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研究プロジェクト 2025年度

2025年度

A「企業のダイバーシティ推進の実態調査」

牛尾奈緒美
 本研究プロジェクト「企業のダイバーシティ推進の実態調査」は、ダイバーシティ・マネジメントに先進的に取り組む企業・組織を対象に、大規模な質問紙調査および経営者・従業員へのインタビュー調査を実施し、当該取り組みがイノベーション創出や組織パフォーマンスにもたらす効果を実証的に明らかにすることを目的としている。分析にあたっては、多変量解析を用い、ダイバーシティ施策の効果を統計的に検証することを計画しており、日本のみならず海外との比較分析も視野に入れている。
 具体的には、従業員個人の働きがい、エンゲージメント、組織コミットメントといった組織的成果に加え、生産性やイノベーション成果など、企業活動における具体的なアウトカムへの影響を検証することを目指している。近年、企業の人的資本経営に対する責任が強く問われるとともに、ガバナンスやコンプライアンスに関する社会的要請も一層高まっている。こうした背景を踏まえ、本研究ではダイバーシティ・マネジメントの推進が、企業の中長期的な価値創造や社会的価値の向上にいかなる影響を及ぼし得るのかを理論的・実証的に検討することを目的としている。
今年度は、上記の研究方針に基づき、人材多様性を積極的に推進し、ダイバーシティを組織成果へと結びつけている組織を「高包摂組織」と概念化し、その形成要因および組織的効果が創出されるメカニズムを分析するための理論的・分析的枠組みの構築に取り組んだ。あわせて、当該フレームワークに基づく大規模質問紙調査の設計を行い、将来的には日本、オーストラリア、マレーシアの三か国比較分析として展開することも視野に入れて準備を進めている。
 また、本年度の具体的研究成果として、特許取得を目指す研究組織を対象に、チームのダイバーシティが特許の質に与える影響について実証分析を行い、その成果を学術論文としてまとめることができた。当該論文では、ジェンダー多様性がタスク型多様性(技術知識や専門性の多様性)を高める一方で、ジェンダー多様性それ自体は直接的に発明の質を高めるわけではない、すなわち両者の間には見せかけの相関が存在する可能性があるという仮説を検証した。分析の結果、パフォーマンスの真の決定要因はデモグラフィ型多様性ではなくタスク型多様性であること、そしてジェンダー多様性がタスク型多様性を媒介して間接的に特許の質向上に寄与するという媒介メカニズムが存在することを明らかにした。
本成果は、企業や研究組織におけるダイバーシティ推進を「数の問題」としてではなく、知識・役割・タスクの多様性と結びつけて設計することの重要性を示唆するものであり、今後のダイバーシティ・マネジメント研究および実務の双方に対して意義ある知見を提供するものと考えられる。

B「スポーツ科学をめぐるジェンダー問題の検討」

竹﨑一真
 本年度、本研究は現代スポーツ科学の発展を社会学的に検討し、とりわけジェンダーと権力の観点からその知の構造を分析することを目的として研究を進めた。近年、スポーツ分野では遺伝子解析、生体データの常時取得、ホルモン測定などの技術が急速に導入され、「科学的根拠」に基づくパフォーマンス最適化が強く志向されている。しかし、こうした科学知は単に客観的事実を明らかにするものではなく、身体の分類や規範化を通じて新たな統治の様式を生み出す可能性を孕んでいる。
 本年度執筆した第一の論文「スポーツ科学の社会学—スポーツゲノム科学をめぐる試論—」では、トップアスリートの遺伝子解析をめぐる国内外の動向を整理し、スポーツゲノム科学がいかなる権力作用を持つのかを理論的に検討した。とりわけ、遺伝子情報が「才能」や「適性」を予測する知として用いられるとき、そこには能力の個人化やリスクの自己責任化を促す統治的ロジックが作動していることを明らかにした。また、STS(科学技術社会論)やゲノム権力論を参照し、スポーツ科学を批判的に捉える理論的枠組みを提示した。
 第二の論文「女子スポーツにおける新たな身体政治としての月経周期トラッキング:「周期的自己」の視点から」では、女子アスリートにおける月経周期トラッキングの導入を事例として、運動生理学領域における性差データの生成とその社会的意味を質的に分析した。インタビュー調査の結果、月経データの可視化は傷害予防やケアの促進といったエンパワメントの契機となる一方で、自己監視や規律化を強める側面を併せ持つことが明らかとなった。ここでは、生理学的データが主体形成や指導関係の再編に深く関与していることが確認された。
これら二本の研究を通じて、スポーツ科学における遺伝子・ホルモン・生体データの利用が、単なる技術的進歩ではなく、ジェンダー秩序や身体の規範化と密接に結びついていることを示した。本研究は、スポーツ科学をめぐる知識生産の過程を可視化し、その社会的影響を批判的に検討することで、「フェミニズム・スポーツ科学論」の理論的基盤を深化させる成果を得た。今後は、運動生理学および栄養学における性差研究の制度的展開を精査し、スポーツにおける多様性と公正性の再構築に資する理論的枠組みの構築を目指す。