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2考古学専攻の歩み

考古学専攻の歩み

 明治大学の考古学専攻は1950年に創設され,学生・院生を含めた研究室スタッフは戦後の日本考古学界に大きく貢献してきました。これまでの代表的な研究成果には,次のようなものがあります(参考:明治大学博物館企画展「明大考古学の過去・現在・未来」)。

■日本列島人類文化の起源(群馬県みどり市・岩宿遺跡の調査・研究)

 相沢忠洋氏の採集資料を契機に1949~50年に発掘調査を行い,日本列島にも旧石器時代の人類文化が存在することを実証しました。その後,明治大学は日本の旧石器時代研究を牽引し続けています。

岩宿遺跡の石器群(©明治大学博物館)

■石器から人類の行動を復元する(埼玉県所沢市・砂川遺跡の調査・研究)

 石器同士が接合することを手がかりに,道具作りをしながら移動を繰り返す旧石器時代人の生活を解き明かしました。こうして確立した方法が,今日の旧石器時代研究の基本となっています。

砂川遺跡の接合資料(©明治大学博物館)

■旧石器時代,縄文時代の資源開発(長野県長和町・鷹山遺跡群の調査・研究)

 黒曜(耀)石は火山ガラスの一種で,旧石器時代から弥生時代まで打製石器の材料として使用されてきました。長野県の八ヶ岳周辺は日本有数の黒曜石産出地で,旧石器時代や縄文時代の遺跡が数多く残されています。鷹山遺跡星糞峠地点では,縄文時代の人々が地下に埋もれた黒曜石の塊を採掘している状況を確認しました。現在,明治大学は黒耀石研究センターを設置し,長和町の黒耀石体験ミュージアムと連携して調査研究・活用を進めています。

長和町黒耀石体験ミュージアム(左)と明治大学黒耀石研究センター(右)(©黒耀石研究センター)

■古代農村の復原(静岡市・登呂遺跡の調査・研究)

 登呂遺跡は1947年から50年まで調査され,弥生時代の稲作の実態や村落景観が初めて明かになりました。1947年,明治大学が科学研究費を取得して調査を開始し,その後,日本考古学協会という学会組織のもとに,東京圏の大学等が共同して調査しました。現在,登呂遺跡は国の特別史跡に指定され,博物館が併設されています。
 

登呂遺跡の調査風景(杭を打ち込んだ畦が見つかった)(©明治大学博物館)

■東日本の弥生時代の特異な墓制(千葉県佐倉市・天神前遺跡の調査・研究)

 1963~64年の調査で,小さな壺に収められた成人の骨が発見されました。これは死者の遺骸をいったん白骨化したのち,壺に納骨して再埋葬する葬法と考えられています。これまで関東~東北地方南部に100か所あまりの遺跡が発見されています。

天神前遺跡第2号墓坑(©明治大学博物館)

■埴輪を製作した工房跡(茨城県ひたちなか市・馬渡遺跡)

 古墳の上には,円筒形や家形・馬形などの埴輪が立て並べられています。馬渡遺跡は1960~70年代に調査され,埴輪製作の工房跡群が確認されました。粘土の採掘,埴輪の造形,窯での焼成を含めた一連の作業が進められていたことが分かっています。ここで生産された埴輪が周辺の古墳にもたらされたと考えられています。

埴輪窯発掘風景(©明治大学博物館)

■朝鮮半島系の墓制・積石塚古墳(長野市・大室古墳群の調査・研究)

 通常の古墳は土を積み上げ,外表を礫で覆います。一方で,礫だけを積んで墳丘を築いた積石塚が知られています。大室古墳群には数多くの積石塚が残されていますが,1980年代の発掘を通じて,5世紀代に特異な合掌形の石室が築かれたことが分かりました。その構造から,馬の飼育技術をもった渡来系技術者の墓と考える説があります。

大室221墳合掌形石室の現況(©考古学研究室)