第5回 国際日本学学術集会を開催しました
2024年11月28日
明治大学 国際日本学研究科
秋晴れが清々しく景色が美しい北京大学において、2024年10月26日・27日の2日間、第5回国際日本学学術集会を開催しました。
この国際日本学学術集会は、2019年に明治大学国際日本学研究科と北京大学外国語学院とが協定を締結したことをきっかけに始まったもので、年1回開催しています。2020年の第2回までは、日本語学・日本語教育学の分野だけの学術集会でしたが、第3回からは雲南大学外国語学院からの参加も得て、日本学全般に範囲を広げています。
今年度は第5回となり、3つの大学を中心に、オンライン参加者も含め約60名の教員と大学院生が参加し、9本の教員講演と7本の学生発表があり、熱心な討議が行われました。秋は収穫の季節であるとともに、思索と創造の好機でもあります。この国際日本学学術集会での深い議論と交流が、参加された皆様の研究のさらなる発展と、未来への道の開拓につながることを願っております。
北京大学での現地参加者
10月26日(土)
司会 北京大学 孫建軍
挨拶 北京大学外国語学院副院長 呉傑偉教授
北京大学 潘鈞 / 雲南大学 羅椿詠 / 明治大学 田中牧郎
◇パネルディスカッション「近代日本学のこれから-言語・文学・歴史-」
1.文体史から見る「ものす(る)」の歴史的変化 余飛洋(雲南大学)
2.芥川龍之介文学における物語と人間 小谷瑛輔(明治大学)
3.山縣初男とその中国文学翻訳の軌跡について 羅椿詠(雲南大学)
4.漢語基本語化から外来語基本語化へ-雑誌コーパスによる考察- 田中牧郎(明治大学)
5.和漢混淆文の成立とその外延について 潘鈞(北京大学)
会場の写真1 会場の写真2
田中牧郎先生講演
小谷瑛輔先生講演
10月28日(日)
◇教員講演
6.大江健三郎文学における魯迅の受容-『狂人日記』を中心に- 翁家慧(北京大学)
◇若手教員報告
7.近代日本産育習俗における石の信仰—『日本産育習俗資料集成』を中心に- 宋丹丹(雲南大学)
8.漢語を構成する単漢字の日中の意味の異同に関する考察—和製漢語を対象に- 黄叢叢(明治大学)
9.律の運用から見る近世琉球法と中国法の比較研究—「違令」条を中心に- 王天馳(北京大学)
◇学生発表
10.“Foreign Affairs”の訳語から見る中日外交機関名称の変遷
-「外務」と「外交」を例として- 熊怡萱(北京大学大学院生)
11.『清議報』対訳コーパスの紹介 古谷創(明治大学大学院生)
12.東亜同文書院『大旅行誌』から見た近代雲南の地域像
-第八期生と第十五期生の記録を例に- 張琪(雲南大学大学院生)
13.戦後漫画史における手塚史観の変遷について 小島淳之介(明治大学大学院生)
14.日本の初期オスカー・ワイルド受容 佐野日菜子(明治大学大学院生)
15.『源氏物語』須磨巻における越境について 胡凌鋒(北京大学大学院生)
16.基本動詞「振る」の多義分析-認知意味論の視点からの考察- 殷雯麗(雲南大学大学院生)
黄叢叢先生研究発表
古谷創さん研究発表
小島淳之介さん研究発表
参加した大学院生の印象記
おもしろうてやがてせつなき酒会かな 古谷創(日本語学研究)
二泊三日の旅程とは思えないほど、密度の濃い北京行きとなりました。ホスト役を担当された北京大学の皆さんの心遣いと、東京~北京間とほぼ変わらない距離を飛んできてくださった雲南大学の皆さんの心意気が、今更ながら胸にしみます。また黄叢叢さんの献身的なサポートのおかげで、何の憂いもなく楽しい時間を過ごすことができました。
全ての日程が終わってゲストハウスの部屋に戻ったとき、久々に「せつない」という感覚に満たされました。それは楽しい時間がもうすぐ終わってしまうと気づいたとき、ふと訪れる感覚なのだと思います。同時にそれは、明るいうちは会場を密度の濃い議論で満たし、暗くなれば杯を密度の濃い白酒(ばいちゅう)で満たしたからこその感覚でもあるのでしょう。少し大げさな言い方になりますが、その感覚を再び味わうために、今のうちからじっくりと議論の仕込みを始めるつもりです。
なお、密度の濃い議論の一端については「要旨集」をどうぞご覧ください。
碧空 小島淳之介(日本文学研究)
溺れるような気分である。
秋の北京は東京より寒かった。空気が悪く、少し先が曇って視界が悪い。私は風邪をひいていて、他の方の発表の間、ティッシュで鼻をすすってばかりいた。それに加えて、乗り物酔い。それはまるで、自分の研究状況を表しているようだった。
綺麗な北京大学の宿に泊まっているというのに、部屋の中に資料を散らかし、夜通しまとめていた。そして臨んだ自分の発表は、ドキドキとした動悸だけは覚えているのに、いつの間にか終わっていた。
今回の学術集会のおかげで、多様な研究領域の方々の前で発表する機会に恵まれた。自分の研究を発表の形にまとめることもできた。感謝したい。
発表を終えた翌朝、散らかっていた部屋を片付けた。カーテンを開けると、明るい光が入ってきた。そこから見える窓の外の空は、澄んでいた。
要旨集(発表順)
1.文体史から見る「ものす(る)」の歴史的変化 余飛洋(雲南大学)
「ものす(る)」は平安時代の和文に発し、物語類の中で多用された。中世では「ものす(る)」は、中世文語において、中古の用法を受け継ぎ、「王朝物語」と一部の擬古的「歴史物語」の中で使われ、且つ擬古文における雅語としての位置づけが確立した。
近世になると、江戸時代の国学者の間では、古言を用いた雅文体の文章が作られていた。「ものす(る)」も、雅文体の文章で活用されていた。明治以降、「ものす(る)」は文章語として認められ、小説をメインとした書き言葉の中で、主に文芸作品を「作る、完成する」の意味用法で使われ続けている。
2.芥川龍之介文学における物語と人間 小谷瑛輔(明治大学)
芥川龍之介の小説では、願望、不安、夢、嘘、妄想、虚構など、非現実の物語的な認識が登場人物や事態に作用することが描かれることが多い。芥川龍之介の小説では、物語と人間の関係を描くことが眼目になっていることが多いのである。今回はこのことについて、芥川龍之介の名を象徴するタイトルが与えられ、芥川の文学的なアイデンティティが賭けられたものと目される「龍」(1919年)という作品を取り上げて、芥川がどのようなものとして自己の文学を捉えていたのか、また表現しようとしていたのか、という観点から、分析を試みる。
3.山縣初男とその中国文学翻訳の軌跡について 羅椿詠(雲南大学)
初男は、陸軍大佐であり、日本陸軍参謀本部の中国通として知られ、中国に四十年以上滞在した。彼の著作には『西蔵通覧』や『老子と易経の比較研究』などがあり、さらに清末の『緑野仙踪』や『野叟曝言』といった章回小説、および巴金や張恨水をはじめとする民国期の作家による多くの作品を日本語に翻訳して出版した。本研究では、山縣初男の略年譜と著作目録を整理し、彼の中国文学翻訳の軌跡を明らかにする。その上で、彼の文学翻訳の特徴を分析し、近代中国白話小説の日本語訳において、山縣初男の翻訳が果たした役割とその位置付けを検討する。
4.漢語基本語化から外来語基本語化へ-雑誌コーパスによる考察- 田中牧郎(明治大学)
古代はほぼすべて和語だった日本語の語彙は、次第に中国語から多くの漢語を借用し、明治期には半数以上をも占めるようになる。その後、西洋から借用した外来語が増え、現代では、和語3割、漢語5割、外来語1割、混種語1割となっている。漢語や外来語は、単に増加するだけでなく、語彙の深いところに順次入り込み、基本語化するようになり、既存の和語との間に、意味や文体の面で緊密な関係を構築して、語彙体系の中核を担うようにもなる。こうした過程を、近年整備された通時コーパスの雑誌データを用いて、実証的に明らかにする。
5.和漢混淆文の成立とその外延について 潘鈞(北京大学)
上代からの和漢融合に端を発して明治の普通文へと長い命を保ってきた和漢混淆文という文体が果たしてどのように生まれ、そしてどこまでカバーできるか、即ちその成立と外延は、正直なところ、いまだ定説のようなものはない。本発表は、従来の種々の説を調査吟味したうえ、整理しようとするものである。一見普通に使われてきている文体用語ではあるが、実は複雑な様態を呈しており、より突っ込んだ研究をする必要があることを提示し、今後の、文体に関する更なる研究を期待したい。
6.大江健三郎文学における魯迅の受容-『狂人日記』を中心に- 翁家慧(北京大学)
1960年代、大江健三郎は魯迅の『狂人日記』の「子どもを救え」という一文を主題に『食人の平和』という短詩を書き、またその詩を核とし、短編小説『生け贄男は必要か』を書いた。その短詩と短編小説はともに小説集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に収録された。本稿では『狂人日記』の日本語訳の諸本から大江が短詩と短編小説に直接引用するものを考証し、引喩のみならず、文体や思想の面も含め、大江の諸作が『狂人日記』との間に起こる間テキスト性を考察してみる。
7.近代日本産育習俗における石の信仰—『日本産育習俗資料集成』を中心に- 宋丹丹(雲南大学)
近代における全国の産育習俗を集めた『日本産育習俗資料集成』をもとに、石を用いた産育習俗の290件に及ぶ事例を分析し、産育習俗と石との関係を分析した。とくに従来の研究では子授け、安産、子どもの成長など、無事に生まれ育つことを前提として分析する傾向が強かった。これに対して本発表では、安産祈願だけではなく、避妊、堕胎と間引きの習俗にも注目して分析を行った。産育習俗のなかで用いられた石は、安産を願うほかに、避妊や間引きにも用いられていたことを具体的に明らかにしたい。これによって、石に託された「産む」ことを願う民俗の心性だけでなく、「産まない」ことを願う民俗の心性にも迫ることができたと言える。
8.漢語を構成する単漢字の日中の意味の異同に関する考察—和製漢語を対象に- 黄叢叢(明治大学)
単漢字の日中両語の意味の異同が中国人日本語学習者における和製漢語の意味推測の難易と大きく関わることが指摘されている。しかし、両言語の意味の異同を同定するという作業は容易でない。これまでの研究では辞書の意味記述に基づき意味の異同を判定してきたが、辞書により意味区分や記述が異なり、中国人日本語学習者が単漢字から想起しやすい意味が辞書の意味記述と同じであるとは限らない。そこで、本研究では単漢字の日中両語の意味の異同について新たな判定方法を提案する。発表では中国語の単漢字の意味と一致している和製漢語とそうでない和製漢語を示し、その傾向について解説する。
9.律の運用から見る近世琉球法と中国法の比較研究—「違令」条を中心に- 王天馳(北京大学)
清朝と琉球王国の法典(『大清律例』/『新集科律』)には、「違令」という条目が存在する。この「違令」条は明律から受け継がれたものであるが、清朝及び琉球において「令」という制度そのものが存在しないため、「違令」条は形式的には維持されたものの、その立法当初の理念からは大きく乖離している。清朝と琉球はそれぞれ独自に「令」を法律上再定義したが、実際の運用において、清朝では「違令」条が官吏に対する懲戒処分条例として整備され、琉球では民間人の軽微な犯罪に適用されるようになり、いずれの場合も条文上の定義とは大きく異なる運用がなされている。
10.“Foreign Affairs”の訳語から見る中日外交機関名称の変遷-「外務」と「外交」を例として- 熊怡萱(北京大学大学院生)
英語の"Ministry of Foreign Affairs"は、現在中国では「外交部」、日本では「外務省」と訳されているが、近代において両国の外交部門の名称はさまざまな変遷を経てきた。本稿は、"Foreign Affairs"に対応する中日両国の訳語の推移を分析し、「外務部」「外交部」「外務省」が近代中国と日本でどのように使用され、両国の外交機関の沿革にどのように関わってきたかを考察するものである。また、「外務」や「外交」の語源にも着目し、それらが近代の外国人宣教師によって古代漢語とは異なる意味を持つようになった背景を明らかにする。
11.『清議報』対訳コーパスの紹介 古谷創(明治大学大学院生)
『清議報』(1898-1901)は横浜で刊行された中国語雑誌であり、日本語に由来する近代語(新漢語)の中国への伝播や、中国人の国家意識の生成という視角から研究されてきた。報告者は、同誌に掲載された中国語の翻訳記事とその出典の日本語雑誌記事を収録し、全文検索が可能な『清議報』対訳コーパスを構築している。本報告ではまず、構築の過程で明らかになった出典や原著者の情報を紹介する。さらに、原文と訳文を対照した例として、「国民」と「人民」の違いを取り上げ、同誌による「国民」意識生成の新たな一面を明らかにすることを目指す。
12.東亜同文書院『大旅行誌』から見た近代雲南の地域像-第八期生と第十五期生の記録を例に- 張琪(雲南大学大学院生)
東亜同文書院の『大旅行誌』を通じて、近代雲南の地域像を分析する。本研究は、1910年の第八期生と1917年の第十五期生の旅行日記を比較し、雲南地方の社会、経済、文化、政治、および意識の変化を考察した。第八期生は清末の安定した社会と現地住民との親近感を記録している。一方、第十五期生は軍閥時代の不安定さや外部勢力の影響を反映し、帝国主義の影響下で中国人に対する優越感を示した。本研究は、異なる歴史的背景に基づく雲南地域像の構造的および心理的変容を包括的に理解することを目的とする。
13.戦後漫画史における手塚史観の変遷について 小島淳之介(明治大学大学院生)
「漫画の神様」とも称される、手塚治虫。手塚を、映画的手法を取り入れ、戦後ストーリー漫画の起源となった漫画家とし、その存在を戦後漫画の中心に位置づける言説は多数見られる。そのような言説は、いわゆる「手塚史観(手塚中心史観)」と呼ばれる。本発表では、手塚自身も刊行に関わり、漫画の実作・批評・交流の場として革新的だったとされる漫画雑誌『COM』の読者投稿欄「ぐらこんロビー」を調査することにより、そこに見られる手塚治虫評価の特徴を考え、手塚史観の成立との関連を考察する。
14.日本の初期オスカー・ワイルド受容 佐野日菜子(明治大学大学院生)
日本の近代文学史において基礎を作りあげたとされているのは明治40年前後の自然主義である。それに対抗する形で現れたのが谷崎潤一郎を中心とする唯美主義である。谷崎ら唯美主義の作家たちはイギリスの作家オスカー・ワイルドの影響を受けていることが知られている。しかし、オスカー・ワイルド受容に関しては、同時代の資料に十分即した研究はこれまでなされてこなかった。本発表では受容初期のワイルド関連言説を調査し、どのような知識が日本にもたらされていたのか、そしてそれはどのように受容されていたのかを検討する。
15.『源氏物語』須磨巻における越境について 胡凌鋒(北京大学大学院生)
『源氏物語』の須磨巻は光源氏の須磨への出立ちと須磨での謫居生活を記述した。光源氏の須磨への退去は故郷から異郷までの移転を意味している。この意味で須磨巻は光源氏の「越境の旅」を主題にしたと言えよう。須磨巻の越境描写を分析すると、これらの表現は望郷の感情をはじめとする心境を表し、自己意識と帰属意識の変化を提示していることが窺われる。また、須磨巻は越境を通じて精神的な異郷を成立させながら須磨下りの物語を語ったと考えられる。
16.基本動詞「振る」の多義分析-認知意味論の視点からの考察- 殷雯麗(雲南大学大学院生)
動詞「振る」は使用頻度の高い基本動詞であり、多義動詞でもある。本研究は、「振る」の複数の意味の関連性を考察することを目的とする。まず、複数の辞書やコーパスのデータを基に、「振る」の意味カテゴリーとそのプロトタイプ的意味を明らかにする。次に、メタファー及びメトニミー理論を援用し、「振る」の意味拡張のプロセスを分析し、意味の関連性を示す意味拡張ネットワークを構築する。同時に「振る」の各意味の共起項を明示し、複数の意味を再記述・再整理する。キーワード:基本動詞 メタファー メトニミー 意味拡張
この国際日本学学術集会は、2019年に明治大学国際日本学研究科と北京大学外国語学院とが協定を締結したことをきっかけに始まったもので、年1回開催しています。2020年の第2回までは、日本語学・日本語教育学の分野だけの学術集会でしたが、第3回からは雲南大学外国語学院からの参加も得て、日本学全般に範囲を広げています。
今年度は第5回となり、3つの大学を中心に、オンライン参加者も含め約60名の教員と大学院生が参加し、9本の教員講演と7本の学生発表があり、熱心な討議が行われました。秋は収穫の季節であるとともに、思索と創造の好機でもあります。この国際日本学学術集会での深い議論と交流が、参加された皆様の研究のさらなる発展と、未来への道の開拓につながることを願っております。
北京大学での現地参加者
10月26日(土)
司会 北京大学 孫建軍
挨拶 北京大学外国語学院副院長 呉傑偉教授
北京大学 潘鈞 / 雲南大学 羅椿詠 / 明治大学 田中牧郎
◇パネルディスカッション「近代日本学のこれから-言語・文学・歴史-」
1.文体史から見る「ものす(る)」の歴史的変化 余飛洋(雲南大学)
2.芥川龍之介文学における物語と人間 小谷瑛輔(明治大学)
3.山縣初男とその中国文学翻訳の軌跡について 羅椿詠(雲南大学)
4.漢語基本語化から外来語基本語化へ-雑誌コーパスによる考察- 田中牧郎(明治大学)
5.和漢混淆文の成立とその外延について 潘鈞(北京大学)
会場の写真1 会場の写真2
田中牧郎先生講演
小谷瑛輔先生講演
10月28日(日)
◇教員講演
6.大江健三郎文学における魯迅の受容-『狂人日記』を中心に- 翁家慧(北京大学)
◇若手教員報告
7.近代日本産育習俗における石の信仰—『日本産育習俗資料集成』を中心に- 宋丹丹(雲南大学)
8.漢語を構成する単漢字の日中の意味の異同に関する考察—和製漢語を対象に- 黄叢叢(明治大学)
9.律の運用から見る近世琉球法と中国法の比較研究—「違令」条を中心に- 王天馳(北京大学)
◇学生発表
10.“Foreign Affairs”の訳語から見る中日外交機関名称の変遷
-「外務」と「外交」を例として- 熊怡萱(北京大学大学院生)
11.『清議報』対訳コーパスの紹介 古谷創(明治大学大学院生)
12.東亜同文書院『大旅行誌』から見た近代雲南の地域像
-第八期生と第十五期生の記録を例に- 張琪(雲南大学大学院生)
13.戦後漫画史における手塚史観の変遷について 小島淳之介(明治大学大学院生)
14.日本の初期オスカー・ワイルド受容 佐野日菜子(明治大学大学院生)
15.『源氏物語』須磨巻における越境について 胡凌鋒(北京大学大学院生)
16.基本動詞「振る」の多義分析-認知意味論の視点からの考察- 殷雯麗(雲南大学大学院生)
黄叢叢先生研究発表
古谷創さん研究発表
小島淳之介さん研究発表
参加した大学院生の印象記
おもしろうてやがてせつなき酒会かな 古谷創(日本語学研究)
二泊三日の旅程とは思えないほど、密度の濃い北京行きとなりました。ホスト役を担当された北京大学の皆さんの心遣いと、東京~北京間とほぼ変わらない距離を飛んできてくださった雲南大学の皆さんの心意気が、今更ながら胸にしみます。また黄叢叢さんの献身的なサポートのおかげで、何の憂いもなく楽しい時間を過ごすことができました。
全ての日程が終わってゲストハウスの部屋に戻ったとき、久々に「せつない」という感覚に満たされました。それは楽しい時間がもうすぐ終わってしまうと気づいたとき、ふと訪れる感覚なのだと思います。同時にそれは、明るいうちは会場を密度の濃い議論で満たし、暗くなれば杯を密度の濃い白酒(ばいちゅう)で満たしたからこその感覚でもあるのでしょう。少し大げさな言い方になりますが、その感覚を再び味わうために、今のうちからじっくりと議論の仕込みを始めるつもりです。
なお、密度の濃い議論の一端については「要旨集」をどうぞご覧ください。
碧空 小島淳之介(日本文学研究)
溺れるような気分である。
秋の北京は東京より寒かった。空気が悪く、少し先が曇って視界が悪い。私は風邪をひいていて、他の方の発表の間、ティッシュで鼻をすすってばかりいた。それに加えて、乗り物酔い。それはまるで、自分の研究状況を表しているようだった。
綺麗な北京大学の宿に泊まっているというのに、部屋の中に資料を散らかし、夜通しまとめていた。そして臨んだ自分の発表は、ドキドキとした動悸だけは覚えているのに、いつの間にか終わっていた。
今回の学術集会のおかげで、多様な研究領域の方々の前で発表する機会に恵まれた。自分の研究を発表の形にまとめることもできた。感謝したい。
発表を終えた翌朝、散らかっていた部屋を片付けた。カーテンを開けると、明るい光が入ってきた。そこから見える窓の外の空は、澄んでいた。
要旨集(発表順)
1.文体史から見る「ものす(る)」の歴史的変化 余飛洋(雲南大学)
「ものす(る)」は平安時代の和文に発し、物語類の中で多用された。中世では「ものす(る)」は、中世文語において、中古の用法を受け継ぎ、「王朝物語」と一部の擬古的「歴史物語」の中で使われ、且つ擬古文における雅語としての位置づけが確立した。
近世になると、江戸時代の国学者の間では、古言を用いた雅文体の文章が作られていた。「ものす(る)」も、雅文体の文章で活用されていた。明治以降、「ものす(る)」は文章語として認められ、小説をメインとした書き言葉の中で、主に文芸作品を「作る、完成する」の意味用法で使われ続けている。
2.芥川龍之介文学における物語と人間 小谷瑛輔(明治大学)
芥川龍之介の小説では、願望、不安、夢、嘘、妄想、虚構など、非現実の物語的な認識が登場人物や事態に作用することが描かれることが多い。芥川龍之介の小説では、物語と人間の関係を描くことが眼目になっていることが多いのである。今回はこのことについて、芥川龍之介の名を象徴するタイトルが与えられ、芥川の文学的なアイデンティティが賭けられたものと目される「龍」(1919年)という作品を取り上げて、芥川がどのようなものとして自己の文学を捉えていたのか、また表現しようとしていたのか、という観点から、分析を試みる。
3.山縣初男とその中国文学翻訳の軌跡について 羅椿詠(雲南大学)
初男は、陸軍大佐であり、日本陸軍参謀本部の中国通として知られ、中国に四十年以上滞在した。彼の著作には『西蔵通覧』や『老子と易経の比較研究』などがあり、さらに清末の『緑野仙踪』や『野叟曝言』といった章回小説、および巴金や張恨水をはじめとする民国期の作家による多くの作品を日本語に翻訳して出版した。本研究では、山縣初男の略年譜と著作目録を整理し、彼の中国文学翻訳の軌跡を明らかにする。その上で、彼の文学翻訳の特徴を分析し、近代中国白話小説の日本語訳において、山縣初男の翻訳が果たした役割とその位置付けを検討する。
4.漢語基本語化から外来語基本語化へ-雑誌コーパスによる考察- 田中牧郎(明治大学)
古代はほぼすべて和語だった日本語の語彙は、次第に中国語から多くの漢語を借用し、明治期には半数以上をも占めるようになる。その後、西洋から借用した外来語が増え、現代では、和語3割、漢語5割、外来語1割、混種語1割となっている。漢語や外来語は、単に増加するだけでなく、語彙の深いところに順次入り込み、基本語化するようになり、既存の和語との間に、意味や文体の面で緊密な関係を構築して、語彙体系の中核を担うようにもなる。こうした過程を、近年整備された通時コーパスの雑誌データを用いて、実証的に明らかにする。
5.和漢混淆文の成立とその外延について 潘鈞(北京大学)
上代からの和漢融合に端を発して明治の普通文へと長い命を保ってきた和漢混淆文という文体が果たしてどのように生まれ、そしてどこまでカバーできるか、即ちその成立と外延は、正直なところ、いまだ定説のようなものはない。本発表は、従来の種々の説を調査吟味したうえ、整理しようとするものである。一見普通に使われてきている文体用語ではあるが、実は複雑な様態を呈しており、より突っ込んだ研究をする必要があることを提示し、今後の、文体に関する更なる研究を期待したい。
6.大江健三郎文学における魯迅の受容-『狂人日記』を中心に- 翁家慧(北京大学)
1960年代、大江健三郎は魯迅の『狂人日記』の「子どもを救え」という一文を主題に『食人の平和』という短詩を書き、またその詩を核とし、短編小説『生け贄男は必要か』を書いた。その短詩と短編小説はともに小説集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に収録された。本稿では『狂人日記』の日本語訳の諸本から大江が短詩と短編小説に直接引用するものを考証し、引喩のみならず、文体や思想の面も含め、大江の諸作が『狂人日記』との間に起こる間テキスト性を考察してみる。
7.近代日本産育習俗における石の信仰—『日本産育習俗資料集成』を中心に- 宋丹丹(雲南大学)
近代における全国の産育習俗を集めた『日本産育習俗資料集成』をもとに、石を用いた産育習俗の290件に及ぶ事例を分析し、産育習俗と石との関係を分析した。とくに従来の研究では子授け、安産、子どもの成長など、無事に生まれ育つことを前提として分析する傾向が強かった。これに対して本発表では、安産祈願だけではなく、避妊、堕胎と間引きの習俗にも注目して分析を行った。産育習俗のなかで用いられた石は、安産を願うほかに、避妊や間引きにも用いられていたことを具体的に明らかにしたい。これによって、石に託された「産む」ことを願う民俗の心性だけでなく、「産まない」ことを願う民俗の心性にも迫ることができたと言える。
8.漢語を構成する単漢字の日中の意味の異同に関する考察—和製漢語を対象に- 黄叢叢(明治大学)
単漢字の日中両語の意味の異同が中国人日本語学習者における和製漢語の意味推測の難易と大きく関わることが指摘されている。しかし、両言語の意味の異同を同定するという作業は容易でない。これまでの研究では辞書の意味記述に基づき意味の異同を判定してきたが、辞書により意味区分や記述が異なり、中国人日本語学習者が単漢字から想起しやすい意味が辞書の意味記述と同じであるとは限らない。そこで、本研究では単漢字の日中両語の意味の異同について新たな判定方法を提案する。発表では中国語の単漢字の意味と一致している和製漢語とそうでない和製漢語を示し、その傾向について解説する。
9.律の運用から見る近世琉球法と中国法の比較研究—「違令」条を中心に- 王天馳(北京大学)
清朝と琉球王国の法典(『大清律例』/『新集科律』)には、「違令」という条目が存在する。この「違令」条は明律から受け継がれたものであるが、清朝及び琉球において「令」という制度そのものが存在しないため、「違令」条は形式的には維持されたものの、その立法当初の理念からは大きく乖離している。清朝と琉球はそれぞれ独自に「令」を法律上再定義したが、実際の運用において、清朝では「違令」条が官吏に対する懲戒処分条例として整備され、琉球では民間人の軽微な犯罪に適用されるようになり、いずれの場合も条文上の定義とは大きく異なる運用がなされている。
10.“Foreign Affairs”の訳語から見る中日外交機関名称の変遷-「外務」と「外交」を例として- 熊怡萱(北京大学大学院生)
英語の"Ministry of Foreign Affairs"は、現在中国では「外交部」、日本では「外務省」と訳されているが、近代において両国の外交部門の名称はさまざまな変遷を経てきた。本稿は、"Foreign Affairs"に対応する中日両国の訳語の推移を分析し、「外務部」「外交部」「外務省」が近代中国と日本でどのように使用され、両国の外交機関の沿革にどのように関わってきたかを考察するものである。また、「外務」や「外交」の語源にも着目し、それらが近代の外国人宣教師によって古代漢語とは異なる意味を持つようになった背景を明らかにする。
11.『清議報』対訳コーパスの紹介 古谷創(明治大学大学院生)
『清議報』(1898-1901)は横浜で刊行された中国語雑誌であり、日本語に由来する近代語(新漢語)の中国への伝播や、中国人の国家意識の生成という視角から研究されてきた。報告者は、同誌に掲載された中国語の翻訳記事とその出典の日本語雑誌記事を収録し、全文検索が可能な『清議報』対訳コーパスを構築している。本報告ではまず、構築の過程で明らかになった出典や原著者の情報を紹介する。さらに、原文と訳文を対照した例として、「国民」と「人民」の違いを取り上げ、同誌による「国民」意識生成の新たな一面を明らかにすることを目指す。
12.東亜同文書院『大旅行誌』から見た近代雲南の地域像-第八期生と第十五期生の記録を例に- 張琪(雲南大学大学院生)
東亜同文書院の『大旅行誌』を通じて、近代雲南の地域像を分析する。本研究は、1910年の第八期生と1917年の第十五期生の旅行日記を比較し、雲南地方の社会、経済、文化、政治、および意識の変化を考察した。第八期生は清末の安定した社会と現地住民との親近感を記録している。一方、第十五期生は軍閥時代の不安定さや外部勢力の影響を反映し、帝国主義の影響下で中国人に対する優越感を示した。本研究は、異なる歴史的背景に基づく雲南地域像の構造的および心理的変容を包括的に理解することを目的とする。
13.戦後漫画史における手塚史観の変遷について 小島淳之介(明治大学大学院生)
「漫画の神様」とも称される、手塚治虫。手塚を、映画的手法を取り入れ、戦後ストーリー漫画の起源となった漫画家とし、その存在を戦後漫画の中心に位置づける言説は多数見られる。そのような言説は、いわゆる「手塚史観(手塚中心史観)」と呼ばれる。本発表では、手塚自身も刊行に関わり、漫画の実作・批評・交流の場として革新的だったとされる漫画雑誌『COM』の読者投稿欄「ぐらこんロビー」を調査することにより、そこに見られる手塚治虫評価の特徴を考え、手塚史観の成立との関連を考察する。
14.日本の初期オスカー・ワイルド受容 佐野日菜子(明治大学大学院生)
日本の近代文学史において基礎を作りあげたとされているのは明治40年前後の自然主義である。それに対抗する形で現れたのが谷崎潤一郎を中心とする唯美主義である。谷崎ら唯美主義の作家たちはイギリスの作家オスカー・ワイルドの影響を受けていることが知られている。しかし、オスカー・ワイルド受容に関しては、同時代の資料に十分即した研究はこれまでなされてこなかった。本発表では受容初期のワイルド関連言説を調査し、どのような知識が日本にもたらされていたのか、そしてそれはどのように受容されていたのかを検討する。
15.『源氏物語』須磨巻における越境について 胡凌鋒(北京大学大学院生)
『源氏物語』の須磨巻は光源氏の須磨への出立ちと須磨での謫居生活を記述した。光源氏の須磨への退去は故郷から異郷までの移転を意味している。この意味で須磨巻は光源氏の「越境の旅」を主題にしたと言えよう。須磨巻の越境描写を分析すると、これらの表現は望郷の感情をはじめとする心境を表し、自己意識と帰属意識の変化を提示していることが窺われる。また、須磨巻は越境を通じて精神的な異郷を成立させながら須磨下りの物語を語ったと考えられる。
16.基本動詞「振る」の多義分析-認知意味論の視点からの考察- 殷雯麗(雲南大学大学院生)
動詞「振る」は使用頻度の高い基本動詞であり、多義動詞でもある。本研究は、「振る」の複数の意味の関連性を考察することを目的とする。まず、複数の辞書やコーパスのデータを基に、「振る」の意味カテゴリーとそのプロトタイプ的意味を明らかにする。次に、メタファー及びメトニミー理論を援用し、「振る」の意味拡張のプロセスを分析し、意味の関連性を示す意味拡張ネットワークを構築する。同時に「振る」の各意味の共起項を明示し、複数の意味を再記述・再整理する。キーワード:基本動詞 メタファー メトニミー 意味拡張