Go Forward

国際日本学研究科

第6回 国際日本学学術集会を開催しました

2025年10月30日
明治大学 国際日本学研究科

明治大学国際日本学研究科 宮本大人研究科長挨拶明治大学国際日本学研究科 宮本大人研究科長挨拶

北京大学外国語学院 孫建軍長聘副教授挨拶北京大学外国語学院 孫建軍長聘副教授挨拶

雲南大学外国語学院 劉樹森院長挨拶雲南大学外国語学院 劉樹森院長挨拶

田中牧郎教授による講演田中牧郎教授による講演

小森和子教授による講演小森和子教授による講演

金井雅弥さんによる発表金井雅弥さんによる発表

祁利威さんによる発表祁利威さんによる発表

黄叢叢助教による発表黄叢叢助教による発表

深田芽生さんによる発表深田芽生さんによる発表

2025年9月13日(土)・14日(日)、中国雲南省の雲南大学外国語学院において、第6回国際日本学学術集会が開催されました。
本学術集会は、明治大学国際日本学研究科、北京大学外国語学院、そして雲南大学外国語学院の共同で毎年開催される国際的な学術交流の場となっており、今回が6回目の実施となります。
今年度は初めての雲南大学での開催となり、会場では教員や大学院生だけでなく、学部生も含め全体で活発な議論と交流が行われました。

基調講演や研究報告、若手研究者フォーラムでは、これまでの日本語学・日本語教育学、文化・思想などの研究領域に加えて、明治大学から初めてポップカルチャー研究領域の研究者が発表を行うなど、日本学全般の多岐にわたるテーマについて議論が熱心に交わされ、参加者は2日間を通して学際的な視点を深めることができました。

今回の学術集会も、各大学や参加者全体にとって実り多い交流の場となりました。本学術集会で培われた知見と交流が、今後の研究のさらなる発展と国際的な学術連携の深化へとつながっていくことを心より願っております。

2025年9月13日(土)

午前会場:雲南大学外国語学院報告ホール
午後会場:雲南大学外国語学院310会議室

◇ 開幕式
   雲南大学外国語学院  劉樹森教授、院長
明治大学国際日本学研究科  宮本大人教授、研究科長
北京大学外国語学院     孫建軍長聘副教授

◇ 基調講演

1.国立国語研究所のコーパスと日本語学            田中 牧郎 (明治大学)
2.『訳述』の時代—蘭学者から洋学者へ—           孫  建軍 (北京大学)
3.昭和戦前・戦中期における児童読物統制と子供漫画—手塚治虫以前—
                              宮本 大人 (明治大学)
4.日本語学習者の作文評価を決定づける言語的特徴       小森 和子 (明治大学)

 

◇ 研究報告
5.『中華文明多元』という投射構築への検討
 —講談社『中国の歴史』第三巻『魏晋南北朝』を手がかりに— 趙 毅達(雲南大学)
6.中島錦一郎編教科書及びその言語的特徴           張  蔚(雲南大学)

◇ 若手研究者フォーラム① 
7.岡士(コンスル)についての一考察             鄧  述栄(北京大学)
8.明治期の夏目漱石における落語—自然主義との論争に着目して—金井 雅弥(明治大学)
9.日本のマンガ・アニメ・ゲーム・特撮における『中華風紅一点』の形成の研究
                                 祁 利威(明治大学)
10.中世における存在を表す『ものしたまふ』
   —『おはす・おはします』『わたらせたまふ』との比較—  余 飛洋(雲南大学)
11.中国絵本における石に変化した伝承                宋 丹丹(雲南大学)

2025年9月14日(日)

会場:雲南大学外国語学院310会議室

◇ 若手研究者フォーラム②
12.多義和語動詞の習得における教科書の影響         黄 叢叢(明治大学)
13.人物の性格と使用する人称詞との関係について
     —アニメーション作品を資料として—         深田 芽生 (明治大学)
14.視聴覚翻訳におけるアカムパニイングテクストの機能への一考察
     —『羅小黒戦記』の日本での受容を例に—       鄭 雁天 (雲南大学)
15.中級学習者の遅延ディクテーションにおける認知過程
     —構音抑制課題を用いた実験的検討—         邵 云彩(雲南大学)
16.『正常化』と『不正常』の語彙史的考察
     —近代中日外交用語における意味変遷と相互影響—   熊 怡萱(北京大学)

◇ 総合討論

参加した大学院生の印象記

学びの秋に得た実り/深田芽生(日本語学研究)

私は第3回の学術集会にも参加しており、今年は二度目の発表の機会となりました。第3回はオンラインでの発表でしたが、今回は対面で参加をさせていただけたことで、前回以上に多くのご意見を頂戴し、非常に充実した学びの時間となりました。
発表者の方々だけでなく、聴講で参加された大学院生の皆様からも関心を寄せていただき、研究を進める上で大きな励みとなりました。涼しく過ごしやすい秋の雲南大学で、学生研究者同士の横のつながりができたことも、個人的には大きな収穫です。今後もこの経験を糧に、研究に一層取り組んでいきたいと思います。
また今回はバンコクから変則的な日程での参加となったのですが、雲南大学をはじめ、関係者の皆様には初日からさまざまなお心遣いをいただきました。
全日程を通して温かく迎えてくださったことに、この場を借りて心より御礼申し上げます。
次回明治大学での開催の折には、このご厚意に少しでもお返しができればと思います。中野の地で皆様と再びお会いできること、心待ちにしております。

春の都で広がった視野/金井雅弥(日本文学研究)

残暑の東京を後にし、別名「春の都」と称される雲南省・昆明市に降り立つと、目の前に広がる圧倒的な都市のスケールに思わず息をのんだ。夏の間、研究室に籠り、ひたすら書物と向き合う日々を送っていただけに、その衝撃はことさら大きかった。この広大な地で行われる学術交流が、自らの思考にも新たな広がりをもたらすのではないか。そんな期待を胸に、私は会場である雲南大学へと足を運んだ。
学術集会当日はあいにくの雨だったが、会場内はそんな天候とは裏腹に、活発な議論がもたらす熱気に満ちていた。今年度はアニメやマンガといった新たな分野からの発表が加わったことで、学術集会はさらに多様なものになった。私は夏目漱石や落語について発表したが、雲南大学の方との質疑応答を通して、日本人が考える面白さが中国では自明ではないことを痛感した。この経験は、私に日本の文学や文化が持つ特異性を深く理解させる貴重な機会となった。
二日目の午後、雲南大学の方の案内で観光名所である翠湖を訪れると、雨上がりの昆明の空は澄み渡っていた。その空の下で、学術集会でのやり取りを思い出しながら、私は自らの視野が確かに広がったのを実感していた。
今回の学術集会は、雲南大学、北京大学、そして明治大学の三大学の交流が持つ可能性を改めて示す、意義あるものとなったに違いない。この実りある交流が、今後ますます発展していくことを願ってやまない。

燃え尽きた/祁利威(ポップカルチャー研究)

今回の昆明での二泊三日は、かなりハードスケジュールで、ほとんど毎晩6時間も眠れずに過ごしたが、それでも不思議と翌日も元気いっぱいであった。ある夜にホテルへ戻るバスで、隣の金井さんと延々と話していたところ、「こんな時間まで、よくそんなにテンション高いね」と突っ込まれたことを覚えている。
テンションが上がらないわけがない、成田空港を出発する時から、すでに胸が高鳴っていた。人生で初めて、大学の外で、同じ関心を持つ仲間たちと研究交流ができる機会であったから。昆明に着いてからは、主催の雲南大学の皆さんが温かく、細やかな心配りで迎えてくださり、交流会の二日間を通じて、雲南大学や北京大学の皆さんと、日本の現代文化まで含めて、数多くの興味深い議論を重ねて、いろいろな新しい視点を学ぶこともできた。
実は日本に来る前、昆明を何度も通り過ぎたことがあったが、今回見た昆明は、これまでに知らなかった「もう一つの顔」であった。懐かしくもあり、同時に新鮮で、すっかり魅了されてしまったのである。だからこそ、三日間ずっと高揚しっぱなしだったのであろう。
金井さんに「日本に戻ったらすぐに燃え尽きて倒れるかも」と冗談を返したが、実際に日本に戻った翌日、本当に二日間ぐったり寝込んでしまった。この文章も回復してから書いているものである。それでも、後悔はまったくなく、むしろ心から「もっと盛り上がっていたかった」と思っている。

要旨集(発表順)

1.国立国語研究所のコーパスと日本語学
田中牧郎(明治大学)
国立国語研究所は1948年の設立以来、言語生活研究と計量的・記述的研究とが、研究の真髄にあった。21世紀になって中核的な事業となったコーパス構築にもその真髄は継承され、構築されたコーパスを活用した日本語研究を精緻化、広域化させている。『日本語話し言葉コーパス』(CSJ)、『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(BCCWJ)、『日本語歴史コーパス』(CHJ)、『昭和・平成書き言葉コーパス』(SHC)を取り上げて、各コーパスの特質や、それらを活用した研究事例を解説し、これからの日本語学を展望する。

2.『訳述』の時代—蘭学者から洋学者へ—
孫建軍(北京大学)
明治時代は翻訳の時代と言われているが、この時代は蘭学の発祥に遡る。19世紀を境目に、前野良沢をはじめとして、一部の蘭学者は「訳述」という語を用いるようになった(『七曜直日考 金石品目 火浣布考 和蘭説言畧』1793年)。良沢は「按ルニ」を活用して、翻訳内容の補足説明を試みた。イエズス宣教師の翻訳を意識したものと考えられるが、訳者としての謙虚な姿勢が見てとれる。その後、大槻玄沢、宇田川榛斎、青地林宗などに引き継がれ、「訳述」は幕末明治の多くの洋学者に使用された。一方、中国において、明末清初のイエズス宣教師の翻訳に「訳述」の特徴も目立っていたが、表現として確認できなかった。

3.昭和戦前・戦中期における児童読物統制と子供漫画—手塚治虫以前—
宮本大人(明治大学)
日本の漫画(特に、いわゆるストーリー漫画)が、戦後、手塚治虫から始まったとする認識は、研究者の間ではともかく、一般には根強く残っている。しかし、実際には、田河水泡「のらくろ」(昭和6=1931年~)のヒットによって、最初の子供漫画ブームが起き、多種多様な作品が生み出され、それを教育的な観点から問題視する議論も起き、戦時統制と相まって、国による子供漫画に対する統制が行われるまでに至っている。本発表では、この時期、どのような論理で統制が行われ、その前後で子供漫画がどのように変容したのかを概観する。

4.日本語学習者の作文評価を決定づける言語的特徴
小森和子(明治大学)
教師が日本語学習者の作文をフィードバックする際、評価コメントを付すことが多いが、「語彙が豊かだ」のように抽象的なものが多く、具体性に欠く。生成AIを用いた評価研究が進む上で、評価を決定づける言語的特徴を把握することは急務である。そこで、本研究では、教師の評価を参照しながら、評価の高い作文の言語的特徴を分析した。その結果、「内容」「構成」「言語」等のコメント数と教師の評点に正の強い相関が認められた。また、一文当たりの名詞率や延べ語数における中級語の占有率等が有意な要因であることが確認された。

5.『中華文明多元』という投射構築への検討
—講談社『中国の歴史』第三巻『魏晋南北朝』を手がかりに—
趙毅達(雲南大学)
歴史学者トインビーの論断によれば、歴史著作や研究には必然的に著者自身の思想や価値観が永続的に反映される。本論文では、認知心理学の理論と方法を用いて、著者の創作思考様式および論理的認知の基本構造を探求することを試みる。テキストの比較研究を通じて、本稿は以下の観点から論証を進める。
(1)中華文明に関する多元的視点は、日本の学者自身の主体的認知および歴史的経験に基づく認識論から生じていること。
(2)日本における二元文明共有モデルが、著者の基本的な見解と研究アプローチに決定的な影響を与えていること。
(3)中華文明の「一元性」と中華文化の「多元性」は、両者が必ずしも矛盾するものではないこと。

6.中島錦一郎編書物及びその特徴
張蔚(雲南大学)
1906年に出版された中島錦一郎編『日清言語異同辨』が極早期の日中同形語辞典で、最初の日中同形語の著書である可能性が高い。しかし、中島錦一郎及び彼の著書は今迄の研究であまり注目されていなかった。本研究では、史料を使って中島錦一郎の経歴を可能な限り明確にするほか、『日清言語異同辨』を中心に、中島の「同形(同字)語」に対する認識を「字形」、「字音」、「歴史的な関連性」の三つの面から考察する。さらに、中島錦一郎編書物における発音表記について考察を行い、その特徴を明らかにする。

7.岡士(コンスル)についての一考察
鄧述栄(北京大学)
19世紀中葉、日本が正式に国門を開き、欧米諸国と国交を結んだ後、現場の外務事務を担当する官吏「Consul」が突然、大量に日本人の視野に入った。Consulという語は当初カタカナ表記で日本語に入り、1860年の『長崎地所規約』では既に「領事」と表記されていたが、consul—領事の対訳関係は当時まだ日本語として定着していなかった。公式な条約、文書では、Consulは主に片仮名表記で登場した。しかし新聞やその他の書簡、外交関係往来文書では、岡色爾や岡士、領事などの漢字表記も見られ、岡士が最多であった。岡色爾は岡士の原型として、喫霞仙客(柳河春三)校訂『横浜繁昌記』に早くから登場していた。その成立は『𠸄咭唎紀略』『海国図志』などの「岡色爾(Counsel)」の影響を受けた可能性がある。岡士は1863年以降、外交官の書簡や各種の外交文書に大量に登場し、長崎と横浜の通詞グループがこの用語の普及に極めて重要な役割を果たしたと考えられる。明治初期の『官許仏和辞典』(1871年)や『仏国民法覆議』(1877年)などにも「岡士」が登場したが、これはフランス語の執政官Consulの訳語である。これは既存の対訳関係から派生した新たな対訳関係であると考える。

8.明治期の夏目漱石における落語—自然主義との論争に着目して—
金井雅弥(明治大学)
明治後期に「余裕派」と称された夏目漱石は、当時文壇の主流を成した自然主義文学とは一線を画す独自の文学的立場を主張し、その文学観の相違から自然主義と活発な論争を繰り広げた。本発表は、そうした論争における漱石の言説を分析するために、落語というジャンルに着目する。なぜならば、落語は、自然主義が芸術の名の下に切り捨てた「娯楽」であったと同時に、漱石自身が自然主義を批判する際に積極的に引き合いに出した重要なジャンルであったからである。こうした視点から、漱石の自然主義に対する批評的スタンスの一端を明らかにしたい。

9.日本のマンガ・アニメ・ゲーム・特撮における『中華風紅一点』の形成の研究
祁利威(明治大学)
日本のマンガ・アニメ・ゲーム・特撮において、複数の男性キャラクターの中に数少ない中国風の女性キャラクターを配置する「中華風紅一点」という構造は、多くの人気作品に見られる顕著な傾向である。特に、『ストリートファイターII』における春麗というキャラクターは、「中華風紅一点」の形成において大きな役割を果たした。本研究では、春麗の成立とその影響に焦点を当て、「中華風紅一点」の形成過程を探り、この構造がいつごろ、どのような背景のもとで出現し、どのような影響を与えたのかを明らかにすることを目的とする。

10.中世における存在を表す『ものしたまふ』
—『おはす・おはします』『わたらせたまふ』との比較—
余飛洋(雲南大学)
本発表では、中世における存在を表す「ものしたまふ」「おはす・おはします」「わたらせたまふ」の用法を調査した。その結果、「おはす・おはします」は初出導入文を含む幅広い存在文となること、「ものしたまふ」「わたらせたまふ」は分布において傾向の類似もある一方、「ものしたまふ」は約60%が限量的存在文、「わたらせたまふ」は約80%が空間的存在文であって比重が異なることを指摘した。これらの違いは、個々の動詞の意味的な性質に起因する上、文体上の制約も認められる。

11.中国絵本における石に変化した伝承
宋丹丹(雲南大学)
中国には石の妖怪や石の霊力を題材とする絵本が数多く存在するが、本報告ではとりわけ「人が石に変化する伝承」を対象とし、それが絵本においてどのように描かれているのか、またその特徴や文化的意味を考察する。これによって、人が石をどのように想像してきたのかを分析したい。
発表の構成は四つの部分からなる。第一に、石に変化する伝承に関する絵本の全体像を整理する。第二に、その中でも特に「女性が石に変化する伝承」に焦点を当て、その特徴を明らかにする。第三に、女性が石に変化することの文化的意味について考察する。最後に、韓国の類例を取り上げ、東アジアにおける「石化伝承絵本」の広がりと意義について展望を示す。

12.多義和語動詞の習得における教科書の影響
黄叢叢(明治大学)
多義和語動詞は複数の異なる意味をもつため、学習者にとって習得が困難な項目である。その習得に影響を及ぼす要因の一つとして、教科書における提示方法が挙げられる。すなわち、教科書でどのように提示されるかによって、学習者の習得度に差が生じる可能性がある。本研究では「受ける」と「送る」を例に、中国人日本語学習者が使用した教科書の違いと習得度との相関関係、さらに教科書に意味が提示されている場合と提示されていない場合における習得度との相関関係を検討する。これにより、より効果的な教材開発への示唆を得ることを目的とする。

13.人物の性格と使用する人称詞との関係について—アニメーション作品を資料として—
深田芽生(明治大学)
従来の役割語研究において人物の性格は副次的に捉えられている要素であったが、近年では性格に起因する言葉遣いは、役割語とは似て非なるものであるという見方が新たに示されるようになっている。本発表では、特に人物像が表れやすいとされる人称詞を対象に①その使用頻度と一貫性、選択される人称詞に注目し、複数の性格との対応関係を明らかにすること、そして②なぜ特定の性格と人称詞の使用が結びつくのか、その理由を辞書の語釈や各人称詞のイメージ調査の結果から考察することを目的として、量的な調査を行った結果を報告する。

14.視聴覚翻訳におけるアカムパニイングテクストの機能への一考察
—『羅小黒戦記』の日本での受容を例に—

鄭雁天(雲南大学)
文化の海外発信が大いに推進されている中、その一環として翻訳は重要な担い手である。本稿は視聴覚翻訳の伝えられ方に注目し、『羅小黒戦記』の日本での受容を例に取り上げ、テクストの外縁・外部に位置付けられるアカムパニイングテクストに焦点を当てている。当該作の公式ウェブサイトを対象に、アカムパニイングテクストの分布と特徴を考察した結果、それの複合的利用により、動的等価の実現・受容されやすい環境の構築・長期的受容のための環境整備といった機能が果たされ、文化の共同構築と拡大に寄与したことが明確になっている。

15.中級学習者の遅延ディクテーションにおける認知過程
—構音抑制課題を用いた実験的検討—

邵雲彩(雲南大学)
本研究では、学習者の作動記憶容量の大小により、日本語文の遅延ディクテーションを行う際、音声の聴覚呈示終了時から筆記再生開始までの3秒間における音韻保持と意味処理の様相がどのように異なるかを調べるために、学習者には構音抑制課題を与えた。その結果、容量の大きい学習者は、文レベルの意味処理を引き続き行うのに対し、容量の小さい学習者は、内的に構音リハーサルしながら単語レベルの意味処理を行うことが明らかとなった。このことから、学習者が日本語文の遅延ディクテーションをする際、筆記再生開始時までに、文レベルまたは単語レベルでの意味処理が行われるため、意味理解が深まることが示唆された。

16.『正常化』と『不正常』の語彙史的考察
—近代中日外交用語における意味変遷と相互影響—

熊怡萱(北京大学)
「不正常」と「正常化」は、日中共同声明において高頻度で使用される重要な外交用語である。その語根「正常」は、中国古代漢語に由来するが、現代的な意味での使用は19世紀末の日本で確立された。当初はドイツ医学書の翻訳に用いられ、後に医学分野から社会・政治分野へと拡大し、中国にも逆輸入された。「不正常」は「abnormal」の訳語として同様の経緯をたどり、1930年代末までに外交文脈で使われるようになった。「正常化」は1920年に日本で登場し、「~化」という造語法が定着した後に普及した。「normalization」の訳語として、国家関係の修復を表現するために用いられている。意味の変遷を見ると、これらの語は初期の「規則に適合する」という原義から、20世紀初頭には「常規的、典型的」という現代的な意味へと拡大した。英語の概念が先行したものの、訳語の導入と使用においては中国と日本がほぼ同時期であった。

明治大学大学院