経営学部

フィールドスタディD(横浜:中澤先生)実施報告

2018年02月28日
明治大学

シルク博物館にて(写真①)シルク博物館にて(写真①)

株式会社セージにて(写真②)株式会社セージにて(写真②)

株式会社セージにて(写真③)株式会社セージにて(写真③)

横浜工業技術支援センターにて(写真④)横浜工業技術支援センターにて(写真④)

「横浜」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?中華街,みなとみらい地区,元町,山手の洋館,横浜ベイスターズ,はたまた崎陽軒のシウマイと人それぞれだろう.しかし,横浜がスカーフの一大産地であることを知る人は少ない.後背地に養蚕地帯を抱える横浜は,開港以来日本一の生糸の輸出港であり,多大な外貨を日本にもたらした.それに付加価値を付けようと,絹の白生地に型染め(捺染)をしてハンカチとして売り出したのが,横浜の捺染業の始まりである.昭和初期頃には,ハンカチを大きくしたスカーフが登場し,捺染の方法もスクリーン捺染に変わり,よりシャープな表現が可能となった.

捺染した後の生地は,余計な染料などを洗い流す水洗という工程がある.1950年代までは,市内を流れる大岡川と帷子川の水で水洗を行っており,川の色が赤や青に変わるほどだったという.このように,横浜スカーフは,養蚕地帯,輸出港,都市河川といった「地理」と密接に結びついた地場産業として発展してきたのである.

 横浜スカーフは1970年代に最盛期を迎えたが,欧米ブランドのハンカチのライセンス生産によって,捺染業は1980年代も好調を維持する.しかし,バブルの崩壊を経てライセンス契約が次々に打ち切りになると,横浜の捺染業は衰退へと向かうことになる.

 厳しい市場環境の中で,横浜に立地する捺染関連の事業所は激減したが,現存している事業所は,いずれも横浜スカーフの伝統を生かした独自の経営戦略を確立している.フィールドスタディの参加学生は,事前学習によって横浜スカーフの過去を学んだ上で,フィールドワークを通じて横浜スカーフの現在を感じ取り,横浜スカーフの未来を照射するような熱のこもったレポートを書いてくれた.


日程
2月1日:全員で行動
lシルク博物館にて,シルク博物館坂本館長より絹に関するレクチャー(写真①)

捺染業の川上に位置する蚕糸業について,展示を詳しく解説していただきました.
 

l  株式会社セージにて,生産工程の見学と質疑(写真②,③)

捺染から仕上げまでの工程のすべてをご案内いただきました.捺染台で作業している人は若い人がほとんどでびっくり.蒸しや水洗の工程はいかにも工場といったダイナミックな印象.

l  横浜工業技術支援センターにて,横浜スカーフのデータベースとコレクションの実物を閲覧(写真④)
コレクションは昭和30年代の物が中心だったが,かえって斬新なデザインが多くて見飽きなかった.スカーフに限らず,中小企業のデザイン全般の支援を支援している.

※今回は,ミナト横浜らしさを追求して,船員の福利厚生施設「ナビオス横浜」に宿泊し,中華街の某店で名物の焼きそばなどを食べました.

 

22日 2人組に分かれて午前中1件,午後1件のインタビュー(「」内は学生のレポートから抜粋した感想)

A班:株式会社ケイス,協同組合ギルダ横浜

「違いを理解していない消費者が安いものを手に取るのは必然である.しかし,それでも付加価値を生み出すことは可能である・・・ケイスの手ぬぐいは,普通の手ぬぐいから,額に入れて保管するインテリア,挨拶代わりのプチギフトとして捉えられるようになったという.つまり,消費者によってモノから一種のコミュニケーションツールへと,用途が転換されているというのである.」

「大都市近郊ということで大都市圏の創作を希望する人が直接訪れることも可能であるという立地も活かしつつ,自産業の特色をより強調することでこれ以上の衰退の阻止,さらには拡大も考えられる産業ではないかと感じた.」

B班:株式会社丸加,有限会社前田製版

「今回の聞き取り調査を通して感じられたことは,なんとかこの伝統ある横浜のスカーフ産業をこれからも維持していきたいという思い,若い世代にも繋げたい,知ってほしいという考えや活動であった.」

「この10年と少しの間に起きた変化は暗いことばかりではない.横浜スカーフの高い技術は不変なものであり,企業は若い層の取り込みで組織の基盤を強化し,スカーフが注目されるきっかけを作る策を業界で考えていくことが必要とされてくるのではないか.」

C班:三興繊維株式会社,横濱工房

「『一眼レフカメラでとった写真のように、手作業には手作業にしか出せない味があるから、手捺染というやり方は今後も廃れることは無いだろう』という言葉が一番印象的で心に残る言葉であった.

「受身にならざるを得ない業界である為に,自らの力で状況を打破することは困難であるかもしれないが,高い技術があることは間違いないので,そのブランド力を高める方法を検討していく必要があると考えた.また,聞き取り調査で話を伺った際には,スカーフに関わる人のスカーフに対する誇りのようなものを強く感じた.」

 

ご協力下さいました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます

中澤 高志 専任教授