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川崎ブランドデザイン有限会社 代表取締役 川崎力宏さん(2007年卒業)

川崎ブランドデザイン有限会社 代表取締役 川崎力宏さん(2007年卒業)

プロフィール



2007年明治大学政治経済学部経済学科を卒業後、パナホーム株式会社(現パナソニックホームズ株式会社)入社。2009年、家業である地元大分のゼネコン株式会社佐伯建設を継ぐべく帰郷するも、先代(父)が早逝。経営方針の違い・事業承継が進まないことから、2012年独立し、川崎ブランドデザイン有限会社の代表取締役に。2014年法政大学大学院に進み、MBA・中小企業診断士を取得。
大学時代は小劇団での舞台上演に力を入れていた。趣味は建築写真で、世界一周・60カ国の渡航経験を持つ。根本孝先生(故人)の経営学ゼミナールに所属。

現在の仕事について

銀座ビル外観+ギャラリー内観。戦前から残る東京・銀座の近代建築を自社ビルとして取得。解体予定の廃墟から、本来の美しい姿のビルヂングに。アートによる建築保存を実践しています ニューヨークビル、管理風景。NYウォール街の旧商業取引所ビルを区分所有。自ら渡航し、問題解決することも。アメリカ建国に絡むヒストリカルな場所で、911の復興目覚ましいエリアに拠点を構えることで、視野が広がりました

2012年の独立後、解体予定で当時廃墟だった東京・銀座にある近代建築ビルを取得。自ら改修コンバージョンを施し、MUSEEGINZAギャラリーを開廊。現代アートや工芸美術品を公開するほか、展覧会の企画キュレーションを行っています。中小企業診断士として、企業展示も手掛けることも。竣工から90年を迎え、2022年は重要文化財登録を目標にしています。
また、世界各国(NYウォール街、バンコク、KL、マニラ、ホーチミン等)に、都市のランドマークとなる不動産を、国内では新橋駅前ビル等も所有。新橋は建替えが決定し、三井不動産が主幹事で進む新橋駅東口再開発メンバーとして積極的に提言しています。建築・不動産の特性を見極め、単にハードだけでなく、社会に根ざすソフト・運用方法を常に意識しています。

現在の仕事を選んだきっかけは?

ハウスメーカー時代の写真 新卒後入社したハウスメーカー勤務時代、初受注のお施主様ご一家と。戸建営業として資金計画・基本設計をしましたが、松下幸之助イズムの社風で、お客様の人生と向き合う建築の本質を学びました

卒業後ハウスメーカーで修行し、営業の全国表彰を戴くほど働きました。2年で退社し、100年続く老舗企業、子会社含め400人社員を抱える家業のゼネコンを継ぐべく地元大分に戻り、新商品開発や経営企画に従事。4代目として事業承継が既定路線でしたが、先代(父)が逝去し状況が一変、27歳のとき、急転直下で独立する判断を下しました。もともと地元出身の世界的建築家磯崎新さんの建築保存プロジェクトや、ネオダダという現代美術集団の作家をサポートしていた家庭で育ったので、根っからの建築・アートのフリークでして。仕事は意図して選んだというより、修羅場を乗り越え、好きが高じて数奇な運命で辿り着いたイメージです。銀座ビルと出会い、保存することになったのは必然だったかもしれません。

現在の仕事について、学生時代に抱いていたイメージとギャップを感じるところは?

在学中は、就活!就活!と有名企業の総合職サラリーマンを目指す流れが多数派で、家業を継ぐイメージはまだありませんでした。大手6社の内定こそ得ましたが、日本は中小企業が大多数で、いつか家業に戻るという似た境遇の同期も多かったです。勤め人はキャリアパスがあり、学生の延長のような雰囲気ですが、私のように独立し経営する立場では全く異なり、頼るものはなく自らの意思、経営判断が求められます。もっと早く自身を直視し、在学中に起業するくらいの勢いを持てたら、カッコよかったと思います。

仕事をしていて一番うれしかったことは?

コレクション展示。21年11月、弊社コレクションを貸与し、中村キース・ヘリング美術館に隣接するホテルキーフォレスト北杜(山梨県)にて、トヨタ自動車「カローラクロス」協賛による山口歴特別展示が実現。アートの可能性は無限大です

不動産活用をハードだけなく、ソフトから価値を生み出すべく始めた展示の仕事は、意義やコンセプトを深く追求するスタイルで臨むため、クライアントとは二人三脚で作り上げるイメージ。毎回驚きと発見があり、展示が注目されると嬉しいですね。
また、NY在住の現代アーティスト山口歴さんがまだ無名の頃、彼の可能性を見出して初期15作品を購入。沢山コレクションしたことが、アーティストとして成功する契機になったそうで。今やユニクロやトヨタ自動車とコラボするなど国際的な注目を集めつつあります。不動産やアートの選定は、人の生き方や考えやセンスが問われますが、私の審美眼・選択眼は正しかったと、活躍の報告を受けるたびに嬉しく思います。

また一番つらかったことや苦労したことは?

やはり家業だった100年企業からの独立です。建築は耐用年数ゆえ、永いお付き合いの世界。地元大分を離れ、古くからのお客様を裏切る感覚に陥りました。主な原因は、非公開株の相続による困窮のなか、旧態然と前例と既得権益に甘んじ地銀・行政・政治家が癒着する経営を、新しい感覚で蘇らせようとビジネスモデル変革を迫ったことです。大学で学んだ講学上の知識だけでは解決できない、全国の中小企業が抱える事業承継や事業構造の問題が凝縮した修羅場を経験しました。独立から10年が経過し、反面教師的ではありますが良い勉強できたと回顧しています。その反動で、銀座を拠点にし、海外に目を向けることができています。

在学時の学びが現在の仕事に生かされていることは?

ラジオ出演。中央FMラジオシティの情報番組に出演し、企画した展覧会の告知。銀座愛あふれるDJのJUMIさんと毎回トークを楽しんでいます

高校時代は落ちこぼれ。指定校推薦を進められましたが、自分のためにならないと辞退し、福岡の予備校でゼロから猛勉強。1浪し自力で入学した明治大学でしたが、社会に出て今思うことは、ただ単なる知識、大学でのカリキュラムや資格取得だけでは、実際の現場では太刀打ちできません。それらをベースに複合し、独創的な発想を上手に提示できるかが重要です。明治大学は、全国から集まる多様な人材の宝庫。その価値に触れたことが、視野を広げてくれ、大胆な意思決定ができる今の人格を形成したように思います。都心にそびえる眺望のよい超高層タワーで勉強できたことは、独立後に東京に戻る契機となり、今の不動産開発の原動力になっている気がします。誰に言われたわけでもなく、在学中に個人バックパッカーで極寒の欧州を1ヶ月間周った経験や、小劇団を立ち上げ挑んだ舞台の創作など、その総て、能動的に動くスタイルこそが、今につながり活きています。

在学時の経験から、おすすめの授業、プログラム、学部独自の支援は?

文化庁講演の様子  文化庁主催シンポジウムで。銀座ビルのアート活用した建築保存について講演しました。【写真提供 全国近代化遺産活用連絡協議会】

ゼミでお世話になった根本孝先生(故人)は、政経・経営2学部のゼミを永年持たれた偉大な先生で、毎週のゼミだけは緊張感を持って臨みました。優しい口調からの、少しだけシニカルな機知と、ピリリとした鋭い目線、指摘が忘れられません。経営学の用語から始まり、基礎の総て教わったと言って過言でありません。優秀なゼミ同期とディスカッションを重ね、喧々諤々しましたね。 卒業論文は、当時注目され始めたばかりの「企業ブランディング」をテーマに苦労して書き上げ、現在の社名に活きています。先生は、私の奔放な行動を咎めるのではなく、個性を伸ばし後押ししてくださったと思います。生涯学び続けることを約束しましたが、卒業1年後に逝去されてしまいお会いすることが叶いません。独立し5年後の2014年、経営の知見をより深めるため、お隣の法政大学院(MBA)に進んだ折、学会では有名人だったと根本先生のことを覚えている研究者もおり、なんだか嬉しかったです。

政治経済学部在学生に向けてメッセージをお願いします。



明治大学を卒業して15年が経過しましたが、大学進学はただの通過点。高卒や専門卒でも、活躍する人も多い世の中です。せっかく総合大学に進むのですから、バランスの良い講学のエスカレーターに乗りつつも、好奇心の赴くまま(良い意味で)遊び尽くし、アルバイトをし、年齢や肩書にとらわれない人脈を作ることをオススメします。それを言い訳に日々の講義、ゼミ・卒論を手抜きするのは容易いですが、本質的に無意味なことです。一日も早く自立すべく、社会に出てからが勝負です。勉強は一生涯続きます。目先のミクロ、俯瞰したマクロ、双方の視点で自身の人生を捉えてみてください。応援しています。