2013年度 第5回『ジェンダー・ハーモニー:インドおよびネパール固有文化の視点から見た男女間の調和的関係』
Gender Harmony: Indigenous Perspectives from India and Nepal
2013年11月26日(火)実施
講師略歴:ダーム・バウーク氏
1995年University of Illinois at Urbana-ChampaignからPh.D取得。1989年University of Hawaii at Manoa からMBA取得。現在、ハワイ大学マノア校、Shidler College of Business 教授で、経営学や文化・地域心理学(Management and Culture and Community Psychology)を専門とする。ハワイ大学大学院のPh.Dプログラムでは、主として、Cross-cultural Management(異文化マネジメント)、MBAコースでは、Global International Business Communication(国際ビジネスコミュニケーション)やManagement of Multinational Corporations (多国籍企業マネジメント)、また学部では、Positive Psychologyなどの授業を担当している。これまで、数多くの業績があり、60を超える編著、共著、専門学術雑誌論文、160を超える研究学会や大学での研究会のプレゼンテーションがある。AOMなどの学術学会から、数多くの賞を受賞している。現在の研究の興味は、固有文化心理学、異文化トレーニング、平和学などである。
報告:山口 生史(情報コミュニケーション学部教授)
本講演は、異文化トレーニング、異文化ビジネス、固有文化心理学、ポジティブ心理学などを専門とするハワイ大学(マノア校)教授、Dharm Bhawuk先生によって行われた。Bhawuk教授の本講演の要旨を抜粋要約すると、その内容は、以下の通りである:
西洋では、ジェンダー戦争は、長きにわたり続いている....生きることに関する競争的西洋モデルが、男女の対立の源泉となってきたという。霊長類およびその他の動物に関する実験でも支持されたとおり、生物の協力的性質に関する最近の調査は、競争モデルの妥当性に対して疑問を呈している。そして、そのことは、アジアの知恵の伝統により生みだされたジェンダー調和モデルに可能性を開くものである。オートエスノグラフィー、古典的インドテキスト分析、メタファー、事例研究の手法により、調和に基づいたジェンダー関係の非伝統的モデルを提示する。
講演は、この要旨にそったものであり、「ヴェーダからプラーナおよびマヌ法典にいたるまでの古典テキストに見られるジェンダー・ハーモニー」、「物語とメタファーに見られる民間伝承におけるジェンダー・ハーモニー」、「ジェンダー・ハーモニーの事例紹介」、「自らの経験に基づいて考えるジェンダー・ハーモニー」、「対立(西洋)対協調(東洋)」といったテーマで構成された。Bhawuk教授自身が、ネパール出身の研究者であることもあり、自己の経験に基づいた、いわゆるAutoethnographyによる分析もあった。
「ヴェーダからプラーナおよびマヌ法典にいたるまでの古典テキストに見られるジェンダー・ハーモニー」に関しては、The vedas、The upaniSads、The purANas、the manusmRtiというインド古典の中にある記述に見られるジェンダー・ハーモニーを紹介、解説した。これらの記述には、神・女神がそれぞれジェンダー・ハーモニーを体現しているらしい。インド古典テキストでは、Conflictではなく、Harmonyが強調されており、平和を求めることが強調されている。これは、ネパール文化・インド文化において重視される考え方であり、この考え方は、インドにおけるgenderという概念に対しても同様である。
「物語とメタファーに見られる民間伝承におけるジェンダー・ハーモニー」については、燃えるのも早いが消えるのも早いという干し草に火がつくような夫婦間対立を描いた物語と車の両輪としての夫と妻の例え話が紹介された。ともに、ハーモニーという概念が示唆されているものであった。
「ジェンダー・ハーモニーの事例紹介」としては、SacrificeとToleranceのバランス、そして、片方が何かを意思決定するのではなく、夫婦二人による共同決定(joint decision)の重視を示す事例が紹介された。それぞれの事例に、インド文化におけるハーモニーの概念が見えた。
「ジェンダー・ハーモニーのAutoethnography」では、専業主婦vs.一家の稼ぎ手という西洋の構図とgRhiNi & gRhasthaというネパールやインドにおける夫婦の関係の相違を、自らの経験に基づいて分析した。gRhiNiは主婦の意味であり、gRhasthaは家長の意味である。女性は弱いというのはステレオタイプに過ぎない。ネパールやインドでのgRhiNi と gRhasthaという考えは、家庭における、二人の共同作業を意味している。そして、女性は弱いというのも正しくない。
「西洋の対立(Conflict)対東洋(East)の協調」という対比を以下のように提示した:西洋の競争型モデル 対 東洋の協力型モデル; 西洋と東洋の女性に対する考えかたの違い; 西洋の個人主義など 対 ハワイのALOHA精神(愛など); 西洋の自立 対 東洋の相互依存; 西洋の勝利主義や支配など 対 日本などの和、恩、義理、である。
要旨にあるように、講演では、競争的西洋モデルが、男女の対立の源泉となっており、様々な動物を含めた生物の協力的性質、すなわち、人類の協力型モデルの重要性を強調した。ジェンダー間の協力はごく自然であり、ジェンダー関係においては相互依存モデルが自立モデルより良く現実を反映していると主張する。そして、それらの主張は、アジアの知恵の伝統により生みだされたジェンダー調和モデルなのである。最後に、文化的感受性をそなえたフェミニズムモデルの必要性を述べた。
100分強の講演の後、お二人の参加者から質問があった。最初の質問は、ネパールでの未婚女性のジェンダー・ハーモニーバランスについてであった。二つ目の質問は、どの時期に西洋と東洋のジェンダーに対する考え方の違いが出てきたのかという質問であった。質疑応答を含めて、講演は、約120分で終了した。
西洋では、ジェンダー戦争は、長きにわたり続いている....生きることに関する競争的西洋モデルが、男女の対立の源泉となってきたという。霊長類およびその他の動物に関する実験でも支持されたとおり、生物の協力的性質に関する最近の調査は、競争モデルの妥当性に対して疑問を呈している。そして、そのことは、アジアの知恵の伝統により生みだされたジェンダー調和モデルに可能性を開くものである。オートエスノグラフィー、古典的インドテキスト分析、メタファー、事例研究の手法により、調和に基づいたジェンダー関係の非伝統的モデルを提示する。
講演は、この要旨にそったものであり、「ヴェーダからプラーナおよびマヌ法典にいたるまでの古典テキストに見られるジェンダー・ハーモニー」、「物語とメタファーに見られる民間伝承におけるジェンダー・ハーモニー」、「ジェンダー・ハーモニーの事例紹介」、「自らの経験に基づいて考えるジェンダー・ハーモニー」、「対立(西洋)対協調(東洋)」といったテーマで構成された。Bhawuk教授自身が、ネパール出身の研究者であることもあり、自己の経験に基づいた、いわゆるAutoethnographyによる分析もあった。
「ヴェーダからプラーナおよびマヌ法典にいたるまでの古典テキストに見られるジェンダー・ハーモニー」に関しては、The vedas、The upaniSads、The purANas、the manusmRtiというインド古典の中にある記述に見られるジェンダー・ハーモニーを紹介、解説した。これらの記述には、神・女神がそれぞれジェンダー・ハーモニーを体現しているらしい。インド古典テキストでは、Conflictではなく、Harmonyが強調されており、平和を求めることが強調されている。これは、ネパール文化・インド文化において重視される考え方であり、この考え方は、インドにおけるgenderという概念に対しても同様である。
「物語とメタファーに見られる民間伝承におけるジェンダー・ハーモニー」については、燃えるのも早いが消えるのも早いという干し草に火がつくような夫婦間対立を描いた物語と車の両輪としての夫と妻の例え話が紹介された。ともに、ハーモニーという概念が示唆されているものであった。
「ジェンダー・ハーモニーの事例紹介」としては、SacrificeとToleranceのバランス、そして、片方が何かを意思決定するのではなく、夫婦二人による共同決定(joint decision)の重視を示す事例が紹介された。それぞれの事例に、インド文化におけるハーモニーの概念が見えた。
「ジェンダー・ハーモニーのAutoethnography」では、専業主婦vs.一家の稼ぎ手という西洋の構図とgRhiNi & gRhasthaというネパールやインドにおける夫婦の関係の相違を、自らの経験に基づいて分析した。gRhiNiは主婦の意味であり、gRhasthaは家長の意味である。女性は弱いというのはステレオタイプに過ぎない。ネパールやインドでのgRhiNi と gRhasthaという考えは、家庭における、二人の共同作業を意味している。そして、女性は弱いというのも正しくない。
「西洋の対立(Conflict)対東洋(East)の協調」という対比を以下のように提示した:西洋の競争型モデル 対 東洋の協力型モデル; 西洋と東洋の女性に対する考えかたの違い; 西洋の個人主義など 対 ハワイのALOHA精神(愛など); 西洋の自立 対 東洋の相互依存; 西洋の勝利主義や支配など 対 日本などの和、恩、義理、である。
要旨にあるように、講演では、競争的西洋モデルが、男女の対立の源泉となっており、様々な動物を含めた生物の協力的性質、すなわち、人類の協力型モデルの重要性を強調した。ジェンダー間の協力はごく自然であり、ジェンダー関係においては相互依存モデルが自立モデルより良く現実を反映していると主張する。そして、それらの主張は、アジアの知恵の伝統により生みだされたジェンダー調和モデルなのである。最後に、文化的感受性をそなえたフェミニズムモデルの必要性を述べた。
100分強の講演の後、お二人の参加者から質問があった。最初の質問は、ネパールでの未婚女性のジェンダー・ハーモニーバランスについてであった。二つ目の質問は、どの時期に西洋と東洋のジェンダーに対する考え方の違いが出てきたのかという質問であった。質疑応答を含めて、講演は、約120分で終了した。
2013年度 第4回『オーストラリアのスポーツに見るジェンダーとセクシュアリティ——ヘゲモニー・抵抗・変化』
Gender and sexuality in Australian sport: Hegemony, resistance, and change
2013年11月19日(火)実施
講師略歴:ブレント・マクドナルド氏
ヴィクトリア大学(オーストラリア)スポーツ科学部講師。専門分野はスポーツにおけるジェンダーやセクシュアリティ。漕艇やラグビーのプレーヤーでもある。1994~1996年にかけて静岡でラグビーをしていた経験が日本のスポーツ文化に興味を持つきっかけになり、日本の大学の体育会における男らしい(masculine)アイデンティティの形成などについての研究を行っている。2013年には同志社大学に所属し、日本の運動部活動における体罰の問題についても調査を行っている。
主な著書や論文
McDonald, B & Burke, M. (2011) ‘Foucaultian subjectification and Japanese University rowers’, in M. Burke, C. Hanlon & C. Thomen (Eds.) Sport, Culture and Society: Approaches, Methods and Perspectives, Hawthorn: Maribyrnong Press, pp. 203-218.
McDonald, B. (2009) ‘Learning Masculinity through Japanese University Rowing: joge kankei and hierarchical Relationships. Sociology of Sport Journal, Vol. 26, no.3, pp.425-442
McDonald, B & Komuku, H. (2008) Japanese Educational Sport and the Reproduction of Identity In: Hallinan, C & Jackson, S. (Eds.) Sport and Cultural Diversity in a Globalized World. Oxford UK: Emerald, pp.97-110.
McDonald, B. (2007) Globalisation, Diversity and Changes to Practice and Identity in Japanese University Rowing Clubs. International Journal of Sport Management and Marketing, Vol.2, Nos.1/2, pp.134-145
McDonald, B & Hallinan, C. (2005) Seishin Habitus: Spiritual Capital and Japanese Rowing. International Review for the Sociology of Sport, Vol.40, No.2, pp.187-200
主な著書や論文
McDonald, B & Burke, M. (2011) ‘Foucaultian subjectification and Japanese University rowers’, in M. Burke, C. Hanlon & C. Thomen (Eds.) Sport, Culture and Society: Approaches, Methods and Perspectives, Hawthorn: Maribyrnong Press, pp. 203-218.
McDonald, B. (2009) ‘Learning Masculinity through Japanese University Rowing: joge kankei and hierarchical Relationships. Sociology of Sport Journal, Vol. 26, no.3, pp.425-442
McDonald, B & Komuku, H. (2008) Japanese Educational Sport and the Reproduction of Identity In: Hallinan, C & Jackson, S. (Eds.) Sport and Cultural Diversity in a Globalized World. Oxford UK: Emerald, pp.97-110.
McDonald, B. (2007) Globalisation, Diversity and Changes to Practice and Identity in Japanese University Rowing Clubs. International Journal of Sport Management and Marketing, Vol.2, Nos.1/2, pp.134-145
McDonald, B & Hallinan, C. (2005) Seishin Habitus: Spiritual Capital and Japanese Rowing. International Review for the Sociology of Sport, Vol.40, No.2, pp.187-200
報告:高峰 修(政治経済学部准教授)
オーストラリアは多文化主義の国であると同時にスポーツ大国の一つである。そこではスポーツは、多くの移民をオーストラリア社会に統合する有効な方策として活用されている。また社会における平等には敏感であり、そこにはジェンダーやセクシュアリティの問題も含まれている。今回の講演では、オーストラリアのスポーツ界が抱えるジェンダー/セクシュアリティの問題と、それに関する改革についてお話していただいた。
ブレント氏はまず、オーストラリアで1984年に成立した性差別法(Sex Discrimination Act 1984)の改訂を追い、そこに性的指向やジェンダーアイデンティティが含まれるようになったことを確認した。さらにこの法律は雇用や教育、サービス、社会的なクラブ活動などに適用されるが、オーストラリアのスポーツはこれらの分野とも深く関わっているので、この法律の適用範囲にあることを説明した。
次に政策についてであるが、オーストラリアのスポーツ政策は基本的に4年毎にその方向性が示され進められる。その最新版である“The Future of Sport in Australia(2010)”では政策の主眼となる9つの分野を示しており、そこではスポーツにおいて女性がリーダーシップ的役割を得てその存在感を示すこと、ホモフォビアやセクシュアリティに関する差別をなくすことが挙げられている。こうしたジェンダーやセクシュアリティに関する項目は日本のスポーツ政策(例えばスポーツ基本法やスポーツ基本計画など)においては具体的に取り上げられておらず、取り組むべき問題として認識されていないことがわかる。
ブレント氏はその後、オーストラリアにおけるスポーツとジェンダーに関する研究や政策の重要事項として以下の点について説明した:
・移民女性のスポーツ参加率は国内平均よりはるかに低い。その背景には宗教的要因、社会経済的要因、英語能力の要因などが絡まっている。これに関する試みの一つとして、地域のフィットネスセンターでは女性だけのプログラムの時間帯を設定している。
・セクシュアル・ハラスメントに関しては、Australian Sports Commission(オーストラリアにおける国家的スポーツ統括組織)がPlay by the Rulesというプログラムをオンラインで展開している。また、たとえばAustralian Football LeagueではRespect Womenというキャンペーンを行っている。
・1980年代以降に政府が健康やフィットネスに取り組んだこともあり、スポーツや身体活動の実施率における男女間の顕著な差はなくなっている。しかしその背後にはより根深い男女の権力関係がある。
・国レベルのスポーツ組織でリーダーシップをとっている女性は25%、プロフェッショナルなスポーツ組織では13%にすぎない。Australian Sports Commissionでは、指導者、審判、組織管理者、メディアやマーケティング分野でリーダーシップをとる女性に対する助成金制度を設けている。
・テレビやラジオ、印刷物などのメディア報道における女性スポーツの割合は著しく低く、報道されている場合でも女性アスリートは矮小化され幼稚に、性的に描かれる傾向にある。
・スポーツはLGBTIQを敵視する場のひとつである。こうした現状に対して、いくつかのクラブや組織はLGBTIQの人々にフレンドリーな環境を作る試みを始めている。
豊富な資料や事例が示され、予定していた時間をオーバーする講演となった。本センターの研究会などでスポーツをテーマとするイベントが企画されたのは今回が初めてのことであり、聴衆からは多くの質問が出され、ブレント氏もまたそれらに丁寧に回答してくださった。
今回のブレント氏による講演は「スポーツにおけるジェンダー論」概論としての意味をもつことになった。特にスポーツ実施、組織におけるリーダーシップ、メディア報道については、女性の置かれている状況はオーストラリアと日本で似通っている。他方でセクシュアル・ハラスメントやセクシュアリティに関しては、日本では取り組みが始まったばかりか、あるいは取り組みすら始まっていないのが現状である。成熟したスポーツ文化、成熟した社会の醸成には、こうした問題群の解決に向けた具体的施策の展開が求められるだろう。
ブレント氏はまず、オーストラリアで1984年に成立した性差別法(Sex Discrimination Act 1984)の改訂を追い、そこに性的指向やジェンダーアイデンティティが含まれるようになったことを確認した。さらにこの法律は雇用や教育、サービス、社会的なクラブ活動などに適用されるが、オーストラリアのスポーツはこれらの分野とも深く関わっているので、この法律の適用範囲にあることを説明した。
次に政策についてであるが、オーストラリアのスポーツ政策は基本的に4年毎にその方向性が示され進められる。その最新版である“The Future of Sport in Australia(2010)”では政策の主眼となる9つの分野を示しており、そこではスポーツにおいて女性がリーダーシップ的役割を得てその存在感を示すこと、ホモフォビアやセクシュアリティに関する差別をなくすことが挙げられている。こうしたジェンダーやセクシュアリティに関する項目は日本のスポーツ政策(例えばスポーツ基本法やスポーツ基本計画など)においては具体的に取り上げられておらず、取り組むべき問題として認識されていないことがわかる。
ブレント氏はその後、オーストラリアにおけるスポーツとジェンダーに関する研究や政策の重要事項として以下の点について説明した:
・移民女性のスポーツ参加率は国内平均よりはるかに低い。その背景には宗教的要因、社会経済的要因、英語能力の要因などが絡まっている。これに関する試みの一つとして、地域のフィットネスセンターでは女性だけのプログラムの時間帯を設定している。
・セクシュアル・ハラスメントに関しては、Australian Sports Commission(オーストラリアにおける国家的スポーツ統括組織)がPlay by the Rulesというプログラムをオンラインで展開している。また、たとえばAustralian Football LeagueではRespect Womenというキャンペーンを行っている。
・1980年代以降に政府が健康やフィットネスに取り組んだこともあり、スポーツや身体活動の実施率における男女間の顕著な差はなくなっている。しかしその背後にはより根深い男女の権力関係がある。
・国レベルのスポーツ組織でリーダーシップをとっている女性は25%、プロフェッショナルなスポーツ組織では13%にすぎない。Australian Sports Commissionでは、指導者、審判、組織管理者、メディアやマーケティング分野でリーダーシップをとる女性に対する助成金制度を設けている。
・テレビやラジオ、印刷物などのメディア報道における女性スポーツの割合は著しく低く、報道されている場合でも女性アスリートは矮小化され幼稚に、性的に描かれる傾向にある。
・スポーツはLGBTIQを敵視する場のひとつである。こうした現状に対して、いくつかのクラブや組織はLGBTIQの人々にフレンドリーな環境を作る試みを始めている。
豊富な資料や事例が示され、予定していた時間をオーバーする講演となった。本センターの研究会などでスポーツをテーマとするイベントが企画されたのは今回が初めてのことであり、聴衆からは多くの質問が出され、ブレント氏もまたそれらに丁寧に回答してくださった。
今回のブレント氏による講演は「スポーツにおけるジェンダー論」概論としての意味をもつことになった。特にスポーツ実施、組織におけるリーダーシップ、メディア報道については、女性の置かれている状況はオーストラリアと日本で似通っている。他方でセクシュアル・ハラスメントやセクシュアリティに関しては、日本では取り組みが始まったばかりか、あるいは取り組みすら始まっていないのが現状である。成熟したスポーツ文化、成熟した社会の醸成には、こうした問題群の解決に向けた具体的施策の展開が求められるだろう。
2013年度 第3回『ジェンダー間の機会平等へのあらたな道程-男女平等は世紀の課題!』
Neue Wege – Gleiche Chancen. Gleichstellung bleibt Jahrhundertaufgabe!
2013年10月16日(水)実施
講師略歴:ウタ・マイヤー=グレーヴェ氏
ドイツ・ギーセン大学教授。専門は家族社会学、家政学、ジェンダー・時間・サービス労働に関する研究。
1978年産業社会学で博士号を取得し、1986年フンボルト大学で家族社会学の教授資格を取得。旧東ドイツで社会学、社会政策の研究員を、1990年にはドイツ青少年研究所学術研究員などを歴任し、1994年にギーセン大学教授に着任(家政経済学・家族社会学担当)。ドイツ政府連邦家族省第7家族報告書専門家委員会メンバー(計7名)に選ばれ、同メンバーのうち唯一、第1男女平等報告書専門家審議会メンバーに採用された。ヨーロッパ連合(EU)・共同体イニシアチブ平等(EQUAL)の外部専門委員で、2013年5月1日からは、連邦家庭・高齢者・女性・青少年省(BMFSFJ)が後援する「家事に類似する職業の専門家および資格向上のための科学的資格センター」所長を務める。
最近の主な論文
"Zeugungsstreik" und "stiller Gebärstreik" - Kleinfamilie scheitert auch an ungünstigen Rahmenbedingungen.(「子づくりストライキ」と「静かな出産ストライキ」:小家族は不利な限定条件にも挫折する,2013年); Die Systemrelevanz generativer Sorgearbeit. Oder: Was kommt nach dem Töchterpflegepotential? (生殖ケア労働の制度上の意義。もしくは、娘が世話する可能性の次にくるものは? 2012年);Armutsprävention von Kindern und Familien im Sozialraum. Eine strategische Aufgabe zur Verrichtung von Bildungsarmut.(社会的空間における子どもと家族の貧困防止:教育の欠如に働きかけるための戦略的課題,2011年)
1978年産業社会学で博士号を取得し、1986年フンボルト大学で家族社会学の教授資格を取得。旧東ドイツで社会学、社会政策の研究員を、1990年にはドイツ青少年研究所学術研究員などを歴任し、1994年にギーセン大学教授に着任(家政経済学・家族社会学担当)。ドイツ政府連邦家族省第7家族報告書専門家委員会メンバー(計7名)に選ばれ、同メンバーのうち唯一、第1男女平等報告書専門家審議会メンバーに採用された。ヨーロッパ連合(EU)・共同体イニシアチブ平等(EQUAL)の外部専門委員で、2013年5月1日からは、連邦家庭・高齢者・女性・青少年省(BMFSFJ)が後援する「家事に類似する職業の専門家および資格向上のための科学的資格センター」所長を務める。
最近の主な論文
"Zeugungsstreik" und "stiller Gebärstreik" - Kleinfamilie scheitert auch an ungünstigen Rahmenbedingungen.(「子づくりストライキ」と「静かな出産ストライキ」:小家族は不利な限定条件にも挫折する,2013年); Die Systemrelevanz generativer Sorgearbeit. Oder: Was kommt nach dem Töchterpflegepotential? (生殖ケア労働の制度上の意義。もしくは、娘が世話する可能性の次にくるものは? 2012年);Armutsprävention von Kindern und Familien im Sozialraum. Eine strategische Aufgabe zur Verrichtung von Bildungsarmut.(社会的空間における子どもと家族の貧困防止:教育の欠如に働きかけるための戦略的課題,2011年)
報告:水戸部 由枝(明治大学政治経済学部専任講師)
男女平等はなぜ必要か。男女平等は何をつうじて実現されるのか。本研究会では、ドイツ政府の家族政策立案者として長年活躍し、近年では日本学術会議シンポジウムなどでも発表されているグレーヴェ氏に、ドイツ連邦共和国の第1男女平等報告書のコンセプトおよび内容について報告していただいた。
グレーヴェ氏によると、2008年に委任され、2011年に完成した本報告書には、ポイントが二つあった。その一つは、「限られた時間」をどう使うか、という問題である。1日24時間の限られた生活時間の使い方は年齢層によって異なり、生涯経歴のなかには、とくに時間的余裕のなくなる時期(たとえば「人生のラッシュアワー」期)がある。また、ドイツにおいて個人が使える時間あるいは時間の使い方は、いまだにジェンダーによって非常に強く規定されていて、男女間での違いは大きい。育児と介護に費やす時間は、男性よりも女性の方がはるかに多く、母親の就労時間を短縮させる。そしてこのことは長期的にみると、女性の生涯賃金と老齢年金に不利な結果をもたらすのだ。
それゆえ第1報告書では、男女両性が自分の生計確保に対して個々に責任を負い、また男女両性がともに育児と介護へのケア労働に従事するといった「新しいジェンダー像」が提示された。また職業と家族をよりよく両立させるために、家事や家族支援向けサービスの拡充をうながすことが、強く推奨された。たとえば学童保育などが整備されれば、就学期の子どもをもつ母親は最大461,000人まで就労復帰が可能となり、税収は10億2000万ユーロ、社会保険収入は26億2000万ユーロ増加するという。
もう一つのポイントは、女性の就業状況の改善である。そのためには、男女の賃金格差の縮小と指導的地位への女性の登用促進が重要である。前者については、ドイツの賃金・給与のジェンダー格差はEU最大で、教育水準が高いほど収入格差は広がる傾向にあり、家族をもつ男女フルタイム就労者の収入格差はここ20年間で拡大したといわれる。後者については、「ユーモア感覚と男社会の寛容さが失われる」、「女性管理職がいると、相互関係のネットが壊される」などを理由に、いまだ女性の管理職への登用に懸念を示す企業が少なくない。しかしある調査結果によると、3人以上の女性役員がいる企業は、自己資本収益率の達成が最高で53%高く、経営陣に男女双方がいる企業は、売上、収益、従業員数、株価に関して全企業の平均以上の成長を達成した。それに対して男性だけで操業される企業は、すべての指数において全企業の平均以下であった。
人口統計学上、ドイツで可能な就業人口は毎年25-30万人減少し、2015年には200万人余りの労働力が不足するといわれる。そうしたなか、拡大しつつある低賃金就業部門に女性を組み込むのではない形で、女性の就業機会を増やし、就業状況を改善するにはどうしたらよいのか。グレーヴェ氏によると、まず男女双方が中・長期的な人生設計をたてることが重要であるという。そのうえで、就業労働・ケア労働をフレキシブルに時間配分できるようにすること、公的なサポート機関の設置とサービス整備、個人単位の納税・社会保障制度がその解決策になりえると、氏は指摘する。
最新かつ豊富なデータを駆使しながら、「時間の使い方」を切り口に男女平等について考えるグレーヴェ氏の思考パターンは、参加者にとって大変刺激的であり、ゆえに途切れることのない活発な質疑および内容補足しながらの丁寧な応答がつづいた。こうしたやりとりは、これまでグレーヴェ先生と共同研究を重ねてきた姫岡とし子教授(東京大学、専門はドイツ近現代史・ジェンダー史)による同時通訳なしには実現できなかったであろう。
当日は台風の影響で全日休講のなかでの研究会開催となったが、それにもかかわらず参加してくださった学内外の方々およびグレーヴェ氏・姫岡氏に心より感謝の意を表したい。
グレーヴェ氏によると、2008年に委任され、2011年に完成した本報告書には、ポイントが二つあった。その一つは、「限られた時間」をどう使うか、という問題である。1日24時間の限られた生活時間の使い方は年齢層によって異なり、生涯経歴のなかには、とくに時間的余裕のなくなる時期(たとえば「人生のラッシュアワー」期)がある。また、ドイツにおいて個人が使える時間あるいは時間の使い方は、いまだにジェンダーによって非常に強く規定されていて、男女間での違いは大きい。育児と介護に費やす時間は、男性よりも女性の方がはるかに多く、母親の就労時間を短縮させる。そしてこのことは長期的にみると、女性の生涯賃金と老齢年金に不利な結果をもたらすのだ。
それゆえ第1報告書では、男女両性が自分の生計確保に対して個々に責任を負い、また男女両性がともに育児と介護へのケア労働に従事するといった「新しいジェンダー像」が提示された。また職業と家族をよりよく両立させるために、家事や家族支援向けサービスの拡充をうながすことが、強く推奨された。たとえば学童保育などが整備されれば、就学期の子どもをもつ母親は最大461,000人まで就労復帰が可能となり、税収は10億2000万ユーロ、社会保険収入は26億2000万ユーロ増加するという。
もう一つのポイントは、女性の就業状況の改善である。そのためには、男女の賃金格差の縮小と指導的地位への女性の登用促進が重要である。前者については、ドイツの賃金・給与のジェンダー格差はEU最大で、教育水準が高いほど収入格差は広がる傾向にあり、家族をもつ男女フルタイム就労者の収入格差はここ20年間で拡大したといわれる。後者については、「ユーモア感覚と男社会の寛容さが失われる」、「女性管理職がいると、相互関係のネットが壊される」などを理由に、いまだ女性の管理職への登用に懸念を示す企業が少なくない。しかしある調査結果によると、3人以上の女性役員がいる企業は、自己資本収益率の達成が最高で53%高く、経営陣に男女双方がいる企業は、売上、収益、従業員数、株価に関して全企業の平均以上の成長を達成した。それに対して男性だけで操業される企業は、すべての指数において全企業の平均以下であった。
人口統計学上、ドイツで可能な就業人口は毎年25-30万人減少し、2015年には200万人余りの労働力が不足するといわれる。そうしたなか、拡大しつつある低賃金就業部門に女性を組み込むのではない形で、女性の就業機会を増やし、就業状況を改善するにはどうしたらよいのか。グレーヴェ氏によると、まず男女双方が中・長期的な人生設計をたてることが重要であるという。そのうえで、就業労働・ケア労働をフレキシブルに時間配分できるようにすること、公的なサポート機関の設置とサービス整備、個人単位の納税・社会保障制度がその解決策になりえると、氏は指摘する。
最新かつ豊富なデータを駆使しながら、「時間の使い方」を切り口に男女平等について考えるグレーヴェ氏の思考パターンは、参加者にとって大変刺激的であり、ゆえに途切れることのない活発な質疑および内容補足しながらの丁寧な応答がつづいた。こうしたやりとりは、これまでグレーヴェ先生と共同研究を重ねてきた姫岡とし子教授(東京大学、専門はドイツ近現代史・ジェンダー史)による同時通訳なしには実現できなかったであろう。
当日は台風の影響で全日休講のなかでの研究会開催となったが、それにもかかわらず参加してくださった学内外の方々およびグレーヴェ氏・姫岡氏に心より感謝の意を表したい。
2013年度 第2回『国際比較のなかの結婚と女性労働』
2013年10月11日(金)実施
講師略歴:筒井淳也氏
報告:出口 剛司(東京大学大学院人文社会系研究科准教授・明治大学情報コミュニケーション学部兼任講師)
かつてないスピードで進行する未婚化・少子高齢化の中で、ジェンダー研究も新たな局面を迎えている。ジェンダー研究の当初の課題は、伝統的な家父長制からの女性の解放と社会進出を実現する制度的条件を解明する点にあった。しかし現在、上述の社会的問題をめぐって、多くのジェンダー研究者が主張する男女平等の実現やワーク・ライフ・バランスの確立が少子高齢化の歯止めとなるという見解に対し、性別役割分業の解体、女性の社会進出を未婚化と少子高齢化の原因と同定する言説が対峙している。そうした中で、ジェンダー研究は、未婚化・少子高齢化の現実をどのように理解し、どのような政策的課題を導出するか、という実証的かつ政策的な課題に直面しているといえる。いわば、論争の場は伝統的家父長制家族の維持か、解体かというより理念的な領域から、データに基づく政策論議へと移行しているのである。
今回、本センターでは立命館大学産業社会学部准教授の筒井淳也氏をお迎えし、アメリカ及び北欧における「女性の働き方」と「公的セクターの役割」を中心とした実証研究の成果をご報告していただいた。筒井氏は、日本を代表する計量社会学の研究者であり、本定例研究会での氏の報告により、未婚化・少子高齢化に関する政策論議において、ジェンダー研究と政策立案者の考慮すべき前提条件がいっそう明らかになったように思われる。
筒井氏はまず、計量研究の動向を以下のように整理する。戦後の高度成長期とそれに続く安定成長期にかけて、日本の社会学では機能主義ならびに社会階層論の理論枠組みに立脚した社会移動の研究が盛んになされてきた。具体的には、主に男性の雇用が安定化していくなかで、親(父親)の職業階層とその子どもの職業階層の関連性の強さが問題とされてきた。そこでは能力主義に基づいた機会平等な社会が理想とされており、本人の努力によらないで出身階層によって本人の階層帰属が決まるということがどの程度生じているのかが研究関心を引きつけてきた。しかし1970年代後半以降、経済成長が鈍化していくなかで、日本は未婚化、少子高齢化に直面し、社会学者の研究関心も機会平等から経済成長や人口問題に移行していくことになる。
しかし筒井氏によれば、未婚化・少子高齢化は、すべての先進国が経験しているわけではなく、日本をはじめ東アジア諸国で顕著に進行しているという。その中でこれまでの実証研究の成果から、少子化は、仕事と家庭の両立支援制度や働き方の柔軟性が、どの程度女性労働力率の上昇が出生率を低下させる動きを中和できるのかの問題であることが明らかになっている。他方で少子化の進展度合いはいわゆる政府の大きさとは無関連であり、社会保障制度が充実した北欧諸国でも、逆にそれが発達していない英米圏でも、相対的に高い出生率が実現している。氏はこの謎をとく鍵を共働き家庭の普及の有無に求める。すなわち、男女賃金格差が小さいなど、仕事をする上での男女平等が進展している社会であれば、たとえ男性の所得が安定してなくともカップルを形成することで生活が成立するケースが増え、そのためにカップル形成、ひいては出生が促進されるのである。
未婚化や少子高齢化を以上のようにとらえた場合、社会保障や家族支援をただ手厚くすれば問題が解決するわけではない。たとえば北欧諸国、とくにスウェーデンでは育児休業が手厚く保障されているために、女性が男性と同等に民間で活躍することに困難があり、女性の多くは公的に雇用され、いわゆる福祉労働に従事している。この意味で男女の賃金格差の小ささは女性の公的雇用によって保証されているのであり、民間セクターにおける自由な職業選択の結果からであるとは言いがたい。他方でアメリカにおいては民間企業における女性の活躍の幅は北欧よりも広いのだが、社会保障の未発達からいわゆるソロ・マザーが貧困に陥るケースが非常に多いなど、別の問題が生じている。
女性の働き方や公的セクターの役割という議論に関して、一方では女性のキャリア形成の促進(英米型)、他方で子育て支援の拡大(北欧型)に、日本の進むべきモデルが求められる。しかし、筒井氏が警告するように、いずれのモデルもそれぞれの国の固有事情とそれに規定された矛盾を抱えており、これらのモデルを無条件に受け入れることはできない。さらに、日本はOECD加盟国では公的雇用の比率が最も小さい上、北欧型の男女平等を実現する素地も極めて小さく、また他方でアメリカのように民間で性別によらずキャリアを形成するような仕組みも存在しないという現実を抱えている。こうした中でジェンダー研究の課題とは、政策モデルを支える前提条件及び予想される負の帰結を丹念に解明していくことであろう。そして政策形成においては、100%完璧な制度の輸入が不可能である以上、上からの「導入」ではなく、下からの「議論と合意」を積み重ねていかねばならない点を氏とともに確認しておきたい。
今回、本センターでは立命館大学産業社会学部准教授の筒井淳也氏をお迎えし、アメリカ及び北欧における「女性の働き方」と「公的セクターの役割」を中心とした実証研究の成果をご報告していただいた。筒井氏は、日本を代表する計量社会学の研究者であり、本定例研究会での氏の報告により、未婚化・少子高齢化に関する政策論議において、ジェンダー研究と政策立案者の考慮すべき前提条件がいっそう明らかになったように思われる。
筒井氏はまず、計量研究の動向を以下のように整理する。戦後の高度成長期とそれに続く安定成長期にかけて、日本の社会学では機能主義ならびに社会階層論の理論枠組みに立脚した社会移動の研究が盛んになされてきた。具体的には、主に男性の雇用が安定化していくなかで、親(父親)の職業階層とその子どもの職業階層の関連性の強さが問題とされてきた。そこでは能力主義に基づいた機会平等な社会が理想とされており、本人の努力によらないで出身階層によって本人の階層帰属が決まるということがどの程度生じているのかが研究関心を引きつけてきた。しかし1970年代後半以降、経済成長が鈍化していくなかで、日本は未婚化、少子高齢化に直面し、社会学者の研究関心も機会平等から経済成長や人口問題に移行していくことになる。
しかし筒井氏によれば、未婚化・少子高齢化は、すべての先進国が経験しているわけではなく、日本をはじめ東アジア諸国で顕著に進行しているという。その中でこれまでの実証研究の成果から、少子化は、仕事と家庭の両立支援制度や働き方の柔軟性が、どの程度女性労働力率の上昇が出生率を低下させる動きを中和できるのかの問題であることが明らかになっている。他方で少子化の進展度合いはいわゆる政府の大きさとは無関連であり、社会保障制度が充実した北欧諸国でも、逆にそれが発達していない英米圏でも、相対的に高い出生率が実現している。氏はこの謎をとく鍵を共働き家庭の普及の有無に求める。すなわち、男女賃金格差が小さいなど、仕事をする上での男女平等が進展している社会であれば、たとえ男性の所得が安定してなくともカップルを形成することで生活が成立するケースが増え、そのためにカップル形成、ひいては出生が促進されるのである。
未婚化や少子高齢化を以上のようにとらえた場合、社会保障や家族支援をただ手厚くすれば問題が解決するわけではない。たとえば北欧諸国、とくにスウェーデンでは育児休業が手厚く保障されているために、女性が男性と同等に民間で活躍することに困難があり、女性の多くは公的に雇用され、いわゆる福祉労働に従事している。この意味で男女の賃金格差の小ささは女性の公的雇用によって保証されているのであり、民間セクターにおける自由な職業選択の結果からであるとは言いがたい。他方でアメリカにおいては民間企業における女性の活躍の幅は北欧よりも広いのだが、社会保障の未発達からいわゆるソロ・マザーが貧困に陥るケースが非常に多いなど、別の問題が生じている。
女性の働き方や公的セクターの役割という議論に関して、一方では女性のキャリア形成の促進(英米型)、他方で子育て支援の拡大(北欧型)に、日本の進むべきモデルが求められる。しかし、筒井氏が警告するように、いずれのモデルもそれぞれの国の固有事情とそれに規定された矛盾を抱えており、これらのモデルを無条件に受け入れることはできない。さらに、日本はOECD加盟国では公的雇用の比率が最も小さい上、北欧型の男女平等を実現する素地も極めて小さく、また他方でアメリカのように民間で性別によらずキャリアを形成するような仕組みも存在しないという現実を抱えている。こうした中でジェンダー研究の課題とは、政策モデルを支える前提条件及び予想される負の帰結を丹念に解明していくことであろう。そして政策形成においては、100%完璧な制度の輸入が不可能である以上、上からの「導入」ではなく、下からの「議論と合意」を積み重ねていかねばならない点を氏とともに確認しておきたい。
2013年度 第1回『人の移動・身体・ジェンダー ~トランスナショナルな卵子提供のフェミニスト分析』
Ethics on Eggs: Feminist Analyses of Transnational Egg Donation
2013年5月21日(火)実施
講師略歴:シャルロッテ・クロレッケ氏
南デンマーク大学文化学部准教授。専門は、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズ。新しい生殖医療技術、フェミニスト・コミュニケーションに関する研究に従事。現在は、スペインにおける卵子提供、インドにおける代理母出産の事例を中心に、出産旅行、卵子提供、代理母出産といったテーマについて調査している。同テーマに関する論文多数。
詳細は次のリンク参照:http://www.sdu.dk/en/Om_SDU/Institutter_centre/Ikv/Forskning/Forskningsprojekter/KinTra
詳細は次のリンク参照:http://www.sdu.dk/en/Om_SDU/Institutter_centre/Ikv/Forskning/Forskningsprojekter/KinTra
報告:田中 洋美(明治大学情報コミュニケーション学部特任講師)
近年、医療目的の国際移動が活溌になっている。とりわけ短期滞在型のものは医療観光(メディカル・ツーリズム)として医療関係者だけでなく政府や自治体の注目も集めている。今年度最初の本センター定例研究会では、不妊治療目的の国際移動というテーマを取り上げた。講師にはシャルロッテ・クロレッケ氏(南デンマーク大学文化学部准教授)をお招きし、国境を超えて展開される不妊治療の諸相についてデンマークなど欧州の事例を中心にお話いただいた。
奇しくも日本では今年1月NHKの番組「クローズアップ現代」で卵子提供に関する特集が組まれたばかりであった 。また時期を同じくして国内発の卵子バンクがNPO法人として設立されたが、本研究会開催の1週間程前には、この卵子バンクへの卵子提供に9名の申し出があったことが発表されたばかりであった1。このように絶妙なタイミングで本研究会は開催され、卵子提供や卵子提供ツーリズムについて考える非常に良い機会となった。
ところで非配偶者間人工受精の歴史は1940年代に遡る。日本においては、日本産科婦人科学会の見解を基に生殖補助医療の適用は婚姻関係にある夫婦に限定され、体外受精や胚移植における第三者配偶子の使用は自主規制されてきた2。その後、旧厚生省および現厚生労働省では専門家らによる議論を経て、一定の条件の下であれば非配偶者間人工授精を含む第三者配偶子を用いる生殖医療を施行可能としてもよいという見解が呈示された3。しかし以後も、第三者配偶子を用いる医療により出生した子の民法上の親子関係を規定するための法整備は進んでいない。実際には、法的ガイドラインのないまま国内の民間クリニックであるいは海外で第三者配偶子を用いた不妊治療を受ける人々がいるのが現状である4。
では、ヨーロッパではどうであろうか。クロレッケ氏によれば、ヨーロッパで不妊治療目的の国際移動が活発化した要因のひとつは、各国間での法規制の違いであるという。日本でも同様の理由でアメリカやインド、タイ等で不妊治療を受ける人々がいるが、ヨーロッパでも規制が比較的厳しい国(ドイツ、イタリア、フランス、ノルウェー等)から緩い国(スペイン、ギリシャ、ロシア)へと人の流れが起きているという。
このような不妊治療目的のトランスナショナルな医療観光において、デンマークは送り出し国かつ受け入れ国である。卵子提供においてはデンマークからスペインや東欧へ、精子提供においてはデンマークへ向かう人の流れが起きているのだ。卵子提供を受けるための年齢制限はデンマークでは45歳、スペインでは51歳である。加えて、デンマークでは卵子提供者が比較的少ないことから待機期間もかなり長い。こうした事情からスペインで卵子提供を受ける女性が多いという。その一方で、デンマークには世界有数の精子バンクがあるという。なぜデンマーク人男性の精子の需要が高いのかについては後述するが、こうしたデンマークをめぐる状況の考察を通して、クロレッケ氏は三つの論点を呈示した。
第一に、生物学的資源の交換が「身体の商品化」につながっているとの指摘である。配偶子提供については愛他主義的言説が見られる傾向があり、提供者への報酬はないか低く抑えられている国が多いという5。しかし、一部の国では不妊治療に大いなるビジネスチャンスを見いだし、積極的に利益を追求しているクリニックが存在すると同時に、そうしたクリニックに報酬と引き換えに配偶子を提供する、あるいは代理出産のため身体を提供する人々もいる6。クロレッケ氏は、こうした「身体の商品化」について判断を下すことは難しいが、引き続き批判的に論じていく必要性を強調した。
第二に、不妊治療ビジネスにおける「選別」が人種主義的なステレオタイプの再生産につながっているのではないかという懸念である。氏の発表では、不妊治療クリニックの広告の分析や卵子提供を受けた人々への聞き取り調査の結果から、卵子提供を受けた、あるいはこれから受けることを希望するデンマーク人女性(ないしカップル)の多くが、ラテン民族の特徴とされる明るいパーソナリティと魅力的な容貌もあってスペインを魅力的な医療観光目的地としていることが指摘された。またデンマーク人男性の精子の需要が高いことについては、デンマーク人男性の人種的イメージ(白人、ブロンド、青い目等)の影響を挙げ、白人優越主義的な選好が見られることが述べられた。精子や卵子のデータバンク化により、人種や民族の特徴だけでなく学歴や出身階層などさまざまな属性についてフィルタリングが可能となる。これにより商品化される配偶子の値段が異なれば、属性による序列化が起こりかねない。
第三に、不妊治療が孕む女性の分断ないし女性間の差異の問題である。まず、生殖をめぐるジェンダー規範の問題が挙げられる。デンマーク社会では、子どものいない中高年女性に対する偏見が存在するという。産む女は「母」として認められ、産まない(あるいは産まない選択をした)女は自己中心的でわがままであると捉えられる傾向があり、女性が自ら出産することが重視されているため、養子縁組ではなく不妊治療を受けて子どもを産むことにこだわる女性がいるというのである。また不妊治療においては提供する側と提供される側、身体の商品化ということでいえば消費されるものを提供する側と消費する側という図式がある。上述したように、卵子提供や代理母出産の場合、経済的南北格差を背景にビジネスが成り立っていることもあり、不妊治療を受けるための資源を持つ者の優位性や自らの身体の一部を「商品」として提供する側の社会経済的立場について考えさせられる。
こうした女性という社会的カテゴリーの内部における立場の違いについて、自分のからだのことは自分で決めるという自己決定権を主張してきたフェミニズムはどう論じたらよいのだろうか。不妊治療はある意味、自己決定に基づく実践である。しかしそれが既存の格差や不平等の構造を利用する形で、あるいはそれらの持続ないし再生産に加担する形でなされるとしたらどうであろうか。こうした不妊治療をめぐるさまざまな倫理的問題について今後も批判的議論を重ねて行くことの重要性が、クロレッケ氏の発表を通して改めて確認された。
以上、氏の発表の主要な論点をまとめたが、発表後はフロアから多くの質問がなされ、質問者を交えて活気あふれる議論がなされたことを付記しておきたい。閉会後、クロレッケ氏からは貴重な機会を設けていただいたと感謝の言葉を頂いた。この場を借りて、発表していただいた氏ならびに当日足を運んでいただいた方々に暑く御礼を申し上げたい。
1 同番組では、卵子提供を受けるために、あるいは卵子を提供するために日本から他の国に渡航する人々がいることが報道された。
2 『体外受精・胚移植に関する見解』、1983年10月。
3 厚生省厚生科学審議会先端医療技術評価部会・生殖補助医療に関する専門委員会「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての報告書、2000年12月」、厚生労働省厚生科学審議会生殖補助医療部会「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告」、2003年4月。
4 日本生殖医学会倫理委員会報告、「第三者配偶子を用いる生殖医療についての提言」2009年3月。
5 卵子提供者へ支払われる金額には差があり、愛他主義の色合いの濃いデンマークでは日本円で約9,000円、一方でスペインでは約130,000円であるという。
6 例えば、代理母出産の世界的中心地のひとつであるインドにはそのような傾向があるという。
奇しくも日本では今年1月NHKの番組「クローズアップ現代」で卵子提供に関する特集が組まれたばかりであった 。また時期を同じくして国内発の卵子バンクがNPO法人として設立されたが、本研究会開催の1週間程前には、この卵子バンクへの卵子提供に9名の申し出があったことが発表されたばかりであった1。このように絶妙なタイミングで本研究会は開催され、卵子提供や卵子提供ツーリズムについて考える非常に良い機会となった。
ところで非配偶者間人工受精の歴史は1940年代に遡る。日本においては、日本産科婦人科学会の見解を基に生殖補助医療の適用は婚姻関係にある夫婦に限定され、体外受精や胚移植における第三者配偶子の使用は自主規制されてきた2。その後、旧厚生省および現厚生労働省では専門家らによる議論を経て、一定の条件の下であれば非配偶者間人工授精を含む第三者配偶子を用いる生殖医療を施行可能としてもよいという見解が呈示された3。しかし以後も、第三者配偶子を用いる医療により出生した子の民法上の親子関係を規定するための法整備は進んでいない。実際には、法的ガイドラインのないまま国内の民間クリニックであるいは海外で第三者配偶子を用いた不妊治療を受ける人々がいるのが現状である4。
では、ヨーロッパではどうであろうか。クロレッケ氏によれば、ヨーロッパで不妊治療目的の国際移動が活発化した要因のひとつは、各国間での法規制の違いであるという。日本でも同様の理由でアメリカやインド、タイ等で不妊治療を受ける人々がいるが、ヨーロッパでも規制が比較的厳しい国(ドイツ、イタリア、フランス、ノルウェー等)から緩い国(スペイン、ギリシャ、ロシア)へと人の流れが起きているという。
このような不妊治療目的のトランスナショナルな医療観光において、デンマークは送り出し国かつ受け入れ国である。卵子提供においてはデンマークからスペインや東欧へ、精子提供においてはデンマークへ向かう人の流れが起きているのだ。卵子提供を受けるための年齢制限はデンマークでは45歳、スペインでは51歳である。加えて、デンマークでは卵子提供者が比較的少ないことから待機期間もかなり長い。こうした事情からスペインで卵子提供を受ける女性が多いという。その一方で、デンマークには世界有数の精子バンクがあるという。なぜデンマーク人男性の精子の需要が高いのかについては後述するが、こうしたデンマークをめぐる状況の考察を通して、クロレッケ氏は三つの論点を呈示した。
第一に、生物学的資源の交換が「身体の商品化」につながっているとの指摘である。配偶子提供については愛他主義的言説が見られる傾向があり、提供者への報酬はないか低く抑えられている国が多いという5。しかし、一部の国では不妊治療に大いなるビジネスチャンスを見いだし、積極的に利益を追求しているクリニックが存在すると同時に、そうしたクリニックに報酬と引き換えに配偶子を提供する、あるいは代理出産のため身体を提供する人々もいる6。クロレッケ氏は、こうした「身体の商品化」について判断を下すことは難しいが、引き続き批判的に論じていく必要性を強調した。
第二に、不妊治療ビジネスにおける「選別」が人種主義的なステレオタイプの再生産につながっているのではないかという懸念である。氏の発表では、不妊治療クリニックの広告の分析や卵子提供を受けた人々への聞き取り調査の結果から、卵子提供を受けた、あるいはこれから受けることを希望するデンマーク人女性(ないしカップル)の多くが、ラテン民族の特徴とされる明るいパーソナリティと魅力的な容貌もあってスペインを魅力的な医療観光目的地としていることが指摘された。またデンマーク人男性の精子の需要が高いことについては、デンマーク人男性の人種的イメージ(白人、ブロンド、青い目等)の影響を挙げ、白人優越主義的な選好が見られることが述べられた。精子や卵子のデータバンク化により、人種や民族の特徴だけでなく学歴や出身階層などさまざまな属性についてフィルタリングが可能となる。これにより商品化される配偶子の値段が異なれば、属性による序列化が起こりかねない。
第三に、不妊治療が孕む女性の分断ないし女性間の差異の問題である。まず、生殖をめぐるジェンダー規範の問題が挙げられる。デンマーク社会では、子どものいない中高年女性に対する偏見が存在するという。産む女は「母」として認められ、産まない(あるいは産まない選択をした)女は自己中心的でわがままであると捉えられる傾向があり、女性が自ら出産することが重視されているため、養子縁組ではなく不妊治療を受けて子どもを産むことにこだわる女性がいるというのである。また不妊治療においては提供する側と提供される側、身体の商品化ということでいえば消費されるものを提供する側と消費する側という図式がある。上述したように、卵子提供や代理母出産の場合、経済的南北格差を背景にビジネスが成り立っていることもあり、不妊治療を受けるための資源を持つ者の優位性や自らの身体の一部を「商品」として提供する側の社会経済的立場について考えさせられる。
こうした女性という社会的カテゴリーの内部における立場の違いについて、自分のからだのことは自分で決めるという自己決定権を主張してきたフェミニズムはどう論じたらよいのだろうか。不妊治療はある意味、自己決定に基づく実践である。しかしそれが既存の格差や不平等の構造を利用する形で、あるいはそれらの持続ないし再生産に加担する形でなされるとしたらどうであろうか。こうした不妊治療をめぐるさまざまな倫理的問題について今後も批判的議論を重ねて行くことの重要性が、クロレッケ氏の発表を通して改めて確認された。
以上、氏の発表の主要な論点をまとめたが、発表後はフロアから多くの質問がなされ、質問者を交えて活気あふれる議論がなされたことを付記しておきたい。閉会後、クロレッケ氏からは貴重な機会を設けていただいたと感謝の言葉を頂いた。この場を借りて、発表していただいた氏ならびに当日足を運んでいただいた方々に暑く御礼を申し上げたい。
1 同番組では、卵子提供を受けるために、あるいは卵子を提供するために日本から他の国に渡航する人々がいることが報道された。
2 『体外受精・胚移植に関する見解』、1983年10月。
3 厚生省厚生科学審議会先端医療技術評価部会・生殖補助医療に関する専門委員会「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての報告書、2000年12月」、厚生労働省厚生科学審議会生殖補助医療部会「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告」、2003年4月。
4 日本生殖医学会倫理委員会報告、「第三者配偶子を用いる生殖医療についての提言」2009年3月。
5 卵子提供者へ支払われる金額には差があり、愛他主義の色合いの濃いデンマークでは日本円で約9,000円、一方でスペインでは約130,000円であるという。
6 例えば、代理母出産の世界的中心地のひとつであるインドにはそのような傾向があるという。