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文芸メディア専攻

文芸メディアとは

メディアを生き抜く <読み> と <表現> を学ぶ
  文字や映像をめぐる現代のメディア環境は、きわめて多様で複雑になっています。従来型のメディア(本・雑誌・新聞、ラジオ・映画・テレビ)に加えて、コンピューターや携帯電話などの新しいメディアが次々に登場してきています。しかし、これらの新たなメディア領域の拡大は、単にコミュニケーション手段の多様化を意味するものではありません。新たなメディアの登場は、その中に生きる人間存在そのものに大きな変容をもたらしています。

  人間は、他者との交通を不可欠とする間主観的存在、つまり、「間」の存在です。ですから、その「間」をつなぐコミュニケーション手段が変容すれば、それらに橋渡しされている人間の思考や行動も変容していきます。現在、私たちは、あまりにも多様化し錯綜するメディア環境の中で、自己存在のありかを求めあぐねてさまよっていると言ってもよいでしょう。
 
  しかし、そもそも、メディアとは何でしょうか? さまざまな議論がありますが、私たちはそれを文字言語の問題だと考えます。なぜなら、どのような新しいメディアにおいても、それを根底で動かしているのは電気信号でありコンピューター言語であって、それらは基底的に文字言語に収斂するからです。
別の例で言えば、口頭で伝達される「ことば」そのものは通常メディアとは呼ばれませんが、それがメモで伝達されるならば、その「ことば」は「メディアの中のことば」だと言えます。なぜなら、メモに書かれた文字は、紙や鉛筆といった、何らかの生産技術によって支えられた物質に基礎をおき、時間・空間を越えて伝達されるからです。その紙や鉛筆が、電子機器に変ったにしても、その基盤は共通しています。つまり、メディアとは、ある物質的・技術的基盤の上に、文字言語を用いて、時間・空間を越えたコミュニケーションを可能にするものなのです。その意味で、私たちは、「文字」というものを最も原初的・根源的なメディアとしてとらえるのです。
現在の私たちは、確かに、錯綜するメディア状況の中に投げ込まれています。しかし、そうした状況においてこそ、メディアの基底をなす「文字」そのものに立ちかえること、そして、「文字」の中を生きるとはどのようなことなのかを根源的に考察することが、遠回りに見えながらも、実は最も緊要な課題ではないでしょうか。それは、文字言語の〈読み〉を通じて自己存在を探求し、また、文字言語による〈表現〉によって自己を実現していくことにほかなりません。それが、「ホモ・ロクエンス=ことば人間」としての人間存在を、まさに「間」の存在である人間を考究していくことになるはずです。

  文芸メディア専攻は、多様なメディアの修辞や文法に習熟することと同時に、新しいメディア環境の中で文章表現によって自己を実現していく「表現主体」を育てることをめざしています。私たちは、それが現代のメディア環境を主体的に生き抜く「個」を創出していくことであると確信しています。