Go Forward

2012年度 第4回 多賀 太氏

『教育する父親の時代?:ジェンダーと階層をめぐる家庭教育のポリティクス』

講師略歴 多賀 太氏

『教育する父親の時代?:ジェンダーと階層をめぐる家庭教育のポリティクス』

関西大学文学部教授、博士(教育学)。専門は、教育社会学、ジェンダー論。
主著『揺らぐサラリーマン生活-仕事と家庭のはざまで-』(編著、ミネルヴァ書房、2012年)、『男らしさの社会学-揺らぐ男のライフコース』(単著、世界思想社、2006年)、『男性のジェンダー形成-〈男らしさ〉の揺らぎのなかで-』(単著、東洋館出版社、2001年)など。
報告:出口 剛司(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)
 フェミニズムや女性学の成立が、社会学における階層研究、労働研究、家族研究に与えた影響は計り知れない。しかしその一方で、男性学のほうはどうだろうか。報告者である多賀太氏は、日本における数少ない男性学研究者の一人である。氏はすでに世界的なジェンダー研究者であるレイウイン・コンネルの紹介者としても知られている理論家でもあるが、今回の報告は当事者に対する丹念なインタビュー調査に基づく実証的研究である。その意味で、ジェンダー研究、男性学研究の最前線に位置する理論的知見を背景にしつつ、現代日本の男性育児の実態及び現代家族から日本型近代家族の構造的特質をリアルに描き出すものとして注目に値する。しかし同時に社会学が、そして男性学が、フェミニズムと女性学のインパクトをどのように引き受け、独自の展開を示すのか、それをうかがい知る上でも、氏の研究は極めて重要な意味をもっているのである。
 氏はまず、「父親の育児参加」が叫ばれる風潮に対して、そうした言説の出現がけっして現在に特徴的なものではなく、1970年代の雇用不安の時代にまでさかのぼることを指摘する。具体的には(1)第一波:「父親不在」批判(1970年代半ば~)、(2)第二波:父親の「育児参加」(1990年代前半~)、(3)第三波「父親の家庭教育」(1990年代後半~)に区切られ、それぞれの時代背景と共鳴しつつ繰り返し出現してきたという。氏の類型の中で、とりわけ注目すべき箇所は、第二波と第三波の二つである。通常、男性の育児参加は、家父長制構造の打破という解放的側面をもつと理解されている。実際氏によると、第二派の言説が出現した90年代前半は、「女性の社会的地位の向上の阻害要因として性別役割分業」が位置付けられ、かつ「少子化対策としての母親の育児負担減」がめざされたという。しかし90年代の後半になると、言説構造は多系列化することになる。それらは、①しつけの言説(文部科学省/保守主義)、②世話の言説(文部科学省/男女共同参画)、③卓越化(ビジネス誌/新自由主義)という形で出現することになるのだが、こうしたイデオロギー・言説の多系列化の中で、かつて解放の契機として見なされた男性の育児参加は、現実の場面では「ジェンダー秩序の流動化を促進する側面」と「男性支配の体制と父親の権威を保持する側面」をもつことになる。すなわち、一見、解放的に見える「父親の育児参加」は、秩序からの解放と秩序の強化という両義的性格を帯びるのである。ジェンダー研究という観点から興味深いのは、むろん後者の側面であり、具体的には「家庭教育のために意図的に就労を控える」母親を生み出し、かつ受験支援を通した(父親の)権威の増大といった効果がもたらされることになる。さらにこうした男性の育児参加は、ジェンダー秩序を保存するだけでなく、同時に家族全体を包摂する階層の再生産にも一定の効果を及ぼす。以上の考察を踏まえ、氏は男性が参加する育児の場を「ジェンダーと階層をめぐる闘争のアリーナ」と結論付けるのである。
 フェミニズム・女性学が、男性学及び社会学の中でどのように発展、継承されているのだろうか。多賀氏の報告は、家族内におけるジェンダー秩序と社会全体の階層構造の相互作用の実態を、男性の側が担う性別役割分業とその変容という観点から描き出したという点で、まぎれもなくフェミニズム・女性学の問題提起に答える男性学的社会学の研究の成果である。

2012年度 第3回 山口 一男氏

『ワークライフバランス、女性の活躍推進と日本経済の活性化』

講師略歴 山口 一男氏

『ワークライフバランス、女性の活躍推進と日本経済の活性化』

1971年東京大学理学部卒。総理府勤務を経て1981年シカゴ大学社会学博士。コロンビア大学公衆衛生大学院助教授、UCLA社会学科准教授を経て、1991年よりシカゴ大学社会学科教授、2008-2011年同学科長。2003年より経済産業研究所客員研究員を兼任。2003年に米国社会情報研究所(ISI)より1980-1999年に社会科学一般の部で学術論文が最も引用された学者の1人に認定される。専門は社会統計学、就業と家族。日本語の著作に『ダイバーシティ』(東洋経済新報社2008),『ワークライフバランス—実証と政策提言』(日本経済新聞出版社、2009)などがある。
報告:牛尾奈緒美(情報コミュニケーション学部教授)
 山口教授がサバティカルで日本に滞在中であることから、本講演会を開催することができた。同教授はかねてより日本の女性の能力活用のあり方に異論を唱え、多面的な研究・調査結果から、日本企業や社会に対して、ワーク・ライフ・バランスの推奨やダイバーシティー・マネジメントの推進を積極的に展開してきた。
 本講演の主題も、ワーク・ライフ・バランスによる女性の活躍推進の重要性を唱えるものであり、女性の能力発揮の促進が今後の日本経済の活性化に不可欠であることを示すところにある。
 講演の概要は、以下のとおりである。
1)経済活動における女性の活躍が進まない現状と理由、
2)男女賃金格差の決定要因と解消への対策、
3)時間当りのGDPとGEMの関係(OECD)
4)日本企業のワーク・ライフ・バランス施策と時間当りの生産性の関係
5)日本企業のダイバーシティ・マネジメントの問題、
6)政府や企業は何をすべきか 

 以上の論理展開に基づき、結論として、生産性向上と女性の人材活用を結びつけるために日本企業は何をすべきかについて、以下のような提案が示された。
• 企業トップの男女に平等に機会を与える確たる姿勢が重要である。機会均等の内部的「見える化」をせよ。
• 男女の伝統的分業を前提とする制度・慣行を廃止すべきである。
• 雇用保障と高賃金を時間的拘束の見返りとして与える制度を止め、一日あたりでなく、時間当たりの生産性を基準とすべきである。
• 女性の結婚育児離職率を下げる努力が必要である。それにはコース制(総合職・一般職の区別など)女性のキャリア向上のインセンティブを奪う制度を廃止し、人材活用を目的としてWLB施策を充実させるべきである。
• 育児離職者の正規再雇用に大きく道を開くべきである。
• 「ダイバーシティ推進本部」などをつくり、女性の管理職登用の積極策を図ることも重要である。人事担当管理職の評価基準に合理的なダイバーシティ推進をしているかどうかを含めることが重要である。

 また、さらに、日本の国として、この問題にどう対処すべきかについて、以下にあげるポイントが重要であることが提示された。
• 雇用機会均等法(1986)および男女共同参画基本法(1999)がそれだけでは大多数の日本企業の女性人材の活用に結びつかなかった事実を重く見るべきである(日本的雇用慣行は制度が補完性を持ち、内側からは改革が難しいためか)。従って、より積極策が必要である。
• オーストラリアの職場における女性の機会の均等法(Equal Opportunity for Women in Workplace Act, 1999)や韓国の積極的雇用改善措置法(2006)のように一定規模以上の企業に女性の人材活用に関する統計の報告義務を課し、不適切と考えられる企業には更に改善計画書提出を義務づけるべきである。また基礎的な情報(「職階別や正規・非正規別の女性割合など)は一定規模以上(例えば従業員300人以上)には公開して、人材活用の「見える化」を推進すべきである。(詳しくは経済産業省の「ダイバーシティと女性活躍推進」についての報告書参照。)
• オランダの雇用時間調整法(2000)のように雇用者がペナルティを受けずに就業時間の決定が出来るよう法で定めることが望ましい。最大就業時間60時間も法的に原則とすべきである。

 講演時間内に、大変多くの研究成果や分析視点が示され、まさに盛りだくさんの内容となった。同教授の熱のこもった弁舌に、多くの聴衆が圧倒されるとともに、その主張に触発されさまざまな質問や意見が寄せられ、意義ある講演会となった。

2012年度 第2回 笹谷 春美氏

『介護者(ケアラー)への支援はどうあるべきか:ワーク・ケア・ライフ・バランス試論』

講師略歴 笹谷春美氏

『介護者(ケアラー)への支援はどうあるべきか:ワーク・ケア・ライフ・バランス試論』

北海道教育大学名誉教授
北海道立女性プラザ館長
専門は家族社会学、ジェンダー論、高齢者ケア論
主著
『介護予防—北欧と日本の戦略』(編著、光生館、2009年)、「介護サービスのユニバーサル化」(日本学術会議『学術の動向』Vol.7,No.4、2012)、「女が家族介護を引き受ける時—ジェンダーとライフコースのポリティックス」(上野千鶴子他編『家族のケア・家族へのケア』岩波書店、2008)、「ケアサービスのシステムと当事者主権」(上野千鶴子・中西正司編『ニーズ中心の福祉社会へ』医学書院、2008年) など。
報告:山口生史(情報コミュニケーション学部教授)
 本講演は、ジェンダー問題はもちろんのこと、介護・保健医療政策、生活構造論、生活時間研究、地域福祉論、労働政策等にも幅広く連動するテーマとして、「ワーク・ケア・ライフバランス」政策の必要性を提唱するものであった。ワーク・ライフバランスの理論、研究知見、それを反映した我が国における政策の問題点を指摘しつつ、介護(ケア)の視点から、「ワーク・ケア・ライフバランス」という概念を創出し、可能な政策を提言している非常に洞察的な内容であった。今回は、特に、在宅介護であるインフォーマル・ケアに焦点があてられた。
 介護する者と介護される者との「ケアリング関係」は、前者に関しては、「誰が」、「誰を」、「どこで」、「どのように」介護するのか、後者に関しては、「誰が」、「誰に」、「どこで」、「どのように」介護されるのか、という各々の立場を尊重する長期的・継続的相互行為の関係性の視点に立って考える必要があると主張された。そして、その介護授受の相互関係の持続を支援できる政策が必要であるという。だが、その関係には、家族内のジェンダー関係や権力関係が色濃く反映されていることに注意しなくてはならない。例えば、日本の伝統的ケアモデルでは、「長男の嫁」が、親を介護するという社会的な規範あるいは慣習があったのであり、それは、「長男の嫁」に孤独な重労働を課し続けてきたという介護する側に対するジェンダー規範の問題があった。
 しかし、1990年代以降は、上記の伝統的ケアモデルに代わりから新たなケアリング関係が増加しているという。日本の人口構造の変化、家族構成の変化、未婚率の増加により、老老介護や認認介護における夫による妻の介護が増加した。また、中年層の未婚・無職の子供による親の介護も増加中である。これらのケアリング関係においては、伝統的介護モデルのいわゆる「長男の嫁」による介護時代には、期待(?)されていなかった介護者の増加が見られるという。
 このような社会状況が、様々な介護弱者を増大させている。また、介護をしなければならない立場にあることで、社会との接触機会と自由な時間を喪失し、経済的活動が部分的あるいは全面的に制限される人が増えている。このような介護する側の犠牲の上に成り立つケアリング関係に直面している人とそうでない人との間に介護格差も拡大しているという。さらに、介護のために他者に頼らなければならない「二次的な依存」状態となることの社会的不公正(ファインマン、2004=2009)も指摘された。これらの問題に関する質的調査の研究で得た具体的事例が配布資料で提示された。制度化された高齢者尊厳自立サポートに較べて、介護する人へのサービスの制度化が遅れているという。女性であれ、男性であれ、また年齢に関係なく、介護をする人がワーク・ケア・ライフバランスを保つことができるためのサポート対策が急務であるとのことである。経済的支援はもとより、情報提供による支援、精神的支援、孤立予防のなどのサポートの必要性が提示された。
 最後に、現行のワーク・ライフバランス政策の問題点を踏まえ、あるべきワーク・ケア・ライフバランスが提示された。介護が社会的ケアとして捉えられるべきであるというケアの概念化、ライフの構造の調査・分析 (e.g.,介護時間とその他の生活時間との関係の分析など)、介護している人のNeedsを把握するための方策などを通して、介護政策、労働政策、家族政策、福祉政策、医療政策の連携と統合がなされるべきであるという。現在は、これらの政策が個々に独立していて、連携が十分でないという指摘がなされた。
 聴衆の一人として私は、介護という社会問題が、介護関係の伝統的介護モデルから現在の新しい状況の出現に至り、ジェンダー問題をその根底に孕みながら、すでにジェンダー問題を超えた大きな視点やパラダイムから、この問題を捉えなくてはならないということを良く理解できた。また、今回はインフォーマル・ケアに焦点を当ててお話しいただいたが、最後にオーディエンスからの質問に答えて、介護施設におけるフォーマル・ケアに関しても触れられた。政府は施設の介護ワーカーの専門性の向上の必要性を強調している一方で、介護ワーカーのコミュニケーション能力が非常に重要で、そのための教育が必要であると主張された。個人的なことで恐縮であるが、組織コミュニケーションを専門とする私も、ここ数年、介護施設の組織をフィールドにして介護ワーカーのチーム・コミュニケーションを調査・研究しており、自己の研究の意義を認識できたことは嬉しい限りである。
 豊富な資料とともに洞察に富んだ講演内容をご提示いただき、5人のオーディエンスから質問があり、盛会のうちに本会を終えた。

【引用文献】
マーサ・A・ファインマン(2004=2009)『ケアの絆』岩波書店

2012年度 第1回 シャルロッテ・ウルリヒ氏

『ジェンダーと医療化:ドイツにおける生殖技術の事例から』

講師略歴 シャルロッテ・ウルリヒ氏

『ジェンダーと医療化:ドイツにおける生殖技術の事例から』

オスナブリュック大学(ドイツ)家族の健康とライフコース研究センター(FamiLe)研究員。ボーフム・ルール大学社会学博士。専門は社会学、ジェンダー研究。同大学社会科学部常勤講師(2002年〜2012年)、ノースイースタン大学客員研究員(2006年〜2007年)、京都大学客員研究員(2011年〜2012年)を経て、2012年2月より現職。

主な著書や論文
Medikalisierte Hoffnung? Eine ethnographische Studie zur reproduktionsmedizinischen Praxis(希望の医療化?リプロダクティブ医療の実践に関するエスノグラフィー研究、単著、近日刊行)、Gender Orders Unbound. Globalisation、 Restructuring and Reciprocity(揺らぐジェンダー秩序:グローバル化、再構築、互酬性、2007年、共編著)、Reflexive Körper? – Zur Modernisierung von Sexualität und Reproduktion(再帰的身体?セクシュアリティと再生産の近代化、2004年、共編著)がある。
報告:田中洋美(情報コミュニケーション学部特任講師)
 医療は女性の身体をいかに規定するのか。第二派フェミニズム、そしてその影響を受けて展開されてきた女性学・ジェンダー研究においてさかんに議論されてきたこの問いが、本センターの本年度初回の研究会のテーマとなった。講師には、ドイツの新進気鋭の社会学者・ジェンダー研究者のひとりであり、身体とジェンダーについてさまざまな角度から研究されているシャルロッテ・ウルリヒ氏をお招きし、氏の不妊治療をめぐる医療化に関する理論・実証研究についてご発表いただいた。
 ウルリヒ氏は、ピーター・コンラッドに依拠し、医療化を「医療ではない問題が、病気や疾患、医療問題として定義されていく」(P. Conrad. 2007. The Medicalization of Society)プロセスであると定義した。その上でドイツの不妊治療において、不妊が「病」ではないという捉えられる一方で、それが健康保険の対象となっていることを指摘された。また、こうした医療化にはさまざまなアクター(医師、医療機関、薬品産業、支援グループ、社会運動、患者)が関わっており、とりわけ健康保険を提供する企業(ドイツでは公的健康保険が企業によって提供されている)の影響が大きいという。例えば、かつては全額保険によってカバーされていた不妊治療費用も、近年は保険会社の影響の下、患者負担が50%に引き上げられたという。
 不妊治療が健康保険の対象外である日本と比べると、50%負担ですら「手厚い」支援策のように見えるが、このような支援制度もさまざまな角度から批判的に検討する必要がある。氏の発表では、この制度自体が排他的な性格を色濃く持っていることが明らかとなった。例えば、保険が適用されるのは25歳から40歳までの異性愛カップルの女性である。独身女性や同性愛カップルの女性、25歳未満あるいは40歳を越える女性が排除されている。これはドイツの不妊治療支援制度が社会的差異化を促していること、包摂と排除のメカニズムを孕んでいることを意味する。氏によれば、現在の制度は移行期にあり、他国の制度を参考に変わる可能性が大きいとのことであるが、不妊治療へのアクセスをめぐっては今後の成り行きを注意深く見守る必要があるだろう。
 以上述べたような制度的側面に加えて、ウルリヒ氏は、不妊治療を受ける女性たちの日常生活が医療化されていくプロセスについても論じた。特に治療の過程で当事者が自らの身体に関する「専門家」となっていく様子について取り上げた。氏の実証研究(エスノグラフィー研究)によれば、不妊治療を受ける女性たちは、自分の身体の「健康」のために自ら情報収集し、例えば東洋医学や代替医療についての知識を得て、日々の暮らしにヨガや健康的な食生活を取り入れるなど、自らの身体を自己管理するようになっているという。こうした「生活世界の医療的植民地化」について、氏は、個人化の議論と絡めて批判的な視点を提供した。すなわち個人化において高まる自己責任の要請が女性の身体の医療化においても見られるというのである。不妊治療を受ける女性たちは、医学の専門家から不妊治療を受ける一方で、不妊という「病」でない「病」に取り組む中で自らのからだの「専門家」になる。そして妊娠しやすい「健康な」体づくりを目指して自ら行う日常的実践によって、自己責任を果たしているというのである。
 以上、ウルリヒ氏には、女性の身体の医療化についてドイツの不妊治療の事例を基にした興味深い研究をご紹介いただいたが、発表後の質疑応答も大変充実したものとなった。これについては後日、ウルリヒ氏からも謝辞を頂いた次第である。