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特別講義・上映会 2014年度

2014年度実施分特別講義・上映会の成果につきましては『ジェンダーセンター年次報告書2014年度』(2015年3月31日発行)からもご覧になれます。(PDFデータにリンク)

映画「少女と夏の終わり」上映会+座談会

2014年12月16日(火)実施



【主催】情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター、情報コミュニケーション学部
【日時】2014年12月16日(火)16:20~19:45
【会場】明治大学駿河台キャンパス グローバルフロント1階 グローバルホール
【参加人数】108名
【コーディネーター】内藤まりこ(情報コミュニケーション学部専任講師)
【座談会登壇者】石山友美(監督)、佛願広樹(撮影・編集)、田中洋美(情報コミュニケーション学部准教授)、南後由和(情報コミュニケーション学部専任講師)、脇本竜太郎(情報コミュニケーション学部専任講師)、内藤まりこ(情報コミュニケーション学部専任講師
報 告:内藤まりこ(情報コミュニケーション学部専任講師)
 本イベントでは、新進気鋭の女性映画監督石山友美氏による作品「少女と夏の終わり」(2012年製作、2013年東京国際映画祭正式出品作品)の上映会と、石山監督と撮影・編集を担当された佛願広樹氏、本学教員脇本竜太郎氏、田中洋美氏、南後由和氏、報告者4名による座談会を行った。本報告では,来場者がアンケートに記した感想を交えながらイベントの様子を紹介する。
 まず、イベント前半部の上映会に関して報告する。映画「少女と夏の終わり」は、山間部の小さな村に住む少女の成長に焦点を絞りつつ、それと平行して、彼女を取り囲む村人達のさまざまな日々の営みを描く群像ドラマである。来場者は、この映画に織り込まれたさまざまな物語の要素を興味深く感じたようである。
 ・「なんだか複雑な気持ちになりました。難しいようで、日常にありふれているような、そんなお話でした。様々な視点から描かれていて、考えさせられる、見ていて飽きないお話でした。」
 ・「田舎を舞台にしたノスタルジックな作風と、田舎特有の閉鎖的な雰囲気があいまり(ママ)、ジェンダーで悩む少女たちの苦悩がよく描かれていたと思います。」
 ・「少女時代の不安定さ、性や恋愛に対する嫌悪や憧れ、友情と秘密の共有、自分の過去を思い出してみても「あったなあ」と感じる節が沢山ある作品でした。」
 ・「思春期の複雑な心の変化や狭いコミュニティーの中で生きていくということの苦悩がよく伝わってきました。特別劇的な何かがあるのではなく、じわじわと変化している様子がまた悩ましいと感じました。」
 ・「映画から見えてくるのはジェンダーだけではなくて、社会性や主体性など、日本社会が群像劇を通して垣間見る事ができたと思います。」
 
 続く座談会は、本学教員4名が自分の専門分野に立脚する形で、映画のどのようなところに着目したのか、どのような点を面白いと感じたのか、さらにはどのような映画であると解釈したのか等について述べ、石山・佛願両氏がそれに応答するという形で進行した。登壇者4名はそれぞれ社会心理学、ジェンダー研究、都市社会学、文学の異なる研究分野の研究者であることから、着眼点が同じであっても、導き出された解釈が異なっていたり、異なる場面やモチーフから共通する解釈が抽出されたりすることがあった。このように、いくつかの共通するテーマが浮上しつつ、そこから多様な映画の読み解き方が提示される形での議論の展開を、来場者には楽しんでいただけたように思う。
 ・「教員との直接の意見交換が大変おもしろい。」
 ・「4人の解説が独自の研究とうまく関係していて面白かったです。」
 ・「いろいろなテーマが出てきておもしろかったです。群像劇と同じようにこの企画でも色々な人が色々なことを喋っているという感じがしました。」
 ・「都合が合わず映画を見ることができなかったので、座談会の内容から推測しながら聞いていましたが、たくさんの問題が絡まった映画だと思い興味がわき、ぜひ見てみたいと思いました。」
 ・「教授によって目を当てる(ママ)ポイントがまるで違い、こんな多様な観点から読み解くことができるのだと驚きました。」
 ・「先生方の座談会をきいて、ジェンダーにしても様々な角度から映画を見ることができるということがわかり、自分でも様々な角度から見ようと思った。」
 ・「同じ作品であるのに人によって見方が大きく違い、作品の奥深さを知ることができた。他の映像作品でもこのようなイベントがあると面白いと思う。」 
 座談会後の質疑応答では、何人もの学部生が監督に対し積極的に質問を寄せていたのが印象的であった。また,映画に主人公役で出演された菅原瑞貴さん、上村愛さんが来場くださり、舞台挨拶をしてくださるというサプライズもあった。以下の感想に見られるように、学生が普段の生活ではあまり接触することのない、映画製作者から直接話を聞く機会を提供できたこともよかったように思う。
 ・「制作にあたっての仕組みや裏話が聞けてよかったです。」
 ・「実際に主演の二人が来てくれたところがまずおどろきだったし、感動した。」
 ・「先生方のお話はもちろん、監督への質問を通して、新たな視点から映画を振り返ることができ、大変興味深かったです。」
 ・「普段は映画を見て自分の世界に浸ることがほとんどですが、今回のように、私が大学で学んでいる視点から教授の方が話をされて、さらに監督さんの意図と結びつけて聞けたのはすごくよかったです。」 
 本イベントは本学部の学部生を中心として100名を超える来場者に恵まれた。3時間に及ぶ長丁場となったが、登壇者だけではなく、来場者を含めた形での充実した対話の時間となったように思う。イベントを盛会へと導いてくださった石山友美氏、佛願広樹氏、脇本竜太郎氏、田中洋美氏、南後由和氏にこの場を借りてお礼申し上げる。

特別講演会「ジェンダーの脱植民地化を目指して —世界規模で考える男性性、女性性、ジェンダー関係」

Decolonising gender: understanding masculinities, femininities and gender relations on world scale

2014年7月21日(月)実施

【主催】情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター,情報コミュニケーション学部
【後援】国際ジェンダー学会、ジェンダー史学会、日本スポーツとジェンダー学会
【協力】明治大学セクシュアルマイノリティサークル Arco Iris
【日時】2014年7月21日(月)17時~19時30分
【会場】明治大学駿河台キャンパス リバティタワー1階 リバティホール
【参加人数】148名
【コーディネーター】田中洋美(情報コミュニケーション学部准教授),高峰修(政経学部准教授)
講師略歴 レイウィン・コンネル教授(シドニー大学)
オーストラリアを代表する社会学者・ジェンダー研究者。著書は18 カ国語に翻訳され、国際的に最も知られるジェンダー研究者のひとりである。近著に、欧米を中心に形成されてきた近代社会科学を批判的に検討した『Southern Theory』(2007年)、ジェンダー研究の優れた入門書として版を重ねている『Gender: In World Perspective』(2015年、初版は『ジェンダー学の最前線』として邦訳が世界思想社より刊行)、社会科学と政治について論じた『Confronting Equality』(2009年)がある。その他の主要著書に『Masculinities』、『Schools & Social Justice』、『Ruling Class Ruling Culture』、『Gender & Power』(邦訳『ジェンダーと権力』三交社)、『Making the Difference』等がある。
報 告:田中洋美(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
 レイウィン・コンネル教授は、今日のジェンダー研究において最も著名な研究者のひとりである。とりわけ社会学的なジェンダー理論の形成に大きく寄与し、今日のジェンダー研究において主要概念となっているジェンダー秩序や覇権的マスキュリニティといった用語の普及に大きな役割を果たした人物である。またオーストラリア国内においては労働運動にも積極的に参加してきた「理論と実践」の人でもある。
 コンネル教授の研究は多岐に及ぶが、理論的には次の3テーマについての論考が知られている。ジェンダー関係構造 、複数の男性性(マスキュリニティ) 、「知」の生産 である。このたびの講演会では、氏が近年特に関心を持って取り組んでおられる3つ目のテーマを取り上げ、ジェンダーに関する「知」をめぐる諸問題について講演いただいた。
 「知」とは、端的にいえば、我々が知っていることを指す。自らが知っていることを我々はいかにして知るようになったのか、またそれは誰によりいかにして作られたのか、という問いに答えることは、知の形成における権力関係を問うことに他ならない。人類史において科学ないし学術の世界における「知」の形成には長らく女性が関わってこなかった。このことに気づき、問題化したのがフェミニストたちであった。このような「知」のあり方をめぐるジェンダー問題に介入するという意味においてはジェンダー研究の登場とその後の展開は革命的であった。しかし、こうした革命は限定付きのものとなっている。なぜなら現在、ジェンダー研究においてもまた同様の問題が存在しているからである。ジェンダーに関する研究における知の生産には北米や西欧といった「北」の圧倒的優位が認められる。このことを批判的に論じることが、本講演会の目的であった。
 コンネル教授は、ジェンダー研究を地球的視点から眺めると理論形成の「北」、データ収集の「南」という分業が見られることを指摘した(大まかに「北」とは北米や西欧を指し、「南」とはそれ以外を指す)。このような分業においては、「北」で生み出される理論と「北」の言語(英語)の圧倒的優位の下、「南」について集められたデータは北の理論に当てはめて論じられ、それにより生み出された「知」というものは英語という言語を通して拡がるというパターンがある。これはジェンダー研究に限ったことではないが、コンネル教授は西アフリカの哲学者Paulin J. Hountondjiの研究を参照しながらジェンダー研究に焦点を当てこの問題について論じた。
 ジェンダー知の形成にみられるこのような構造的問題が認識されるようになった背景には、「南」にいる研究者 や欧米諸国における「南」出身の研究者 がこうした問題について論じ始め、それが注目されるようになったことが挙げられる。
 とはいうものの、ジェンダーに関する「知」はいまも往々にして上記のような不均衡な南北関係を軸に産み出されている。コンネル教授は講演で我々に課された課題として次の二点を挙げた。
 第一に、我々の使っているジェンダーに関する理論や概念の持つ歴史性、とりわけ過去500年もの歴史において形成された権力関係やジェンダー関係が孕んでいる植民地性との関連性について認識することである。例えば、コンネル教授は、過去の植民地主義が植民地化された地域のジェンダー関係の形成に大きな影響を与えたことに触れるとともに、今日的な植民地主義としてグローバルな資本主義を捉え、ある地域でのジェンダー問題を理解するには、例えば多国籍企業やトランスナショナルエリート(スクレア)による世界各地の人的資源の管理といったような、トランスナショナルな社会過程や実践の把握が必要であると唱えた。
 第二に、「南」の経験を踏まえてジェンダー研究のアジェンダを再設定することである。例えばジェンダー暴力について、ヨーロッパでは家庭内暴力など少数者が経験する問題として論じられる傾向があるが、南アフリカのようにかつて植民地であった社会では社会全体を特徴づける歴史的な問題である。また別の例を挙げると、国家という概念も「北」の理論で想定されている以上に「南」の社会では重要である 。
 これらの点を踏まえ、コンネル教授はジェンダーに関する「知」の今後のあり方として「モザイク・エピステモロジー」を提案した。これは、南北のヒエラルキーではなく様々な文化や地域がモザイクを構成するひとつひとつのタイルのように平面に並んでいる様子をイメージしたものである。モザイクの欠片ひとつひとつは、それぞれの独自性を保っているが、同時に隣接する欠片との接点も持つ。そして、この「接点」は、単にくっついているようにみえるが、より適切に表現するならば、オーストラリアのジェンダー研究者Chilla Bulbeckのいう「編みこみ」(braiding)であるとコンネル教授は述べた 。
 このモザイク・エピステモロジーが実際にどのように機能するのか、あるいはどこまで効果的に機能するのかについては議論の余地があろう。しかし、とりわけ資本主義のグローバル化が進み、マクドナル化(リッツア)や文化帝国主義(トムリンソン)が危惧される中、それぞれの地域や文化がその独自性を失うことなく、しかし「他者」や自らにとって異質なものから孤立しているのではなく、むしろ積極的に関わりながら新しい「知」を生み出していく。そのような営みを構想する試みとしてコンネル教授の講演は示唆に富んでいた。
 では「北」の圧倒的覇権によって特徴づけられた「知」の生産に我々はいかに介入すべきか、あるいはそもそも介入できるのか。フロアからは、英語で発表された論考を用いずにジェンダーの理論を形成していくことがそもそも可能なのかどうか、現状を変えるためにアジアの研究者に何ができるのか、といった質問が寄せられた。例えば、日本語を母語とし、日本を拠点に活動する研究者にとって、英語という外国語を用いて「北」出身の研究者らが作り上げた「知」の産出システムに介入していくことは容易ではない。コンネル教授は、それでも関わっていくことを提案した。それは学術雑誌の査読プロセスにおいて、あるいは海外の研究者とのやりとりにおいてかもしれない。いずれにせよ、何かがおかしいと感じたときにはおかしいと異議申し立てする。そのような小さな行動の積み重ねによって、少しずつではあるが、何かを変えていくことができるはずとのことであった。
 ところでこのたびコンネル教授をお招きした理由のひとつに、教授がオーストラリアという周縁から「北」に関わってこられた研究者のひとりであるということもあった。これは英語圏におけるオーストラリアの周縁性についてということだけではない。コンネル教授は、そのようなオーストラリアの周縁性とも関連しているオーストラリア社会内部における植民地性の問題、とりわけ支配と抑圧、暴力と破壊の歴史が持つ今日的意味にも向き合ってこられた研究者でもある。その取り組みにおける葛藤が、本講演のテーマとなったグローバルなジェンダー知の生産についてコンネル教授が関心を寄せる背景にはあったのである。日本とオーストラリアは地理的にも文化的にも歴史的にも大きく異なるが、日本もまた社会内部に植民地性の問題を抱えている。ジェンダー知の産出において日本は「南」の一部かもしれないが、別の局面においては「北」に位置付けられることもあるだろう。かつて植民地において日本語使用政策を導入した歴史を持つ日本に生きる我々にとって、英語の使用を否応無く求められる現代社会のありようについて考えることにはいろいろな意味があるはずだ。このような問題関心からもこの度の講演会を企画した次第である。
 なお本公演の質疑応答ではたくさんの質問とコメントを聴衆の方々にから頂戴した。当日は時間の関係から全てを取り上げることはできなかったが、コンネル氏たっての希望で質問とコメントのコピーをお渡させていただいた。また、日本についてもっと知りたいということで、お薦めの文献を尋ねられたが、英語で出版されているものとなると非常に限られてしまうのが残念であった。英語で研究活動をすることは大変であるが、英語が英語圏・非英語圏の多くの研究者との交流を可能にしてくれる面もある。これは有意義なことである。その意味においても、「北」の優位を放置せずに何らかの形で関わっていくことが求められているといえよう。その第一歩として、こういう問題について考える機会を提供してくれたコンネル教授とその問題に関心を持って講演会に足を運んでくださった聴衆の皆様にお礼を申し上げたい。

特別講演会『近代社会の再封建化:社会構造・ジェンダー・経済』

Die Refeudalisierung der modern Gesellschaft: Sozialstruktur, Gender, Ökonomie

2014年7月18日(金)実施



【主催】情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター,
    情報コミュニケーション学部
【共催】明治大学現代社会研究所、日本社会学理論学会、明治大学専任教授連合会
【日時】2014年7月18日(金)17:30〜20:00
【会場】明治大学駿河台キャンパス グローバルフロント1Fグローバルホール
【参加人数】55名
【コーディネーター】宮本真也(明治大学情報コミュニケーション学部准教授,出口剛司(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)【通訳】三島憲一(大阪大学名誉教授)
講師略歴:ジークハルト・ネッケル氏
ジークハルト・ネッケル教授は、ビーレフェルト大学、ベルリン自由大学で社会学、法律学、哲学などを学び、1997年にドイツ連邦共和国ジーゲン大学の社会学及び経験的社会調査の教授に就任した。その後、ヴッパータール大学、ギーセン大学、ヴィーン大学教授を経て、2011/12年冬学期から、ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン大学社会学研究科教授を勤める。また、2004年以降は、フランクフルト社会研究所の年報である『ヴェスト・エンドー新社会研究誌』の編集にも携わっている。ネッケル教授の主な研究テーマは、社会的不平等の象徴的秩序、経済的なものの社会学、文化社会学、感情社会学、政治社会学である。方法として彼は、知識社会学やエスノグラフィといった手法を取っている。2011年にゲーテ大学に招聘されて以来、ネッケル教授は社会学研究科と社会研究所の二つの研究組織において精力的に活動を行っている。ホルクハイマー、ベンヤミン、アドルノ、フロム、マルクーゼに代表される、いわゆるフランクフルト学派の批判理論が形成された場所で、彼が現在目指しているのは、批判的社会学の構築と発展である。本特別講演会のテーマである「近代社会の再封建化」のテーゼは、この課題において重要な鍵をなしている。
主な業績:Neckel, Sighard 2010: Kapitalistischer Realismus. Von der Kunstaktion zur Gesellschaftskritik. Frankfurt a. M. und New York: Campus. /Neckel, Sighard 2008: Flucht nach vorn. Die Erfolgskultur der Marktgesellschaft, Frankfurt a. M. und New York: Campus. /Neckel, Sighard und Hans-Georg Soeffner (Hg.) 2008: Mittendrin im Abseits. Ethnische Gruppenbeziehungen im lokalen Kontext. Wiesbaden: VS Verlag. /Neckel, Sighard 2000 [1993]: Die Macht der Unterscheidung. Essays zur Kultursoziologie der modernen Gesellschaft. Frankfurt a. M. und New York: Campus.
Neckel, Sighard 1991: Status und Scham. Zur symbolischen Reproduktion sozialer Ungleichheit, Frankfurt a. M. und New York: Campus.(法政大学出版局から『地位と恥辱─社会的不平等の象徴的再生産』(岡原正之訳、1999年)として出版されている)
報告:宮本 真也(情報コミュニケーション学部准教授)
 2015年になってT・ピケティと彼の著書である『21世紀の資本』が話題となり、各種メディアでも頻繁に現代の資本主義社会と不平等、そして再分配の問題がアベノミクスとの関係から言及されている。とはいうものの、この問題設定はピケティに独自なものではないことは、本特別講演でジークハルト・ネッケル教授が選んだテーマからも明らかである。今回、世界社会学会議横浜大会をきっかけに来日したネッケル教授にとって、資本主義的近代化という運動そのものと、そこに生きる人びと、特にグローバル・エリートたちの生態は、目下の重要な関心事である。そして、批判理論の伝統を継いで批判的社会学を構想するうえでも不可避の問題なのである。以下、ネッケル教授の講演内容を要約したい。
 金融市場資本主義は、欧州諸国を巨大な金融危機および債務危機に引きずり込んだ。それ以降、金融市場および信用市場での投機に対する公共圏での批判に賛意が集まっている。国家の破局的負債で民間の投機が儲かること、金融市場の富の崩壊およびそれと同時に起きている社会の貧困、社会的不平等の激化、こうした現状への批判が向かうところは、同じなのである。つまり、現代資本主義は、もう過去のこととされていた封建的な諸構造、身分制的特権、さらには上層貴族階層の時代へと現代社会を引き戻そうとしている、ということである。
 【ポスト・デモクラシーと再封建化】 金融市場資本主義は、実際には富裕で特別待遇を受ける人々から成るニュー封建制へとわれわれの世界を逆戻りさせている、というのが公共圏での批判である。社会科学として、この批判を展開したのは、英国の政治学者C・クラウチである。「ポスト・デモクラシーの到来」というテーゼを立てて彼は、デモクラシーの過程が、抛物線的な発展の終点に到達していると論じている。この抛物線のはじまりには、同権に依拠した参加を求める闘争があり、その頂点が組織された福祉国家であり、その下降には「デモクラシーの実質の喪失」が位置しているという。「デモクラシーの生活曲線」のこうした下降で重要な役割を演じているのは、経済制度としての市場である。そして、この市場の規則が、政治動向をより強く決定するのである。ポスト・デモクラシーにあってはまるで経済市場であるかのように、政党は票のために市民の歓心を奪い合い、市民たちの側は政党に対して顧客のように振る舞う。この「政治的コミュニケーションの退廃」に応じて社会過程においては、制御不能な私的権力が増大し、同時に、それ以外の一般国民は断片化している。グローバルな経済エリートは彼らの私的な経済的利害によって、国家のような政治的共同体の諸制度に影響力を及ぼす。反対に、大部分の社会集団にあっては、参加権が削り取られ、政治的には無力となり、経済的な不安定さが広がっているのである。
 ポスト・デモクラシーに関するこの分析は他方で、驚くべきことに、50年前にJ・ハーバーマスが『公共性の構造転換』で展開した社会批判の概念との近さを示しつつも、いかなる理論的なつながりもない。当時ハーバーマスは「再封建化」という概念をもちいて、公共の議論の場を例にしながら、公共圏の基礎的なもろもろの制度の変容とともに、かつての市民的なコミュニケーション形式が逆向きの変容を蒙ったことを論じた。その分析の中心にあるのは、社会のさまざまな領域が、商業化と政治的正統性の調達という二つの圧力を受けてプライベート化して行く様子であった。そこで市民的公共圏は、経済的利害とメディアによる政治的影響力行使のための手段になってしまっている。それゆえ、ハーバーマスによると、市民社会の成立のために不可欠だった公的問題と私人の利害という領域の区別が消失している。それは、クラウチが現在、経済エリートは政治的空間と国家の諸制度を利益重視の企業に類したものにしてしまった、と指摘している事態に匹敵するほど重要なことである。
 【女性の家事労働の再封建化】 現代の社会分析においては、「再封建化」という考え方を目にすることは少ない。例えば、多くは女性から成る家事労働者はグローバルに移動して、グローバル化した中心的都市の多くで家事労働者として働いている。こうした女性労働者のグローバルな移動に関する研究では、その分野で契約の平等性がまったく欠如していることが分かる。そこではミグレーション労働者の家事労働に「再封建化」ではないかという疑いが生じてくるのである。この考え方によれば、グローバル化した労働市場で家事労働を提供しようと動く人々は、まったくの個人的従属状況にあり、かつての市民的=近代的な区別、すなわち公的と私的の区別、仕事の場所と住むところの区別、賃金と個人的好意の区別などが無意味になっている。平行して、そこには搾取環境がある。またこうした女性たちが労働する諸国に不法滞在していない場合でも、滞在権はさまざまに限定されている。それゆえそこでの労働は往々にして雇用者の私的空間でもなされている。特にグローバル・ケア・チェーンと言われる巨大な労働分野においては、女性たちは豊かな国々で介護労働や家事労働に従事している。そして、権利の配分という点では、現代社会における歴史的進歩の以前の時代状況に退化し、女性たちはニュー封建制ともいうべき従属関係に陥っているのである。
 【社会構造の再封建化】 最後に、現代の社会構造をめぐる議論で「再封建化」の概念が用いられるのは、どういう家族に由来するのか、また今日の下層階級と上層階級の社会的位置がどう遺伝されていくのかについてである。例えばドイツで高級サラリーマンの子供たちの社会的上昇の可能性を未熟練労働者の子供たちのそれと比較してみると、前者は、企業で上の方の地位に上がって行くチャンスが後者に対し40倍も高い。世界的なオキュパイ・ウォール・ストリート運動のキャッチフレーズだった「私たちは99% だ」という表現ですら、きれいごとに過ぎないのである。資本主義的市場経済の運動規則では、もはや物質的分配のこれほどの不平等は説明できない。グローバルな労働市場での受容と供給のメカニズムだけが収入配分の度合いを決めるものなら、現在における労働市場で最良の資格と能力を供給できる人々が、富の増大から最大の利益を得ておかしくない。だが、実際にはそれに代って、高度な能力を持った知的労働者であっても非常にしばしば残りの99%に属している。
 こうした分配秩序のもとで、富める寡占支配層が市場の幸運からではなく、金融商品の所有と、それのもたらす権力のみによって利益を得て、結果として市民的な競争秩序はもはや言い訳にもならない。再封建化とはしたがって、両極分解した二つの社会グループのあいだの地位をめぐる競争もなく、両グループとも比較不能な生活状況へと閉じこもることになる事態である。つまり身分制的に硬直した静的な社会構造のことである。その点では、モダンな社会に特徴的なダイナミックな社会的モビリティ(流動性)というプロセスの正反対である。
 【近代化の逆説】 この点で理論的に展望を開くためには、再封建化とポスト・デモクラシーが生み出される運動の様態を観察する必要がある。資本主義的近代化は自らのうちに自らの進行と反対の動きを宿しているかに見える。つまり、「再封建化」とは、歴史的に過去の時代が再来することでも、大昔の時代への逆行でもない。特に重要なのは、再封建化はある特定状態のことではなく、あるプロセスを指すということである。つまり、一定の閾値に至って逆転現象が起きること、つまり社会の諸制度が、それが歴史的に発生したときの特徴だった規範的特性を失ってしまうというプロセスである。近代化の進捗につれて社会の機能システムがかつてその発生の理由となった市民的な性格を失い得るということでもある。再封建化とはそれゆえ、資本主義と市民社会における逆説的近代化をさすカテゴリーなのであり、市民的社会秩序のもろもろの基準から離反するように仕向けるダイナミズムのことである。再封建化という分析モデルには、社会学的に見て別々の時間地平が絡まり合っている。つまり、新しい事態が単に一方的方向を持った近代化の帰結として生じるのではない。むしろ、これまで知られていなかった社会変動が、経済と社会における伝来の社会秩序のパターンを新たなかたちで実現させることで、古いものが新しく生まれてくるのである。今日、再封建化においては、経済を金融市場資本主義という構造へと近代化させたおなじ社会的プロセスが、収入、権力、社会的承認[名声や評判]の分配に関する社会形式において、元来は近代以前にあった社会秩序のパターンをふたたび顕在化させている。富の巨大な増大を約束してくれるそのおなじ経済的発展プロセスが結果として、ますます多くの人々がこうした富から排除されるという帰結を産み出している。
 【現代社会の再封建化】 ポスト・デモクラシーにおけるデモクラシーのさまざまな制度の空洞化を論じる場合であれ、あるいは、現代の金融市場における経済的なニュー封建制について論じる場合であれ、社会変動の考察にとって、資本主義的近代の「再封建化」という分析資格は、社会発展のパラドクシカルなモデルとして多くの点で有効である。
 以上の分析にしたがうと、今日の社会秩序において再封建化のプロセスは少なくとも次の四つの次元に認めることができる。第一は、社会構造および社会的不平等の変化に関してである。調整不能な社会的状況という両極化のメルクマールに、また出自が身分制的に固定化されてきていることに、封建化の明白な徴候を見ることができる。第二は、経済プロセスの組織化および金融市場において支配的な経済的最上層グループのニュー封建制的なステータスに関してである。第三には規範的側面、つまり、価値の再封建化と金融市場資本主義の正統化の秩序に関してである。これはその核心においては能力原理が、能力と無縁な、相続された位置や財産や所有証券によって取って替わられることであり、また名声や承認の再封建化である。ここでは能力原理・努力原理が共有され、要求され手はいるものの、実際には社会における自らの地位や階層を高めるには、それほど効力を持ってはいないという意味で空洞化してしまっているのである。第四には福祉国家の再封建化である。これによって国による社会政策は資金援助というかたちで再民間化され、社会政策を受ける市民の権利は、民間の慈善事業に依存するかたちへと変貌してしまうのである。
 経済と社会構造、価値および能力主義・成果主義、国家の諸制度および社会政策、こうしたいっさいが再封建化しているわけであるが、それによって現代資本主義の組織原則や文化がそのかつての規範的基礎からいかに切り離されてしまったかが分かる。資本主義と市民性の歴史的結びつきは21世紀において終結したように見える。資本主義と市民社会はもはや相互依存関係にはなく、むしろ対立する。この逆説的な帰結は市民性なき現代資本主義の成立である。おそらくこの非市民的なありようこそ、21世紀において、資本主義がグローバルな勝利の道を進み始めた文化的前提なのである。
 講演ののちには、資本主義に対するネッケル教授個人の理想化の疑惑、理想的な市民的公共圏の今後の可能性、特にジェンダーとの関連でEU内の労働市場でのケア労働などについても質問が出された。また、日本における貧富の差、格差社会のあり方などにも言及され、資本主義的近代における「再封建化」テーゼの有効性、普遍性について、議論が及んだ。質疑応答は予定時間を越えて行われ、ネッケル教授にはそのつど学術的に示唆に富む回答をいただいた。
 ネッケル教授の準備段階から当日までの誠実で丁寧なご対応と、三島憲一大阪大学名誉教授のまさに職人芸というべき通訳・司会がなければ、本講演会はこれほど充実したものとはなりえなかっただろう。ここに記して深く感謝の意を表したい。

資料映像上映会「女性法曹界の道を拓いた人々-明治大学専門部女子部の足跡-」

2014年5月30日(金)実施



【主催】情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター、情報コミュニケーション学部
【後援】法科大学院ジェンダー法センター/学長室/大学史資料センター
【日時】2014年5月30日(金)17:00~19:00
【会場】明治大学駿河台キャンパス グローバルフロント1階 グローバルホール
【参加人数】約30名
【上映後のコメント】吉田恵子氏(元情報コミュニケーション学部教授・前ジェンダーセンター長)
報 告:細野はるみ(情報コミュニケーション学部教授)
 女性の社会参加が非常に制限されていた昭和初期の1929(昭和4)年、明治大学は将来の女性の活躍を見すえて法科と商科からなる「専門部女子部」(以下、「女子部」と略称)を開設し、そこからは法曹界をはじめ専門職に就く優れた女性たちを輩出した。このことは本学部ジェンダーセンター発足に至る経緯を説明する時に必ず触れる明治大学の女子教育の歴史だが、それを過去の話として埋もれさせずに今後の学生にもわかりやすく伝えていくことを積年の課題とし、そのための資料を収集して来られた初代ジェンダーセンター長の吉田恵子先生が資料映像としてまとめられ、2014年3月のご退職から一月ほど後に完成した。資料映像作成に当たっては、ジェンダー関連の研究・教育を支援する明治大学シモーヌ・ヴェイユ基金の援助も受けることができた。
 映像では専門部女子部誕生前夜の大正末期の社会情勢から説き起こしている。第一次世界大戦後の大戦景気に伴い工場やデパートの傭員、バスガール、タイピスト等の様々な職種の職業婦人が増加していくさま、多くは良妻賢母教育を旨とした当時の女学校の女学生の風景、大正デモクラシーと普通選挙法の成立、それが男子のみであったために女性にも政治参加の機会を開こうとする「新婦人協会」「婦人参政同盟」などの婦人運動の興隆、そして女性にも弁護士への門戸を開こうという弁護士法の改正運動を背景に、昭和4年に明治大学に法科・商科からなる専門部女子部が開校した。女性が政治や社会に参加するには、まず良妻賢母教育ではない、職業に必要な法律や政治・経済などの基礎知識を学ぶことのできる高等教育がなされなければならないという趣旨で、明治大学の3人の教授たち、横田秀雄・穂積重遠・松本重敏らの尽力で開校にこぎつけた。その設立趣意書全文が資料中に掲載されているが、このことがいかに時代を先取りした取り組みであったかということが十分にうかがわれる。
 次いで、開校当初以降の入学者の顔写真台帳と、その後の活躍に伴っての写真映像をもとに、各期の卒業生の各分野での活躍の群像が描かれる。後に明治大学短期大学の教員になった高窪静江、明治大学初の女性学部教員(法学部)であり女性初の法学博士の立石芳枝、以下、女性初の代議士、女性初の税理士、等々、各分野で「女性初の」と冠される人材が続く。極めつけは1938(昭和13)年の司法科試験(当時は高等文官試験司法科)に久米愛・三淵嘉子・中田正子の3名の卒業生が合格し、これが日本で女性の初の弁護士の誕生となったことだった。実はこの頃女子部の入学者は減少を続け、あわや廃校かとの危機にあったが、これに刺激を受けて、戦前・戦中の困難な時代にもかかわらずその後も法曹界を目指す女子学生が入学、司法科試験や行政科試験の合格者のほとんどを女子部から出し続けた。
 戦後は大々的な教育システムの改変があり、女子部もいくつかのプロセスを経て明治大学短期大学と改められた。4年制の大学に女性が受け入れられるようになった後にも女子の進学先として2年制の短期大学への入学希望は多く、法律科・経済科ともに社会科学の専門教育を受けられるユニークな短期大学としての需要は大きかった。短期大学終了後も関連の4年制学部に進学し、更に職業人として活躍する女性を多く生み出していった。
 現在、社会全体で男女共同参画の必要性が叫ばれ、女性の社会参加を促す施策が諸方で展開されているが、明治大学専門部女子部の目指したところはまさにこのことの先取りであったといっていいだろう。女性の社会進出を促すにはそれを準備する教育の必要なことや、職業社会の多数者である男性の理解と後押しが必須であることを現実的に証明した。しかも、一時的に一人の特異な有能な人材を出すことにとどまらず、教育機関として継続してその予備軍を育て続けたことは、今後の男女共同参画の実現に向けての大きなモデルとなるであろう。
 その後、女子の高等教育の機会が増えるにつれ短期大学の需要は減り続け、2003年度をもって入学試験を停止、2004年には新しく男女共学の情報コミュニケーション学部が誕生した。短期大学と情報コミュニケーション学部は組織として直結しているわけではないが、新学部は時代のキーワードを負ってまた別の意味で時代を先取りする教育・研究を展開する学部と目されている。併せて女子だけの教育機関が明治大学から姿を消すことになり、女子部の歴史的意義が次第に忘れられていってしまうことを危惧して、ジェンダーを核とし、多様性への洞察と理解を深めるよう、さらに次の時代を見越した研究・教育・社会連携を目指す「情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター」が開設された。
 資料映像上映後は吉田恵子先生により、関係者の高齢化を考慮してインタビューを急がねばならなかったことなど、映像制作にまつわるお話が披露された。
 上映会後のアンケートのコメントで多かったのは、宣伝が行き届かず参加者が少なくて残念だったということだった。主催者としても同感で、今後の課題としたい。資料映像はくり返し上映することができるので、10月19日のホームカミングデーで卒業生対象に2度の上映を行った。さらに、明治大学が女性研究者研究活動支援に採択されて大学全体に男女共同参画の機運が高まってきているので、今後も上映の機会を設定し実施していきたい。