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「文芸研究」総目次(第131号〜第140号)

「文芸研究」総目次(第131号〜第140号)

第138号(2019年3月26日) 特集 森鷗外 新資料発見
森 林太郎 
訳 井戸田 総一郎
 「演劇問題に就いて」
井戸田 総一郎  「演劇問題に就いて」の解説
神山 彰  森鷗外のなかの依田学海と末松謙澄—まだ見ぬ「演劇」を求めて—
S.S.S
訳 井戸田 総一郎
 「おもかげ」
井戸田 総一郎  「おもかげ」の解説
小野 正弘  詩の脚韻—『於母影』と『マチネ・ポエティク詩集』—
甲斐 雄一  「月光」漢詩訳について
村松  洋  「幻の雑誌」との出会いへの道のり
佐藤 義雄 〈研究ノート〉湘南の少年—山川方夫ノート—
Dr.Rintaro Mori Über die Theaterfrage オリジナルテキスト(写真)
S.S.S ”Omokage“オリジナルテキスト(写真)
第137号(2018年2月28日)
伊藤 真紀  「謡曲放談会」と近代能楽研究の胎動 
大林 のり子  ラインハルトの大劇場演出における無言劇とオペレッタ—新たな祝祭劇への接点(2)—
生方 智子  煩悶青年から文学青年へ—近代日本における文学部の需要と文学への欲望—
竹内 栄美子  堀田善衞『広場の孤独』の位置─一九五一年,アジア・アフリカ作家会議へ—
岩脇 奈都美  日本近現代文学における「海」の効果—「こゝろ」から「海と毒薬」まで—
武田 清  翻訳 表現豊かな人間—舞台の身振り教育(デルサルトによる)—(1) 
内村 和至  〈研究ノート〉明治七年刊の「繁昌記物」をめぐって(上)—服部誠一・萩原乙彦・高見沢茂—
佐藤 義雄  〈研究ノート〉私注 透谷「三日幻境」 鏡花「賣色鴨南蠻」
渡辺 学  学術語研究の歴史と課題—「実験的な」学術語使用の試みに言及して—
小島 久和  翻訳 マルシリオ・フィチーノ著 『プラトン神学 霊魂の不死性について』(22)—「第十六巻」第一章~第五章—
第136号(2018年10月12日)
竹内 栄美子  堀田善衞『時間』『夜の森』とアジア・アフリカ作家会議
稲山 玲 野田秀樹『三代目、りちゃあど』における「統治者」「国家」「物語」
佐藤 義雄  〈研究ノート〉「浮気」の小説化—志賀直哉<山科もの>を読む—
   神鷹徳治教授御定年退職にあたって (略歴・業績書)
湯淺 幸代  神鷹先生の思い出
千葉 仁美  神鷹先生の講義
   清水あつ子教授御定年退職にあたって (略歴・業績書)
清水あつ子  一九年を振り返って
石井 透  清水先生ご退職に際して
   櫻井泰教授御定年退職にあたって (略歴・業績書)
岡本 和子  櫻井泰先生のこと—広大なる「かくして」—
田中 亜美  永遠のトニオ—櫻井泰先生の思い出—
   市川孝一教授御定年退職にあたって (略歴・業績書)
市川 孝一  「終わった人」!?
中江 桂子  大衆へのまなざしとその愛—市川孝一先生のあゆみに学びながら—
渡辺 学  現代ドイツ語・日本語の「揺れ」—変異,グループ語,スタイル—
福間 具子  過去/現在の動的調停—ローベルト・シンデル『生まれ』論
小島 久和  翻訳  マルシリオ・フィチーノ著 『プラトン神学 霊魂の不死性について』(21)—「第十五巻」第十七章~第十九章—
第135号(2018年3月26日)ピエール・パシェ

 シンポジウム  
 Misako Nemoto  Introduction au colloque Un individu en Asie  Lecture de l'œuvre de Pierre Pachet
 根本 美作子  『アジアにおける一個人-ピエール・パシェの作品を読む』へのイントロダクション
 Yasuhara Shinichiro  Écouter une parole muette-sur Autobiographie de mon père de Pierre Pachet
 安原 伸一朗  無言の言葉を聞く-『父の自伝』について
 Guillaume Perrier  La mémoire des livres Loin de Paris
 ギヨーム・ペリエ  『パリから遠く離れて』-書物の記憶
 Naoko Kasama  Sensation,idée-L'œuvre des jours
 笠間 直穂子  感覚,着想-『日々の営み』
 Xiao Mu Cheng  A propos de I'âme dans un récit de voyage en Chine
 程 小牧  ある中国旅行記における魂について
 Jinjia LI  Aux aguets en Chine : les sensations politiques selon Pierre Pachet
 李 金佳  不寝番の中国旅行-感性の政治の試み
 特集論文  
 Pascale Roze  Pierre Pachet et l' exercice du jugement
 パスカル・ローズ  ピエール・パシェ-判断(ジュジュマン)の実践
 Martine Leibovici  Entre engagement et retrait : la liberté selon Pachet
 マルティーヌ・レボヴィシ  参加と身を引くことの間で-パシェにおける自由の概念
合田 正人  パシェさん,まだ宿題できてません
志野 好伸  本当の中国?-ピエール・パシェ『引きつった魂』を読む
田母神 顯二郎  「遠い音」-追悼ピエール・パシェ
千葉 文夫  わが隣人パシェ
 渡名喜 庸哲  クロード・ルフォールとピエール・パシェ-抵抗の場としての内密性-
 三ツ堀 広一郎  本たちのあいだで起こること-『日々の営み』をめぐって-
 森元 庸介  いくつかの(書かれた)会話について
第134号(2018年2月28日)
田母神 顯二郎 ベルクソンとジャネ(5)—<物語>とその彼方— 
内村 和至  <資料紹介>『対梅宇日渉』第四編—萩原乙彦の俳諧雑誌—
 清水 あつ子  英語・スペイン語・日本語母語話者による英語尾部子音/s//z/の実現と識別
 久保田 俊彦  初期計量的著者推定とArmada Days(1898)
 塚田 麻里子  被植民者ヴィソバイの「無力さ」について—E・M・フォースター「永遠の命」に関する一考察—
 市川 孝一  <研究ノート>社会問題化した広告表現—炎上CMから見えてくるもの—
第133号(2017年9月29日)
 伊藤 氏貴  高校「国語」における文学の未来—大学入学共通試験の変遷とその改革の影響—
 田母神 顯二郎  ベルクソンとジャネ(4)—<あわい>の思想と二元論—
 内村 和至  <研究ノート>『貞伝上人/東域念仏利益伝』について
   立野正裕教授御定年退職にあたって(略歴・業績書)
 塚田 麻里子  もうひとつの時間—立野正裕先生と出会って—
 伊藤 龍哉  立野先生の風景
 白石 幸作  ルネ・シャールと断片の力
 小島 久和  翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(20)—「第十五巻」第十二章~第十六章—
第132号(2017年3月26日)今日、文学を読むとは?
神品 芳夫 ボブ・ディランと恒川隆男
伊藤 氏貴 文学の敵たちをめぐる一考察—漱石、サルトルに抗して—
伊藤 龍哉 現代人の行方—ジョージ・オーウェル覚え書き—
井上 優 今日、戯曲を読むとは?
内村 和至 蔵印雑話
神山 彰 「かつて文学をどう読んだか」
武田 清 古書のなかのフルシチョフ
冨澤 成實 文学を読むことの「意義」について—ゼミの学生たちと考える—
宮越 勉 いま、「文学」を読むことに就いての断想
湯淺 幸代 普遍性と親和性—古典文学を学ぶこと—
根本 美作子 Slow words
梶原 照子 Death,Love,Democracy —ディキンスンとホイットマンの詩的創造力—
ジャック・レヴィ ジュネットによる声と叙法の識別をめぐって
陣野 俊史 新しいリアリズム小説のために
管 啓次郎 そこに寝そべっていなかった猫たち
旦 敬介 J/Y—ジュノ・ディアスと変身の願望—
塚田 麻里子 空白地への旅
冨重 与志生 エチオピア饅頭、猫、草、詫び状
Michael Mandelartz Für eine Hermeneutik der Kontinuität  Goethe,Saussure,Celan und die Medien
瀬倉 正克 彫琢の美-齋藤磯雄訳『惡の華』をめぐって
田母神 顯二郎 ベルクソンとジャネ(3)—連続と非連続—
第131号(2017年2月26日)
宮越 勉 『暗夜行路』における近代科学と自然-時任謙作の過ごした時代-
金 孝珍 平安時代の婚姻形態-中国・韓国の正妻,次妻との比較を通して-
井戸田 総一郎 鷗外の演劇言語にみる近代
塚田 麻里子 情熱の行方-E・M・フォースター『モーリス』における“happy ending”への挑戦-
文学部