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5考古学専攻の活動

考古学専攻の活動

 現在,考古学専攻では各教員が複数のプロジェクトを組織し,展開しています。これらのプロジェクトには数多くの学部生や大学院生が携わっています。こうしたなかで実践経験を積むことによって,次々と考古学の世界で活躍する人材が育ってゆくのです。

旧石器時代の北海道と基準資料の再整備

 旧石器時代の北海道はユーラシア大陸から伸びる半島の突端にあたり,大陸と本州を結ぶ重要な役割を果たしてきました。明治大学では1950~60年代を中心に北海道の調査を展開し,タチカルシュナイ遺跡(1958年)や白滝服部台遺跡(1961年)など,今日の考古学を支える貴重な資料を蓄積してきました。現在,新たな資料を蓄積する動きとは別に,これらの資料を最新の視点や方法で読み直し,新たな教育・研究・文化資源として活用する試みが進められています。成果の一端は以下の文献で眺めることが可能です。
「北海道における旧石器時代・基準資料の再構築─白滝服部台遺跡の再整理成果(中間報告)─」

縄文時代における資源利用史研究の展開

 縄文時代の研究では資源利用史をキーワードにした研究を推進しています。現在は学内に研究クラスターを設置し,学内外の研究者と共同の研究体制を作り学際的な研究を推進しています。縄文時代には道具の素材や食物加工など,さまざまな資源の利用が開始されており,これらの利用技術は時期や地域で多様なあり方をしています。
現在は土器付着物や古人骨の同位体分析を東京大学総合研究博物館と,漆は理工学部の応用化学研究室と共同で分析を進めています。さらに日本における製塩技術史を解明するために出土遺物の分析とともに製塩実験を行いながらデータを蓄積しています。どの分野も奥深く試行錯誤の連続です。その基点となるのは・・・,もちろん遺跡と遺物です。
明治大学資源利用史研究クラスター

弥生文化の地域性の解明

 弥生時代に関しては,考古学専攻独自の活動に加えて,明治大学日本古代学研究所・クラスターとしての調査研究も行っています。弥生チームとしては,杉原荘介が1949・66年に調査した福島県会津若松市南御山遺跡の調査報告の取りまとめを進め,また茨城県常陸大宮市教育委員会の国史跡泉坂下遺跡の保存活用にかかる調査にも参加しています。古代学研究所としては,戦後日本考古学界を牽引した杉原荘介資料のデータベース作成や「漢委奴國王」金印研究を進めています。金印については現在真贋論争が繰り広げられており,石川教授が詳細な金印研究をもとに真印説を強く主張しています。
 ⇒明治大学日本古代学研究所

常陸南部における古墳文化の解明

 常陸は古墳時代(3世紀後半~7世紀)社会の東縁に位置します。明治大学では1950年代以来,奈良時代に国府・国分寺が置かれた茨城県石岡市とその周辺の古墳を体系的に調査してきました。具体的には,東国第2位の規模を誇る石岡市舟塚山古墳(全長183mの前方後円墳)の測量調査や,東京国立博物館蔵の重要文化財 猿の埴輪が出土したといわれる行方市大日塚古墳の発掘調査など,調査対象古墳を変えながら,継続的に調査研究を実施しています。最近では,7世紀第1四半期に築造されたかすみがうら市折越十日塚古墳の二重周濠を発掘調査しました。奈良では飛鳥寺がすでに完成している時期に豪壮な70m級前方後円墳を築いている事実に驚かされます。近年の調査成果は『霞ケ浦の前方後円墳』(六一書房)に報告しています。