Go Forward

第2回「ガクの情コミ」学際研究ラボ開催!

「ガクの情コミ」学際研究ラボ テーマ「流行」

INDEX

流行は「造る」ことができるか(後藤晶 専任講師)

 (司会進行 横田貴之 准教授)

【映像】

流行は「造る」ことができるか(後藤晶 専任講師)



 私は行動経済学や、実際にいろいろな実験をするような研究をしています。その中でも社会的選好といったものに主に興味を持っています。人間は自分自身の利益だけではなく、他の人の利益のことも考えて意思決定を下している、といった議論について、研究しています。
 今回流行を好むことを、「他者を考慮した選好」として捉えて、果たして流行とは、どうやって造られているのかを考えてみたいと思います。
流行とは社会的に造られているだろうと考えます。今回は、バンドワゴン効果と呼ばれるものと、スノッブ効果と呼ばれるもの——みんなが持っているものが欲しい、それに反して誰も持っていないものが欲しい、という相反する心理によって流行はある意味造られている、という話をします。
 そして最後に、流行による消費は誰のための消費なのだろうか、といったことみなさんと考えてみたいと思います。
ここでは話さないこと
 個々の流行に関する価値判断、例えばこういうのはいい流行だとか、もしくは、こういうのはよくない流行だ、という議論については触れません。また、確実に流行を造る方法というのも触れられたらいいのですけれども、そういう方法があれば私がその方法を実行して一攫千金を狙いますので、お話ししません(というか、お話しできません)。
我々は他者の「評判」を気にする生き物である
 我々は何もかもの意思決定をする時に対して、自分のことだけではなく、他の人の利益もしくは他の人の評判というものを非常に気にする生き物である、と言えます。皆さんも普段、人の目というものを気にして何かを買ったり、もしくは行動を決めるということはあるかと思います。従来の経済学では、この「評判」や「他の人がどう見ているか」などというものを十分に考慮に入れた議論は行われてきていませんでした。
社会的選好
 このような、自分のことだけでなく他の人のことも考慮した選好のことを社会的選好と言います。
「あの人は他の人に優しい人だ」とか、「あの人は自分のことしか考えない人だ」といった評判は、もちろん前者は良い評判につながるでしょうし、後者は悪い評判につながります。
 人間というのは他者の存在を気にする存在です。人間は他者との関係、すなわちコミュニケーションの中で生きているというのは、皆さんにも十分ご理解いただけているかと思います。
流行の形成過程を考えてみる バンドワゴン効果・スノッブ効果・ヴェブレン効果
 ここで、流行を3つの観点、主に議論するのは2つですけれども、ライベンシュタイン(Leibenstein, 1950)の言及をもとに少し考えていきたいと思います。
 1つはみんなが持っているものが欲しいという、バンドワゴン効果と言われるものがあります。
そして、他人とは違うものが欲しいというのは、スノッブ効果というものがあります。
 さらには、限られた人だけが持っているものが欲しい、というヴェブレン効果というものもあるのですが、今回はバンドワゴン効果とスノッブ効果の2つを中心に議論したいと思います。
みんなが持っているものが欲しい─バンドワゴン効果─
  まず、バンドワゴン効果とは何か。いわゆる多数派の意見に同調するとか、もしくは多くの人が持っているもの、同じ商品を持っている人が多いほど効用が増加する、正の外部性を持った財に関連したものをバンドワゴン効果と呼びます。言葉を変えると、他者と同じになりたい。もしくは、他者と同じものを持ちたい。他者と同じになりたいような願望を反映しています。例えば、持っていないことが恥ずかしいといったようなものは、ある意味で流行を押す要素になるかと思います。
 こういった効果を期待してマーケティングに使うのであれば、「売れ筋No.1」とか「みんな使っている」、「行列を見るとついつい気になってしまう」というような表現になるでしょう。
 換言すれば、同調効果という言い方もできます。ただ、行き過ぎると同調圧力、すなわち同じものを持っていないと、もしくはみんなと違うことによって負の効用が生じてしまうこともあり得ます。
 バンドワゴン効果はいろいろなところで観察できます。例として、日本におけるスマートフォンの市場を考えてみましょう。日本の携帯市場と世界の携帯市場は、かなり大きな違いがあります。日本の携帯市場はiPhoneとAndroidが大体65対35。iPhoneを使用している人が多数派です。私もiPhoneを使っています。
 一方で、世界の携帯市場に目を配ってみると、10対90でAndroidのほうが多いのです。日本の市場とは全く逆転した状況になっています。日本でiPhoneが圧倒的にシェアを占める理由として、日本人はデフォルト(初期値)が設定されると、その選択肢を選び続けてしまう,すなわちファーストチョイスとしてデフォルトとなった iPhoneを選択してしまいがちになります。いったんスマホ=iPhoneという認識がされてしまうと、その後ずっと続けて買ってしまうのです。それをデフォルト効果とも言います。
 そもそも日本人は独自性欲求が低いとも言われます。要は、右に倣え、なのです。バンドワゴン効果が起きやすい文化的土壌を有しているという指摘がされています。言葉を変えれば、海外の人には次から紹介するスノッブ効果と言われるものが効きやすいなどといわれています。
誰も持っていないものが欲しい─スノッブ効果─
 スノッブ効果とは、他の人と違うもの、誰も持っていないものを持ちたい、個人のオリジナリティー、独自性を示したい、という願望です。流行とは逆のように思われるかもしれませんけれども、スノッブ効果から流行が始まることもあります。
 同じ商品を持っている人が多いほど、効用が下がってしまう負の外部性効果という分類がされたりしていますが、ある意味で他者と違うものになりたい願望ともいえます。他の人が持っていないものが欲しいとか、手に入りにくいものが欲しいというものが挙げられます。
 もしこれをマーケティングで使うのであれば「他人と違う」とか、もしくは「あなただけの」といった言葉になるでしょうか。もしくは、少し変えてみれば、限定商品とかタイムセールなどの形を利用することになるでしょう。限られた期間・時間でしか手に入れられない。そうすると、他の人は手に入れることができないわけですから、そういったものもある意味で消費を促すというか、流行にもつながる要因かと思います。
 これはスノッブ効果の事例になるかと思いますが、アサヒスーパードライ生ジョッキ缶というのがあります。2021年の発売当初は品薄で全然手に入らずニュースにもなりました。近所のコンビニにもなかったけれども、ついに入荷しました、というような。こういった商品は品薄であることによって、余計欲しくなるという側面があります。
 ビール会社が品薄状態を意図的につくり出しているのかまでは分かりませんが、他にも地域限定や期間限定商品などという商品もスノッブ効果の影響があると考えられます。(商品の写真を示しながら)こういうものを見るとビールが飲みたくなりますよね。
限られた人だけが持っているものが欲しい─ヴェブレン効果─
  今回は詳しく説明しませんが、限られた人が持っているものだけが欲しい、というものに、ヴェブレン効果というものもあります。これは、いわゆる「ドラえもん」のスネ夫的な話にもなるかと思います。高いものを所有して自慢したい、見せびらかしたいという、自己顕示性につながります。ライベンシュラインは、ヴェブレン効果とバンドワゴン効果およびスノッブ効果を価格の関数と他者消費の関数として区別しています。今回は価格の論点は少し置いておいて、他者が消費する、という観点から検討したいと思っていて、バンドワゴン効果とスノッブ効果に注目します。
 例えば、こういった観点から実際に行われているようなマーケティングや、そういった事例を考えてみたいと思います。
コロナ禍のディズニーリゾートはどうだったのか?
 例えば、コロナ禍のディズニーリゾートというのを少し考えてみましょう。ディズニーリゾートは、コロナ禍においては開園はしていたものの、入場者制限をしていました。そのときにチケットを予約しようとすると、「ただいまアクセスが集中しておりアクセスしにくい状況となっております」という画面表示になり、予約できない状況が長く続きました。サーバーが落ちてしまうのがわざとなのか、それともスペック不足だったのかまでは分かりませんけれども、これは、恐らくは人数を限定するためという側面もあったかもしれません。
 こういった現象が重要なのは、みんながチケットを手に入れられないということです。どうにかして入手したい。手に入れた人は、より喜んでディズニーリゾートに行くことになったでしょう。こうしてディズニーリゾートがコロナ禍においてもブランドとしての価値を保ち、さらに高めることにつながったことは、スノッブ効果の観点からも指摘できる点です。
 一方で、バンドワゴン効果は逆に、ディズニーリゾートに行ってみたら大行列や人の山であった。これがもたらすところは、みんなが見ているから、体験しているから、自分も見たい、体験したい、ということになります。まさにバンドワゴン効果で説明できるところかと思います。
 もしくは、実際に行けなくても、例えばSNSでみんなが行っている、みんながアトラクションに乗っているといった姿が掲載されるのを目にします。行けなくてもその姿を見るのは、バンドワゴン効果につながります。みんなが乗っているのに自分が体験できていないというのは悔しいから、行って乗りたい、という効果にもつながります。
我々の消費は自由か?
 そう考えてみると、我々の消費は果たして自由か?ということも論点になりそうです。自由意思(意志)とは、何ものにもとらわれずに自由に意思決定を行えるような意思と言われます。これは決定論と対比されます。決定論とは、物理学的法則が人の意思決定にも応用可能である、と考えるようなものです。つまり、過去の意思決定によって、現在・将来の意思決定が自動的に決まってくるという考えです。
 例えば、CMを見て何を買うのかは、それは果たして皆さんの自由意思なのでしょうか。先ほど私がビールの話をしましたが、それで皆さんがビールを飲みたくなったら、それは私のせいでしょうか。個人が消費をするというのはどこまで自由なのか、考えなければいけない難しい問題をはらんでいると思うのです。
 意思決定は、ある意味で誘導されてしまう側面もあります。果たして、それは自由意思なのでしょうか。われわれの意思決定には何らかのバイアスが存在してしまっています。我々の意思決定に何らかの偏りが生じてしまっているとすれば、我々の自由意思を十分に発揮できていない可能性もあります。
個人が流行に乗って何かを買うというのは、果たしてそれは皆さんの自由意思によるものなのでしょうか。もしかしたら同調圧力とか強迫観念といったものに押されて消費をしている可能性はないのか。それもまた論点になってくるかと思います。
企業と消費者・個人の関係で考えてみる
 例えば、企業と消費者個人の関係で考えてみましょう。企業側としては、「消費者・個人を理解することで一定程度の介入が可能」だからこその研究を深めています。
 一方で、消費者や個人としては、「流行は社会的に「造られている」側面もある」ことを理解して、ソフィスティケイテッドな消費者や個人になるように留意する必要があるかと思います。
 行動経済学の知見は、消費者としての個人の意思決定、こういったものの現状を理解するといった側面もあります。
法律との論点─流行は規制されるべきか?─
 さらに今回は、法律の今村先生と教育の社会学の鈴木先生からご発表いただいていましたので、今回の話と関連しそうな論点を少し紹介したいと思います。
 はじめに、流行は果たして規制されるべきなのでしょうか。私は個人的には少し難しいと思っています。例えば消費者は、流行とステルスマーケティング、いわゆるステマを区別できるのでしょうか。
 さらには、過度な流行というものは規制されるべきなのでしょうか。これも結構難しい気がしています。流行に乗るために借金をしてしまうような消費者、そういった者も存在するかもしれません。
 例えば、ステマをステマだと理解できる消費者になることができれば良いのですが、少なくともステマをステマだと理解できないような、ある意味ナイーブな消費者も存在するわけです。そういったナイーブな消費者をどこまで保護するべきかは論点になるかと思います。
 消費者庁が行った調査がありまして、広告である旨の文言についての消費者理解に関する意識調査です。「これはアフェリエイト記事です」と書いてあっても広告だと思う人は27%だったり、ズバリ「広告」と書いてあっても80%の人しか広告だと思っていないのです。
(出典)
 言葉を変えると、広告を広告だと思えないナイーブな消費者が一定程度存在してしまいます。とすれば、流行と広告を区別できないような消費者も存在し得るわけです。そういった消費者をどこまで保護するべきかを少し考えても、私は答えが出ずにいるところです。もちろん消費者の自由は大事だなと思っています。
教育との論点
  各教育段階において、消費者教育はどこまで求められるのでしょうか。例えば、特別な教育等を行わないままでは、少なくともいまご紹介した調査結果に表れているとおり、きちんと広告と理解できなかったり、もしくは流行との付き合い方が分からないことにもなってしまわないでしょうか。こういった側面からも、流行との付き合い方は結構難しいのではないかと思います。