Go Forward

ジェンダーセンター

上映会 ドキュメンタリー映画『トークバック 沈黙を破る女たち』——ジェンダー研究と表現実践への挑戦 開催報告

2026年01月20日
明治大学 情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター

2025年12月18日(木)
上映会 ドキュメンタリー映画『トークバック 沈黙を破る女たち』——ジェンダー研究と表現実践への挑戦

【登壇者】坂上香氏(ドキュメンタリー映画監督)
大阪市生まれ。高校卒業後に渡米し、ピッツバーグ大学で社会経済開発学の修士号を取得。
暴力や犯罪に対するオルターナティブな視点から、『ライファーズ 終身刑を超えて』『トークバック 沈黙を破る女たち』『プリズン・サークル』などを制作。
NPO法人「out of frame」代表。一橋大学客員准教授。

【主催】明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター
【日時】2025年12月18日(木)18:00〜20:30(17:30開場)
【会場】明治大学駿河台キャンパス グローバルフロント グローバルホール
【コーディネーター】大島岳(情報コミュニケーション学部助教)
【来場者数】64名

【報告】大島岳
 2025年12月18日、駿河台キャンパス・グローバルフロント内グローバルホールにて、坂上香監督によるドキュメンタリー映画『トークバック 沈黙を破る女たち』の上映およびトークショーを行った。
 本作は、サンフランシスコを舞台に、社会の周縁に置かれ、語ることが次第に困難になり、結果として声を奪われてきた女性たちが、演劇ワークショップに参加し、自らの経験を関係の中で語り直していく過程を、長期にわたる取材を通じて記録した作品である。映画が焦点を当てているのは、HIVという単一の出来事ではなく、暴力、依存、貧困、投獄といった複数の経験が重なり合う中で、語ることがいかに困難な条件のもとに置かれてきたのか、そしてその沈黙が関係や時間の積み重なりの中でどのように変容していったのかという点である。
 映画では、登場する女性たちが、医学的には治療が進んでいるにもかかわらず、過去の暴力経験や依存、周囲との関係の断絶を抱えたまま、長く沈黙の中で生きてきた状況が描かれる。沈黙は個人の性格や意志の問題としてではなく、語ることが新たな危険や不利益を招きかねない社会的条件の中で形成されてきた、生存のための選択として示される。
 こうした沈黙の条件に対し、映画は医療と表現という二つの実践が交差する場を描き出す。医療の場だけでは孤立やトラウマに十分に応答できない限界があり、その中で演劇という実践が導入されていく。刑務所内での演劇ワークショップを起点とするこの実践は、沈黙や混乱、ためらいを否定せず、語りへと至るまでの時間と関係を丁寧に組み立てる方法として位置づけられている。
 映画は、女性たちがワークショップに集い、身体を動かし、声を出し、詩を書きながら、徐々に自らの経験に触れていく過程を追う。ここで扱われるのは、出来事を整理して説明することではなく、ままならない現実の中で語れなかった状態そのものに留まりながら、他者とともに言葉を探す実践である。そうした過程を経て、女性たちは舞台作品を上演し、観客の前で語る主体として立ち上がる。その語りは、私的な経験の吐露ではなく、沈黙を生み出してきた社会的条件に応答する行為として位置づけられている。本作は、沈黙を破ること自体を目的とするのではなく、沈黙が変容しうる条件を可視化するドキュメンタリーである。
 上映後には、坂上香監督によるトークショーが行われた。まず参加者同士の対話の時間が設けられ、隣席の参加者とペアを組み、短い時間ながらも映画を観て感じたことを言葉にする機会が共有された。ここで重視されたのは、考えを整理してまとめることではなく、感じたことをそのまま口にしてみることであった。
 続く質疑応答では、本作が長期にわたる取材によって成立した理由として、完成された成果よりも、語りが立ち上がるまでの過程そのものに寄り添い続けることの重要性が語られた。演劇の現場では、沈黙や混乱、身体的な抵抗を含めた長い時間が不可欠であり、それを省略せずに記録すること自体が重要であったという。演劇を個人表現としてではなく、関係の中で声が育っていくプロセスとして捉える視点も示され、他者の語りを聴き、言葉を止め、言い直し、練り直すという反復を通じて、語りが関係の中で形成されていく様相が強調された。
 また、取材の過程で直面した困難についても触れられた。登場人物の人生が予期せぬ方向へ進むことや、語りが一度立ち上がった後に再び沈黙へと戻る場面も少なくなかったという。そうした揺れや後退を失敗として切り捨てるのではなく、そのまま引き受け、関係を保ち続けることが、記録者として最も困難であり、同時に重要な課題であったと述べられた。
 会場に向けたメッセージとしては、表現を「うまく語ること」や「評価されること」と結びつけない視点の重要性が語られた。即時的な反応や可視的な評価を前提とする環境の中では、語りが切り取られたり、自己管理的に調整されたりしやすい。しかし本作が示しているのは、語ることができなかった経験に留まり、それを他者と共有する条件を時間をかけて探ること自体が、表現の出発点となりうるという点である。
 当日は師走の平日夕刻にもかかわらず多様な参加があり、上映後のアンケートには、作品の受容にとどまらず、参加者自身の制作実践に関わる問いも寄せられた。現場で生じるズレや予期せぬ展開をプロセスとして引き受けること、被写体やスタッフとの信頼関係をどのように築くかといった論点が、あらためて共有された。
 なお、本上映会とそれを取り巻く実践は、坂上香監督の理論的形成と人生上の選択が結びついた地点に位置している。フェミニズム理論に学びつつ、教育・研究と映像制作を長年にわたって並行してきた経験は、理論を抽象的に保持するのではなく、社会的現実の中で引き受け、実践として問い続ける姿勢として一貫している。作品において沈黙やためらい、後退や中断が切り捨てられることなく記録されているのは、その方法論の表れである。
 語りを急がず、関係が変化するまで現場にとどまり続ける長期取材の方法論は、社会的不正義を制度や関係性の配置として捉える問題関心と響き合っている。ただし本作は、理論を映像に当てはめるものではなく、異なる領域で並行して追究されてきた問題意識が、実践の中で交差した結果として理解されるべきである。
 以上のように、本上映会は、構造的暴力のもとで社会の周縁に置かれ、語ることが困難になってきた人びとの経験と、参加者自身の立場や経験とを架橋する場となっていた。その過程で立ち上がっていたのは、個人の回復物語や感情的な同一化ではなく、ばらばらで同質ではない人びとが、それでも互いのために立ち上がろうと決め続ける関係性としての連帯であり、他者の経験に触発され、自らもまた構造の一部として無関係ではいられない位置に置かれることを引き受け、関係の中で自己を表現し直していく集合的な力であった。
 当事者である彼女たちが語り直しの実践を通して構造的暴力に応答していく過程、そして長期にわたる伴走と記録を通じてそれを可視化しようとするこのドキュメンタリー映画と上映会という実践は、沈黙を生み出す構造に対し、語りと関係がいかに成立しうるかを現実の中で問い直す、極めて動的な実践の場であった。

参加者同士の対話を促す坂上氏参加者同士の対話を促す坂上氏

質問に回答する坂上氏(左)と、大島助教(右)質問に回答する坂上氏(左)と、大島助教(右)

イベントポスターイベントポスター