考える必要があると思った。宮沢さんがおっしゃった「移民の人々にはそれぞれの移民史がある」という言葉がとても印象に残った。一概に移民といってもそれぞれの人が体験したことは異なるし、感じたことも違うため多角的な面から移民史については考える必要があることを知った。そう考えるとさまざまな場所をめぐって音楽で人々をつないでいる宮沢さんのこれまでの活動はすごく意味のあるものに感じた。
国際日本学部1年 成田陽夏
日系人の方々の話を沢山聞いて、私たち日本人はもっと沖縄や日系人の方々についての歴史、そして現在を学ぶべきだと感じた。そして、今日の講義を聞いて日系人の強さ、暖かさに感動した。今の私たちがあることや、ブラジルなどの世界の一部になっていることには、日系人の方々の支えや努力があるということを学ばなければならないと感じた。また、日系人の方々が努力して作り上げた今の関係を、私たち日本人が日系人の方々についてを学ばなかったことにより台無しにしてしまうようなことはあってはならない。この講義を聞いて、もっと学ぶべきことがあり、これから学ばなければならないと思った。
幸せの話では、「明日が早く来て欲しい」と毎日思えることは確かに幸せであるが、難しいことである。私は、とても楽しみなことがある時、もはや「明日が来ないでほしい」「一生今のワクワクを感じていたい」と思うことがある。しかしそれは、その楽しみが終われば、また頑張っていかなければならない日々が来るからであるため、そのように思うのだと感じた。私は、その頑張っていかなければならない日々を、音楽を聞くことで頑張れていると思った。音楽の力は講義でも触れられていたが、質量や形はないものの、本当にすごい力を持っていると感じた。
いまでこそ、私たちは自由に海外に渡航し、留学や就業もすることができます。しかし、かつての日本からの移民は、棄民政策という側面も持っていました。見知らぬ土地に渡り、荒野やジャングルを開拓し、懸命に働いた先達の存在を、決して忘れてはなりません。外務省の2023年の統計では、全世界に推定500万人の日系人が暮らしています。宮沢さんは、日系人こそが、日本の未来のために必要な人々だと説かれました。
(兼任講師 原田悦志)
<宮沢和史さんの授業後のコメント>
100年以上前の、しかも遠い遠い国で起きたことを1時間半の授業を通して、自分のこととして捉えてもらえるだろうか?それが自分にとって課題でした。しかし、学生たちは移民たちの物語を自分たちが生きる場所に果敢にも引き込もうとしてくれたようでした。明治大学生たちの問題意識の高さに感心させられました。
宮沢和史
<受講した学生のコメント>
国際日本学部 4 年 坂本憲星
宮沢和史さんの講義の中で「一人一人の人生が日系移民史である」という言葉が印象に残った。以前別の講義で視聴したインディアンに対して行われたインタビューの中で、「17 世紀中ごろから始まりウーンデッドニーの大虐殺を経て今なお残るインディアンに対する処遇は過ぎ去った歴史ではない。今なお私たちの生活に色濃く影響を与える現在進行形の問題である」と語っていたのをその言葉で思い出した。日本人が貧しさゆえに海外に移民として出て行ったのは 20 世紀初頭であり、彼らが現地で暮らし活動した痕跡や影響は、私たちにとって単に歴史の教科書の 1 ページに乗る過去の出来事ではなく、グローバル化する世の中において私たちの生活や社会に現在進行で形作られ多分に影響を与える要素である。移民として外国にわたりかの地で幾重もの大きな困難を乗り越えてきた彼らの血のにじむ苦労と努力で築いた信頼の上で、私たち日本人はその地で安泰に過ごすことが出来ているという事実を忘れてはいけない。
国際日本学部3 年 赤井紀心
今回の講義を受けて、日本にルーツを持つ人々が世界中にいることを実感した。特に、日本からの移民が多く存在するブラジルやアルゼンチンに対しては親近感が生まれ、ぜひそれらの国を訪れてみたいと思った。
私は、これまで移民として渡った人々は、新たな地で生きていくためにその土地の言語や文化を新しく学び、素早く新たな環境に順応していったという過去を持っており、もともと住んでいた土地の言語や文化の記憶は彼らの中からすでに消えてしまっていると思っていた。しかし、実際には、年月が経った現在でも日本から世界各国に渡った移民の間では、日本の歌である「島唄」が歌い継がれていた。この事実は、とても衝撃的なものであり、「異なる国で生活をしていても、日本のことを思いながら生活をしている人が遠い場所に存在している」ということを知り、私は心が温かくなった。加えて、世界各地で行われた日本祭や移民祭の様子を動画で見たことから、移民として生きている人々は、自分たちの生まれた故郷である日本を誇りに思い、日本の歌を歌い続け、離れた土地で日本文化を守り続けているように感じた。
これからの時代は、各国が自分自身の利益のために行動するのではなく、他国のことを考え、協力をしながら行動をしていく必要があると私は考える。その際に、日本と他国との懸け橋となる重要な存在が移民であり、今後、日本人、特に日本政府は、彼らと良好な関係を築いていくべきである。
国際日本学部2 年 瀬尾紗彩
私は、恥ずかしながら⽇系移⺠について歴史上の事実としては聞いたことがある程度で、深く知らなかったため、今回の授業を通じて移⺠の規模感や、その⼈たちの現地での⽣活ぶりについて初めて知ることができました。数々の試練を乗り越えて⽣きてこられた移⺠の⽅々の⼈間⼒や経験には果てしない⼒強さがあり、私たちが現代社会を⽣きる上でのヒント、学ぶべきものがたくさんあるという⾔葉がとても印象的でした。また、移⺠史とは遠い歴史上のことと捉えがちであるけれど、そうではなく、現代にも続くその⼈たちひとりひとりの⼈⽣そのものであるというお話を聞いて、とても史実を近くに感じられた上、100 年ほど前の⽣⾝の⼈たちの声を聞くことができたような気がしました。その背景を知ることで、その⼟地で⻑い年⽉をかけて先⼈たちが築き上げた信頼がどれほどの重みを持つかを理解でき、⾃分はその場でどのように振舞うべきかを⾃分⾃⾝で考えることができると感じました。
今回の授業を受けた上で、宮沢さんの⾳楽を改めて聴いてみると、そのような⼈々の声や⼟地の⾵⼟を元に作られているということがとてもわかりました。「⾳楽は時間芸術であり、⼀瞬にしてその⼈の過去を回想させ、癒し慰めるというすごい⼒を持っている」、「⾳楽は聴く⼈それぞれの⼈⽣と重なる」ということは私も常々感じており、実際に⾳楽に救われた経験もあるため、とても納得することができました。
私は最近、⽬の前のタスクをこなすことにいっぱいいっぱいで、時々どうしたら良いのかわからなくなってしまうことがあります。けれど、そんな⽇々の中で⾃分の好きなこと(歌や⽂章を書くこと、⼈と話すことなど)に⽬をむけ、夢中になれる時間を⽣み出して⼼を豊かにしたいなと思いましたし、「明⽇が楽しみだな」と思えるような毎⽇を過ごせる、いつまでも⼼が若い⼤⼈でありたいなと思いました。
宮沢さんの⾳楽や経験を宮沢さんご本⼈から直接聴くことができるという貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました。
国際⽇本学部2年 シンヒョビン
宮沢さんの授業を受けた際、⽇本近現代⽂学の授業で⼤江健三郎について扱ったのが思い浮かんだ。『沖縄ノート』についても少し取り上げたので、宮沢さんのお話を聞きながら、思わず⼤江健三郎との関連性を考えてしまった。『沖縄ノート』には、戦闘当時、住⺠に⽟砕を強要した⽇本帝国の残酷さや、本⼟の⽇本⼈から差別され、駐留していた⽶軍兵⼠から被害を受けた沖縄の実態が⾚裸々に描かれている。⼤江健三郎は、⽇本社会がこれを記憶し、償うべきだと主張しているだけでなく、⽇本が戦争中に⾏った残虐⾏為に責任を負うべきだと訴えた。アジアで⽇本が犯したことを⼀⽣記憶し、贖罪しなければならないと考えていたのだ。
宮沢さんはひめゆり学徒隊の⽣存者の⽅に出会い、「島唄」を作ることになった。「島唄」の制作についてさらに調べたところ、⽣存者の⽅を通して知らなかった歴史を知り、知ることができなかった当時の教育について疑問を持ったそうだ。つまり、⼆⼈の共通点は、⽇本政府にとって忘れたい記憶であっても、未来を⽣きていくためには、またこれから育つ若者たちのためには、過去を隠さず、逃げずに、正⾯から向き合い、⽣きていくべきだと伝えていることだと思う。
宮沢さんが間接的に戦争の苦しみを経験し、歌を通して戦争に巻き込まれた⼈々の痛みを歌い、その⼈たちに慰めを与えているように、⼤江健三郎もまた⽂学を通じて⽇本の政治や社会問題に対する批判意識を⽰している点が似ていると思った。
授業の後、ずっと「島唄」を聴いているのだが、なぜかサビの部分を聴くと、⼀緒に歌いたくなったり、涙が出そうな気持ちになる。このように感じる理由は、歌に込められた真⼼のせいだと感じる。私にとってこれほど⼼に響く歌が、苦しみを直接経験した⼈々にとってどれほど⼤きな慰めとなったのだろうか、と考えさせられた。歌の持つ⼒は本当に⼤きいと感じる。私も毎⽇⾳楽を聴くが、⾳楽を聴いて気分が悪くなったり、憂鬱になったりしたことは⼀度もない。それどころか、慰めや喜び、楽しさを得ている。
最後に、最も印象に残ったのは、「幸せとは何か?」という問いに対する宮沢さんの答えだった。それは、「明⽇が早く来てほしいと思えること」。つまり、今⽇が過ぎてしまうのが惜しくなく、明⽇が待ち遠しく、楽しみになることだとおっしゃった。実は私は、1⽇1⽇が過ぎていくのがとても惜しく、時間がもう少しゆっくり進んでほしいと思うことがある。しかし、今⽇が過ぎていくのが惜しくないというのは、それだけ今⽇という時間を後悔なく過ごせたからこそなのではないか。明⽇が来るのが待ち遠しいというのは、明⽇も今⽇と同じくらい楽しく、充実した⽇になることを願う気持ちからだと思う。それはまるで、修学旅⾏や体育祭の前夜のようだ。明⽇が待ち遠しいと思える⽇を作ることこそが、幸せの始まりだと考えた。
国際⽇本学部1 年 廣木美乃
今まであまり知ることのなかった日系移民について、各地を巡り、実際に当事者の方々と関わってこられた宮沢さんから貴重なエピソードを直接お聞きすることができ、とても良い機会になりました。
私は、大学受験の際、日本史を選択して毎日のように教科書を読んでいました。しかし、日系移民については備考欄に数行記載されている程度で、その実態について詳しく学ぶ機会はほとんどありませんでした。日本史の重要な一部分であるにもかかわらず、その歴史が深く教えられていないのは、過酷な環境を生き抜いてきた日系移民の方々にとっても、現代の日本人にとっても、とても残念なことだと思います。だからこそ、この歴史がもっと多くの人に知られ、次世代に語り継がれていくことを強く願います。
また、宮沢さんが仰っていた「幸せ」の定義(「「明日が早く来ないかなと毎日ワクワクできる状態」)に強く胸を打たれました。宮沢さんの紡ぐ言葉ひとつひとつが温かく、自然と涙がこぼれてしまいました。この文章を書きながら宮沢さんの講義を思い返し、また胸が熱くなっています…!
この度は、私たちに日系移民の歴史について知る貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございました。これをきっかけに、私自身でも少し調べてみたいと思います。
国際日本学部1年 古野稜汰
日本だけでなく世界でも活躍されている宮沢さんの授業を通して、世界に広まった日系移民の背景と、今を生きる私たちが大切にするべきことを学ぶことができました。まず、私はブラジルに日系の子孫が多くいるのは知っており、その知り合いもいましたが、どのような背景があって地球の真裏に位置するブラジルに日本人が定住したのかまでは知りませんでした。世界史で習う他国のように、新たな領地を求めて、開拓のために派遣された人たちなのかな、と思っていたので、貧困により仕事を求めていた人たちが政府の嘘ともいえる説明の影響で何も知らずに渡航したということを知って、真実に気づいたときは相当ショックだっただろうな、と思ったとともに、彼らのこれまでの努力に敬意を表したい思いになりました。
今私たち日本人が「日本のパスポートは世界最強のパスポート」と呼ばれるほど世界で信用されているのも、このように世界に広がり、努力し、信用を気づいてきた先祖がいるからなのだ、ということを知り、自分も留学に行った際は気づかれてきた信用を壊すことのないよう心掛けるのはもちろん、何か世界のために日本人として貢献したいな、と思いました。
国際日本学部1年 酒井ひなた
宮沢さんの授業を聞いて、私は世界のどの地域にどのくらい移民がいるのかなど詳しく知らなかったため新しい知識を得る良い機会になった。今回は南米に住む日系人の話を聞かせていただいて、まず南米に多くの日系人がいることに驚いた。日本人が出稼ぎのためにアメリカに行っても、日本人が働き者であるためにあまり良い顔をされないというエピソードを聞き、勤勉であることは私たち日本人の良い点だと考えていたが移民として海外に渡ったときに足枷となってしまうことがあると知った。少し昔を生きた人々が文化を受け入れてもらえない苦しい状況を乗り越えて今があるという事実を忘れてはいけないと強く感じた。
現代の移民問題においては日本がどう外国人を受け入れるかについて焦点が当てられているように感じるが、今も日系人の移民については私たち自身が自分事として捉え考える必要があると思った。宮沢さんがおっしゃった「移民の人々にはそれぞれの移民史がある」という言葉がとても印象に残った。一概に移民といってもそれぞれの人が体験したことは異なるし、感じたことも違うため多角的な面から移民史については考える必要があることを知った。そう考えるとさまざまな場所をめぐって音楽で人々をつないでいる宮沢さんのこれまでの活動はすごく意味のあるものに感じた。
国際日本学部1年 成田陽夏
日系人の方々の話を沢山聞いて、私たち日本人はもっと沖縄や日系人の方々についての歴史、そして現在を学ぶべきだと感じた。そして、今日の講義を聞いて日系人の強さ、暖かさに感動した。今の私たちがあることや、ブラジルなどの世界の一部になっていることには、日系人の方々の支えや努力があるということを学ばなければならないと感じた。また、日系人の方々が努力して作り上げた今の関係を、私たち日本人が日系人の方々についてを学ばなかったことにより台無しにしてしまうようなことはあってはならない。この講義を聞いて、もっと学ぶべきことがあり、これから学ばなければならないと思った。
幸せの話では、「明日が早く来て欲しい」と毎日思えることは確かに幸せであるが、難しいことである。私は、とても楽しみなことがある時、もはや「明日が来ないでほしい」「一生今のワクワクを感じていたい」と思うことがある。しかしそれは、その楽しみが終われば、また頑張っていかなければならない日々が来るからであるため、そのように思うのだと感じた。私は、その頑張っていかなければならない日々を、音楽を聞くことで頑張れていると思った。音楽の力は講義でも触れられていたが、質量や形はないものの、本当にすごい力を持っていると感じた。