Go Forward

特別講義・上映会 2016年度

 2016年度実施分特別講義・上映会の成果につきましては、「ジェンダーセンター年次報告書2016年度」(2017年3月31日発行)からもご覧になれます。(PDFデータにリンク)

映画「ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気」上映会&トーク



【プログラム】
◆第1部:映画「ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気」上映
(ジュリアン・ムーア主演/ピーター・ソレット監督/原題:Freeheld/2015年製作/アメリカ/103分)

◆第2部:トークセッション「日本のダイバーシティって何だろう?」(60分)
[登壇者]
上川あや(世田谷区議会議員)
川田 篤(日本アイ・ビー・エム(株)ソフトウエア事業部部長)
齋藤明子((株)ポーラ人事部ダイバーシティ推進チーム課長)
大森千秋(松竹(株)洋画調整室)
[司会]
田中洋美(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
松岡宗嗣(明治大学政治経済学部4年)

【映画概説】アメリカ・ニュージャージー州オーシャン郡。20年以上、警察官という仕事に打ち込んできた正義感の強い女性・ローレルは、ある日ステイシーという若い女性と出会い、恋に落ちる。年齢も取り巻く環境も異なる二人は、手探りで関係を築き、郊外に一軒家を買い、一緒に暮らし始める。家を修繕し、犬を飼い、穏やかで幸せな日々が続くはずだった…。
しかし、ローレルは病に冒されてしまう。自分がいなくなった後もステイシーが家を売らずに暮らしていけるよう、遺族年金を遺そうとするローレル。しかし法的に同性同士にそれは認められていなかった。残された時間の中で、愛する人を守るために闘う決心をした彼女の勇気が、同僚やコミュニティ、やがて全米をも動かしていくことになる…。
報 告:田中 洋美(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
 2016年11月15日(火)、本センターではアメリカ映画「ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気(原題:Freeheld)」(2015年全米公開、http://handsoflove.jp/)の試写会とダイバーシティに関わる活動で実績のある方々をゲストにトークセッションを行った。この日は、国際寛容デー(International Day for Tolerance)の前日であった。これは1995年11月16日に採択された国連寛容宣言を踏まえ、国連が定めたものである。背景には、「人々は本質的に多様である。つまり寛容のみが世界各地の混成コミュニティを存続させることができるのだ。(People are naturally diverse; only tolerance can ensure the survival of mixed communities in every region of the globe) 」(注)という考えがある。本センターは、寛容という言葉こそ使わなかったものの、この考えに共鳴し、同時期に本イベントを行うことにした。
映画「ハンズ・オブ・ラヴ」では、二人の女性のパートナーシップを軸に、警察という硬い体質の組織での女性やマイノリティの働きにくさ、社会における同性カップルの暮らしにくさなど、社会におけるさまざまな偏見やそれに基づく差別、そしてそれらと折合いをつけながら生きる人々の姿が実話を基に描れる。本映画が、性別、セクシュアリティ、人種、宗教、年齢・世代等に基づく差別撤廃、ダイバーシティ(多様性)推進の動きが企業や行政に起こりつつある現代社会について、またそのような社会で生きることについて考える上で優れた教材となりうるとの確信から、主として学生を対象に映画上映とインタラクティブなトークセッションから成るイベントを企画した。また当日の司会は、筆者とともに昨年本センターが行ったMEIJI ALLY WEEKの学生実行委員長を務めた松岡宗祠さん(政治経済学部4年)が務めた。
当日は映画の上映から始まった。103分の上映後、会場は静けさに包まれていた。心を揺さぶるストーリーに涙を流した人々も少なくなかったようである。しばしの休憩を挟み、トークセッションが始まると会場は異なる雰囲気に包まれた。
トークセッションには、上川あや氏(世田谷区議会議員)、川田篤氏(日本アイ・ビー・エム株式会社)、齋藤明子氏(株式会社ポーラ人事部ダイバーシティ推進課長)、大森千秋氏(松竹株式会社洋画調整室)の4名を登壇者としてお招きした。トランスジェンダーの議員として知られる上川氏は、実体験を基に映画が描いた主人公ローレルの境遇について理解を示した。
まず本映画の日本での上映は、国内配給を担当する松竹株式会社がこの映画の公開を決めたからに他ならない。トークセッションでは、本作品を見つけ、買い付け、公開に向けて動かれた同社の洋画買い付けチームのメンバーの大森氏に、買い付けの様子や公開に至るまでの過程についてお話いただいた。
大森氏らは年に3、4回ほど海外のいろいろな都市で行われる洋画の見本市に参加し、新作の情報を収集し、また日本での公開に向けての交渉などを行っているという。「ハンズ・オブ・ラヴ」については、2年ほど前にアメリカで行われた見本市で初めてその存在を知った。人が人を思うまっすぐな気持ちに純粋に感動し、すぐに台本を取り寄せた。その後、年が明けて、ベルリン映画祭でこの映画の抜き出し映像を見る機会があったが、短い映像にもかかわらず非常に心を揺さぶられたことから、ぜひとも日本で公開したいと強く思ったそうだ。ただチームの中に同性同士の恋愛に違和感を感じる者もいたため、帰国後、社内で意識調査を行った。結果、否定的な見解がほとんどないことを確認し、公開を本気で考えるようになったという。公開に向けて本格的に動くようになったきっかけは、その後参加したトロント映画祭であった。ワールドプレミアとして一般聴衆とともに映画を観賞し、多くの人が涙を流し、感動している様子を目の当たりにしたという。
このような日本上映に至るまでの背景を踏まえつつ、登壇者らにより映画のストーリーを踏まえての様々な見解が呈示された。上川議員は、実体験を基に次の2点を強調された。第一に、映画の舞台アメリカだけでなく日本においてもマイノリティが生きづらい社会であること、第二に、しかしながら社会は変わりうる、ということである。映画の中では、必ずしも望むような形ではなかったかもしれないが、主人公の望みは叶う。上川氏は、性別を変更する制度をつくるために議員になり、実際にそれを成し遂げた人物であるが、この体験からも、映画が描いた「成功」はアメリカだけの話ではないこと、日本でも制度がないからと諦めずに、方法を探り、戦略的に動くこと(例えば、政治家にならなくても役所にハガキを出し、問題を訴える、つまり憲法で保障されている請願権を行使する等)で変化が起こりうることが指摘された。
一方、川田氏は、職場で50代になってからゲイであることをカミングアウトし、現在は性的マイノリティに関するさまざまなイベントやメディア報道に出る等、活躍されている。今回この映画を見て、性的マイノリティをめぐる法整備が遅れた日本において自らが同じ状況に置かれており、涙なくして観ることができなかったというお話が冒頭にあった。また映画の中でさまざまな人々がさまざまな形でローレルを支援している様子が描かれていることを指摘し、最終的にはどういう関係性を作っていくかという人間性の問題であると述べた。
斎藤氏は、企業でダイバーシティ推進を担当する立場から、まず映画の中で描かれる性別ゆえの生きづらさについてコメントがあった。現在、日本でも多くの企業においてダイバーシティ推進が行われるようになっているが、その大きな柱となっているのは女性の働きやすさの実現である。このことと絡めて、ローレルとそのパートナー、ステイシーは、職業は異なるが、共に男社会で働いており、女性であることを理由になんらかの「差別」を経験していること、またそのような構造とうまく折り合いをつけながら生きていることの指摘がなされた。その上で、現在、性別やセクシュアリティに関係なく誰もが働きやすい社会の実現を目指した動きが企業を含むさまざまな組織で起こりつつあり、社会は確実に変わりつつあるということが重ねて強調された。
このような登壇者からの話を受けて、司会の松岡氏より、アライ(ally、性的マイノリティの支援者として使われつつある言葉)という言葉の重要性に改めて気づいたとの言葉があった。
質疑応答の時間では学生たちからも手が挙がった。就職活動を控えた女性の学生は、女性が人口の半分を占めているにも関わらず、映画に登場する人々、特に主人公を助ける人々は、ローレルの主治医を除き、ほとんどが男性であるのを見て、社会で力を持つのは結局男性なのだろうかと感じてしまったと述べた。その上で、2016年現在はどうなのだろうかと思うか、また意思決定に関わる人々が男女半分ずつになるのはいつだと思うかという質問があった。この質問に対して、登壇者から次のようなコメントがあった。まず上川議員は、男性と女性の両方で働いた経験から社会においてジェンダーの格差があるとした上で、現在は議員として女性であっても勉強してスキルアップすることで変化をもたらすことができるという力強い言葉をいただいた。川田氏、斉藤氏からは、職場には女性であっても有能な社員がいること、ただし社員に男性が多い会社と女性が多い会社では組織文化が異なる傾向があるという話があった。組織文化によって組織内でどう動くかも変わってくる。斉藤氏は、文化が変わるには時間がかかることから、どういう組織に身を置くかをよく見て、選ぶことが大切であるという指摘があった。
セクシュアルマイノリティであるという別の学生からは、趣味の世界においても多様性が問題となっているとの発言があった。趣味のコミュニティにおいて自分のセクシュアリティを打ち明けられずに悩んだが、今では年配の方々にも受け入れていただいており、違いを受け入れる方向に変化が起きているのではないかという発言があった。このことについて川田氏からは、差別を認めない法律が必要ではないかとの指摘があった。というのも、多様性を良しとする考えを持つ人が増えつつある一方で、差別意識のある人もおり、「ノー」という権利を主張する人もいるからである。
最後に、登壇者からは、声を上げ、幸福を追求することの大切さが繰り返し強調された。性的マイノリティをめぐる状況は、同性婚や性別変更等が認められるようになるなど、制度整備は大きく進みつつある。しかし人々の意識の変化はまだ限界つきであるといえよう。こうした状況を打破するためには、より多くの人がアライ(ally、性的マイノリティの支援者を指す言葉として近年使われつつある)となることも重要だろう。そして、このアライという言葉は、司会の松岡氏が指摘したように、セクシュアリティだけでなく様々な差異にまつわる困難を抱える人々を支援する人々という意味でも使うことができるだろう。
以上、イベントの概要である。この企画が現在の社会について理解を深め、今後あるべき社会の姿を構想する契機となったのであれば幸いである。
最後に、今回のイベントは、松竹株式会社とのコラボ企画であった。映画の試写およびトークセッションの実施にあたり、松竹関係者の方々より多くのご支援を頂戴した。この場を借りて心より感謝したい。

注:1)国際寛容デーに関する国連サイト、2017年1月20日閲覧
http://www.un.org/en/events/toleranceday/background.shtml

メディア報道
The Japan Times. “Freeheld’ stirs talk of minority rights in Japan.” 1 December 2016, p. 11.
http://www.japantimes.co.jp/culture/2016/11/30/films/freeheld-stirs-talk-minority-rights-japan/#.WEoaL8JKOEc

NHKラジオ第1、毎週金曜22:00-23:10「NHKジャーナル」11月18日(金)映画コーナーにてイベント紹介(企画者、学生のインタビューあり)

MovieWalker 「映画:LGBTが自分らしく生きるためには?50代でのカミングアウトがもたらした希望」2016年11月16日10時53分
http://news.walkerplus.com/article/92719/

GENXY「ダイバーシティを考える、LGBT映画「ハンズ・オブ・ラブ」のトークイベントが開催」2016年11月16日
http://genxy-net.com/post_theme04/1116316l/

映画上映後のトークセッション

ドキュメンタリー映画「ちづる」上映会



 【主催】明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター
【後援】明治大学学生相談室
【日時】2016年6月21日(火)17:30~20:00
【会場】明治大学駿河台キャンパス  グローバルフロント グローバルホール

【プログラム】
・ドキュメンタリー映画「ちづる」上映
(監督・編集:赤﨑正和/製作:池谷薫/2011年製作/79分)
・赤﨑正和監督による講演
・森達也教授による映画コメント
・質疑応答

【来場者数】82人
【コーディネーター】細野はるみ(明治大学情報コミュニケーション学部教授、同学部ジェンダーセンター長)
報 告:細野 はるみ(明治大学情報コミュニケーション学部教授)
  ジェンダーセンターでは、ジェンダー問題を通して多様性の理解と共生社会の実現に寄与することを設立以来の目的の一つとしており、それはジェンダーに限らず、少数者の理解という点で視野を広げることもできるのではないかという問題提起を含めた企画として、障害者とその周囲の人々を扱ったドキュメンタリー映画「ちづる」の上映会を実施した。
立教大学の学生として映像制作を学んでいた赤﨑正和監督は、大学の卒業制作として妹の千鶴を対象に選んだ。当初は、妹のことを友人たちにことばではうまく説明できず、映像ならできるのではと取り組み始めたが、撮影の過程で妹だけでなく自分や家族を見つめ直すことになる。自閉症は自閉症スペクトラムとも称され、発達障害の一種である。障害といっても身体活動に問題はなくことばも話せるため、周囲の人々にその困難さを分かってもらうのは逆に非常に難しい。自閉症には知的障害と重複する場合もそうでない場合もあるが、いずれにしろ周囲の状況の客観的な把握や適切な対応が難しく、本人なりの独特な文脈で理解する、「空気を読めない」人々である。日常の対人関係は周囲の人々も長年の経験の積み重ねの上で徐々に理解し受け入れていくしかなく、それが分からないとなかなか付き合うのは難しく、いきおい家族やごく近しい人しかつながりが持てなくなって「社会性」も育ちにくい。この映画では、障害者本人だけでなくそれを支える家族の問題も浮き彫りにする。支援の仕方、社会との関わりの持ち方、ケアする家族の負担など、障害者問題としてだけではなく、高齢者や病人のケアにも共通する問題を提起している。
上映後の講演では、赤﨑監督の講演と森達也情報コミュニケーション学部特任教授のコメントがあった。赤﨑監督は、映像を通して表現したいという思いの根底には、自分にとって当たり前の家族のことを友人に話すことができない思いがあり、それに向き合わねばならないと取り組んだ、など映画制作にまつわる紆余曲折を語った。森教授は、カメラが介入することで対象の人物が変化する、この映画では被写体を晒すということに加えて身内の障害者を扱うという意味で二重三重の屈折があるが、自分を主語とすることでそれを描けている、とのコメントがあった。会場には、主人公の千鶴と同様に、不登校を経験し父も病死して母と兄の3人家族という自閉症の女性(実はジェンダーセンター長の娘)がおり、学校で困難な状況の時、そのうち誰かが私と母を救ってくれるだろうと思っていたが、変わらないことは変わらないということが分かった、と当事者としての思いを語った。講演の後には会場からの質問や発言も多く、関心の高さがうかがわれた。

【「ちづる」のあらすじ】
千鶴は外見からはどこが障害なのか分からない、むしろ非常に魅力的な若い女性である。映画はアイドルスターからの年賀状を受け取って喜ぶ彼女の姿から始まる。実はこの年賀状は彼女の母が書いて投函したものだが、アイドルが見ず知らずの彼女に年賀状をくれるわけがないとは理解できない。続く20歳の誕生日の場面では、ケーキと花束を贈られて家族に「お誕生日おめでとう」と祝われ、自分自身に対しても「お誕生日おめでとう」という彼女。対話の人称が混同したりするという自閉症特有の受け答えで、家族もそれを分かって対応している。
次いで場面は、好きなものを買いに行きたい彼女が母親のお金を勝手に持ち出し、それに気づいた母が制止するのに対して力づくで抵抗する姿を映す。お金は誰のものか、買いたいものがあれば無制限に買っていいのか、といった「していいこと」と「いけないこと」の区別を理解させることの難しさ、それは「悪意」ではなく「したい」ことを貫こうとする純粋さに由来するのだが、その欲求が通らなければ身体を張って立ち向かう「家庭内暴力」、こうした困難なことのちりばめられた日常を兄はカメラを通して直視する。この母親との喧嘩は、彼女が大事にしている硬貨のコレクションに気を紛らわせたことであっけなく終息する。百円玉を製造年ごとにきれいに箱の中に並べたものだが、ものを潔癖すぎるほどに秩序立てて扱うという自閉症の一面を表している。
こうした家庭内の「わからんちん」である彼女に効果があるかどうか半信半疑で母は子犬を飼うことにする。千鶴は子犬がやってきた当初は戸惑いながらも、やがて「しつけ」ということばを取り入れ、自分で「しつけ」をしようとする姿への変化に母は気づく。
一方、撮影者である兄は大学最終年での進路選択に悩み、妹に直面したことで障害者にかかわる仕事に興味を持ち、試行錯誤しながらも自らの道を見いだしていく。同時に、障害者施設を見たことで千鶴の今後の生活に選択肢があることに気づく兄。このまま千鶴を家庭内に置いたままでいいのか、試みに母は地域のセンターに連れて行ってみるが、そう簡単に千鶴はこちらの思うとおりには動かない。
一家の父親は数年前に自動車事故で他界しており、千鶴を見つめた1年は家族にとってもその後の生活について様々な問い直しをもたらした。故郷の福岡で新生活をはじめようと転居を決めた母、卒業後の進路に踏み出す兄、そして成人した千鶴。

【来場者の感想】
アンケートには、参加者82名のうち55名からと多くの回答が寄せられた。おおむね好意的で、よい映画だった、有意義だった、映画だけでなく監督自身のことばが聞けてよかった、障害だけでなく子育てや多様性という面でも意味がある企画だった、等々の声が多数寄せられた。映画のラストシーンの千鶴の表情から、ことばではとらえきれない感動を受け、じっくり考えていきたい、という声もあった。今回の企画の特徴として、家族や知人に障害者がいる、自分自身が障害を持っている、等の声も多く、具体的な日常を描き出す映画から、身につまされる体験を持つがゆえの共感も多くあった。その意味で、自閉症当事者の発言がよかったという感想もいくつかあった。多様性に対する視野を広げての企画にも支持するという声が多数寄せられた。

赤﨑正和監督

コメントする森達也教授(右側)