② 私的領域に関与しない公教育
鈴木雅博(以下鈴木): 高馬先生から社会的差別を是正する方策の1つとして、フランスでも制服などを導入する動きがあることなどのご指摘がありました。
基本的な考え方としては、公教育は私的領域には関与しないのが基本的なスタンスだと思うのです。公教育は、公的なある種の権力作用でもあるわけです。市民の育成という部分について教育は行うけれども、宗教であったり服装であったり、そういった部分については基本的には公権力、公教育はノータッチです。
まさに逸脱として、本当に露出が大きい、下着が見えてしまうような服を着てくる場合には、それはいわゆる公序良俗の範囲という形で、やはり一定程度の規制というのはあると思います。しかし服装は基本的には自由な領域として担保されます。
しかし、ご指摘いただいたように、階層の差であるとか、それぞれの環境の差であるとか、思想とか宗教の差というものが、服装によって現れることは、ままあるわけです。そこで結果何をやるのかというと、そういったことは持ち込んではいけない、ということになっています。
たとえば宗教に関しては、イスラム教徒が女性はイスラムの考えに基づいた服装をしてくることとか、スカーフをかぶってくるとか、そういったことについてはライシテ(laïcité 宗教的な中立性)として、禁止しているわけです。これはもちろん、イスラムというマイノリティーにとっての差別ではないのかとフランスでも大変論争になったところではあります。一方でキリスト教徒も大きな十字架のようなネックレスを着けてくること自体禁止されているそうです。
基本的に個人的な領域について学校は関与しません。自由が原則です。しかし、そういったものを学校の中に持ち込むということについては、一定程度の制約や規制が行われます。その差別を持ち込まないように制服を、というのも1つの動きだとは思うのですけれども、恐らくこれは非常にマイナーな、それほど一般化していない動きだとは思います。