文学部紀要
「文芸研究」総目次(第81号〜第90号)
第90号(2003年3月28日) 特集号 翻訳とは何か 在庫少
| 小鷹 信光 | わが創作と翻訳を語る |
| 大崎 ふみ子 | イディアッシュ作家と翻訳─アイザック・バシェヴィス・シンガー『ショーシャ』の翻訳をめぐって— |
| 上岡 伸雄 | 翻訳をすること,教えること |
| 須山 静夫 | クレバスに心せよ! |
| 立野 正裕 | 千と一のトルソー抄 |
| 渡辺 好久児 | 『寿詞石腸児』と田中如倫─地方における文芸の諸相─ |
| 小谷野 敦 | 『源語提要』の著者について─五井蘭洲と村田春海─ |
| 原 道生 | ウィーンの一週間 |
| 高田 勇 | パリが黒かった頃 |
| 佐藤 正紀 | リチャードの剣 |
| 玉井 崇夫 | CD版『山口茂吉日記』余録 |
| 斎藤 英治 | E・アニー・プルー著『シッピング・ニュース』(上岡伸雄訳) 風と水─無力な者の再生の物語— |
第89号(2003年1月28日)
| 亀山 照夫 | ニューヨークの世紀末的位相─アメリカの悪夢によせて─ |
| 伊藤 真紀 | 能における「我」の行方─明治と大正の断層─ |
| 永藤 靖 | 喪屋と産屋─鳥をめぐる覚え書き─ |
| 日向 一雅 | 「若紫」「紅葉賀」「花宴」巻の準拠・典拠についての諸注集成と注解─源氏物語の準拠・典拠についての研究(三)─ |
| 内村 和至 | 荷田春満の仮名序研究をめぐって(上)─国学における反・文献学の系譜─ |
| 宮越 勉 | 『暗夜行路』における子ども |
| 鈴木 浩 | 平安期訓点資料の「用言−ガ+用言」 |
| 岩井 憲幸 | 『スヴャトスラフの文集』1073年─その文献学的特徴若干について─ |
| 藤井 宏尚 | スタンダールにおける相対主義的思考─その知的源泉と形成過程について─ |
| 杉山 利恵子 | 《tout+ジュロンディフ》の用法 |
| Toshihiko Kubota | A Study on the Spoken Word : A Preliminary Study on its Textual Aspects |
第88号(2002年9月28日)
| 永藤 靖 | 蛤変じて鶯となる話 |
| 日向 一雅 | 「帚木」巻の準拠・典拠についての諸注集成と注解─源氏物語の準拠・典拠についての研究(二)─ |
| 西本 香子 | 『うつほ物語』王政へのまなざし─物語冒頭にみる歴史認識から─ |
| 吉田 暁子 | 『徒然草』と仏教─第二百三十五段における「心」をめぐって─ |
| 神鷹 徳治 山口 謠司 |
『黄山谷詩集註』外集及び別集註所引の白氏詩文の本文について |
| 櫻井 泰 | トーマス・マンの「ゲーテのまねび」imitatio Goethe's─『トーニオ・クレーガー』をめぐって─ |
| 鈴木 浩 | 日本語属格の周縁─意味上の主要部を後項に認めがたい型─ |
第87号(2002年2月28日)
| 永藤 靖 | 殺生と肉食─『法華験記』・第七十三 浄尊法師について─ |
| 大野 順一 | 一条天皇と道長─源氏物語の好色性(上)─ |
| 宮越 勉 | 『暗夜行路』のモザイク構造─時間と空間、類似と対照─ |
| 神鷹 徳治 山口 謠司 |
〔台湾〕国立中央図書館善本書目所蔵 朝鮮本及び和刻本漢籍 |
| 立野 正裕 | ソロモンの洞窟と毒茸─閉塞する空間(2)─ |
| 佐藤 正紀 | 「俳優の芸術」という課題─その問題点をめぐって─ |
| 田母神 顯二郎 | 一九二〇年代のミショーにおける<言葉><もの><身体>─メルロ=ポンティの身体論的観点から— |
| 山口 舞 | 人間的自立とは何か─『エデンの東』における《timshel》の概念をめぐって |
| 鈴木 浩 | 近世上方語のミルヤウナ─ミタイダ成立前史─ |
| 岩井 憲幸 | 『アルハンゲリスク福音書』1092年本文における形容詞類の長・短両語尾形について |
| 藤井 宏尚 | スタンダールあるいはBon Europeen(2)─「国民」Nation意識のもつ意味について─ |
第86号(2001年8月28日)
| 永藤 靖 | 『法華験記』と愛太子山─トポスとしての愛宕山─ |
| 日向 一雅 | 「桐壺」巻の準拠・典拠についての諸注集成と注解─源氏物語の準拠・典拠についての研究(1)─ |
| 大野 順一 | 兼好の「色好み」論 |
| 宮越 勉 | 時任謙作の人間像をめぐる考察─『暗夜行路』の展開に即して─ |
| 立野 正裕 | 閉塞する空間(1)─地下鉄と塹壕と神経症─ |
| 石原 竹彦 | ゲルショム・ショーレムのヤッフェ宛ての書簡について─ショーレムの学問論をめぐる考察─ |
第85号(2001年2月28日)
| 永藤 靖 | 模倣する<国家>─斉明紀にみる蝦夷への饗応儀礼について─ |
| 宮越 勉 | 『暗夜行路』における原風景とその関連テーマ─「序詞」の形成とその遠心力─ |
| 阿部 由香子 | 池谷信三郎のコスモポリタニズム─二つの「三月卅二日」─ |
| 藤井 宏尚 | スタンダールあるいは Bon Europeen(1)─スタンダールにおける18世紀的側面について─ |
| 岩井 憲幸 | 『アルハンゲリスク福音書』1092年の Menologion についての覚 |
| 玉井 崇夫 | ジェノヴァの二つの鐘─『聖アントワーヌの誘惑』小考─ |
| 神鷹 徳治 山口 謠司 |
『中国版刻図録』(清版)書名索引 |
第84号(2000年9月28日)
| 大野 順一 | 伊勢物語と色好み |
| 永藤 靖 | 『法華験記』の山の持経者─山岳信仰のコスモロジー─ |
| 内村 和至 | 国学的想像力の圏域─上田秋成と柳田国男(その三)─ |
| 亀山 照夫 | ことばの氾濫と鎮静─ハウエルズの『新しい運命の浮沈』論─ |
| Yoshie Kimura | Byronic Venice─Mental Landscape of the Venetian Plays─ |
第83号(2000年2月28日)
| 大野 順一 | 水の吉野─記紀・万葉における伝承をめぐって─ |
| 永藤 靖 | 僧の誕生する時─『法華験記』に見る六道輪廻譚─ |
| 下出 積與(監修) 比護 隆界 宇佐美 正利 栗林 史子 桜田 和子 柳町 時敏 |
『訓註 扶桑略記』(14) |
| 野毛 孝彦 | 芭蕉─「乞食の翁」─6 |
| 内村 和至 | 賀茂真淵における「ひとつの心」─<空虚>の内部構造について─ |
| 宮越 勉 | 『暗夜行路』における悪女たちのエピソード─栄花の章の形成とその遠心力─ |
| Yoshie Kimura | The Private-Public Conflict Mental development in Byron's Venetian Plays |
| 藤井 宏尚 | スタンダールにおける「読者」─小説と遺書を中心に─ |
| 岩井 憲幸 | 『アルハンゲリスク福音書』1092年のSynaxarion 部分について |
第82号(1999年9月28日)
| 亀山 照夫 | 十九世紀末の黄昏─ヘンリー・アダムズの時代との格闘─ |
| 大野 順一 | 万葉の恋歌ノート─「恋ひ死ぬ」「恋ひわたる」「恋ひわぶ」考─ |
| 永藤 靖 | 『法華験記』のさまざまな持経者たち |
| 下出 積與(監修) 比護 隆界 宇佐美 正利 栗林 史子 桜田 和子 柳町 時敏 |
『訓註 扶桑略記』(13) |
| 内村 和至 | 国学的想像力の圏域─上田秋成と柳田国男(その2) |
| 宮越 勉 | 志賀直哉「范の犯罪」とその周辺─「右顧佐顧」からの脱却─ |
| 神鷹 徳治 山口 謠司 |
『中国版刻図録』(明版)書名索引 |
第81号(1999年2月27日)
| 大野 順一 | 古事記の男と女─集団的なものから個人的なものへ─ |
| 永藤 靖 | 『法華験記』と夢の力─往生人の夢─ |
| 下出 積與(監修) 比護 隆界 宇佐美 正利 栗林 史子 桜田 和子 柳町 時敏 |
『訓註 扶桑略記』(12) |
| 内村 和至 | 国学的想像力の圏域─上田秋成と柳田国男(その1) |
| 武田 清 | デルサルトの表現システムについてI |
| 木村 信子 | 時間軸を越えて─石牟礼道子とジュリア・クリステヴァ─ |
| 志田 均 | テクストと欲望─『ドンビー父子』試論─ |
| 岩井 憲幸 | 『アルハンゲリスク福音書』1092年のテクスト第2部分の外形的特徴について |
| 富重 与志生 | 素人画家は素人詩人となる─モーリッツの「ゲーテのある絵について」をめぐって─ |
| 松澤 淳 | 非政治的人間の「共和国」について─1918年から1922年までのトーマス・マン─ |
| 牧野 有道 儀部 直樹 宇野 雅章 富田 珠世 植芝 牧 訳 |
C.L.Karcher 著『スフィンクスの謎─メルヴィルの「ベニト・セレノ」とアミスタッド号訴訟事件』<後編> |







