経営学部

フィールドスタディC(京都府京都市:佐々木先生)実施報告

2023年07月21日
明治大学 経営学部事務室

川島織物セルコン川島織物セルコン

オムロン京都太陽株式会社オムロン京都太陽株式会社

島津製作所本社島津製作所本社

島津製作所創業記念館島津製作所創業記念館

実習先:京都府京都市
実習期間:2023年7月5日(水)~7月7日(金)
テーマ:京都企業の歴史と現在

目的(実習のねらい):
 この実習では、京都の伝統産業に関わる企業や社歴の長い機器製造企業および障害者雇用に取り組む製造企業を見学し、どのように製造の現場や経営が展開されてきて今日に至ったかを学ぶとともに、その延長線上にある近未来のそれら企業の経営のあり方を展望する能力を身に付けることがねらいである。
実習報告:
 以下では、見学した学生諸君の所感や注目した諸点および学んだことを中心に報告することにしたい。
(1)1日目(川島織物セルコン)
 まず、初日の7月5日に株式会社川島織物セルコンを訪問した。川島織物セルコンは1843年創業の老舗ファブリックメーカーであり呉服・美術工芸織物やインテリア・室内装飾織物の分野で事業展開している企業である。明治大学の駿河台キャンパスのアカデミーコモンにある緞帳も、川島織物セルコンが製作したものである。今回の見学では緞帳やカーテンなどの製作過程や日本最古の企業博物館である川島織物文化館を見学した。
 工場では職人が一つ一つ丁寧に作業を行なっているところを間近で見学した。実際に、織っている方を見てみると、足まで器用に使っており、技術面と集中力どちらも持ち合わせていなければできないと感じた。また1日で数cmや数mmほどしか進まないものや2人がかりで4年もかかるものがあると聞いて想像していた以上の年月がかかっていることに驚いた。
 製作過程の特徴として全工程を社内で一貫して行われていることが挙げられる。社内で一括管理して継承していくことで高い品質を保っている。継承されていることがらで「断機の訓え」というものがある。1921年、宮内省へ収める予定で作られていた織物に製作途中で退色の兆しが発見された。あくまで兆しであり退色はなく製作継続が大半の社員の意見であった。しかし当時の社主は品質が保証できないものを世の中に出してしまうとご愛顧くださった方々に申し訳ないと織物にはさみを入れ製作を中止した。このような訓えが今日まで継承されて、納得のいく製品を常に追い求める姿勢が継続されているのである。今回、実際にはさみの入れられた実物を見ることができた。見たことが無い社員の方もいるということで、非常に貴重な機会になった。
 また川島織物セルコンは環境に対する責任を重視しており、持続可能な経営を目指している企業でもある。エコフレンドリーな製品の開発やリサイクルに取り組むだけでなく、省エネルギーや廃棄物削減にも力を入れている。見学の際には染色に使った水を下水に流す時は京都の基準を大きく上回る値で処理しており、環境に配慮することを重視していると教えていただいた。このような環境への配慮が企業の価値観となっており、社会的責任を果たす取り組みを積極的に行っていることがわかった。

(2)2日目(オムロン京都太陽・島津製作所本社および三条工場)
①オムロン京都太陽
 2日目午前のオムロン京都太陽の企業訪問では、社長や工場の案内を通してオムロン京都太陽の概要や身体障害、知的障害、精神障害のある方々がどのように働いているのかを知ることができた。
 ふだん障害を持っている方々と接する機会が少ないため、障害を持つ人たちのことを考える機会に触れる経験が乏しかった。しかしこの見学で、健常者にとっての当たり前は障害のある方にとっては当たり前ではないことや、健常者にとっての単純作業も障害のある方々にとっては、とても困難な作業であるという事実を肌で感じた。
 見学の前までは、障害がある方が働けるような作業を探すのが従来の障害者就労支援という認識でいた。しかしオムロン京都太陽では、さまざまな障害がある方たちにどのようなアシストをすることで健常者と同じように働けるかを考え、それを実現できるような仕組みや機械を作り、取り入れていた。この考え方と姿勢は「働く人を主体として環境や条件を整える」という施設の方針からきているそうだ。
 訪問の際に、これまでの人生で社会保障や周りの方々に助けられる人生であり、これからは自分も社会の一員となり日本経済に貢献しているという、いわば帰属意識が障害者の方々のやりがいであり、モチベーションであるという言葉をうかがった。
 近年はAI化やDX化が進む中で人間の働く必要性や意味について頻繁に議論されているが、この訪問を通して、働くことを通じて、よりよく充実した人生を送るヒントをもらうことができたと思う。
②島津製作所
 2日目午後の島津製作所の本社・三条工場の見学では、島津製作所の主な事業である分析計測機器、医用画像診断機器、産業機械、航空機器のなかでも、分析計測機器、医用画像診断機器を実際に見ることができた。人々のニーズにあった医療機器を製造していくことで、社会的役割を果たしている企業の姿勢に感銘を受けた。
 また、実際に医療機器を使用することを想定して、医療機器の移動や操作においてたくさんの工夫が施されていることを実感した。具体的には、回診業務を効率的に行えるように狭い場所でも楽に医療従事者が移動させることができる機器を設計し開発していた。施設内には多数の製品が展示されており、実際に医療関係者などが、今回見学させていただいた本社のサイエンスプラザ、メディカルセンターなどを訪れるとのことである。その製品の仕組み、性能に関しては高度に専門的な内容であった。製品の価格に関しては、1000万円から1億円を超えるものまであり、島津製作所の技術力の高さを感じた。また、それらの機器を実際に触ることのできる機会もいただいた。
 海外事業に関しては、世界の他地域に事業部を備えており、新しい需要をグローバルな視点からいち早く読み取ることが可能な態勢となっている。今後はシェアの低い北米製薬市場への進出を視野に入れているという。分析機器などにおいては研究開発力を駆使し、幅広い用途での製品を提供しており、また多品種少量生産でもあり、さまざまな需要に対して柔軟に製品開発をすることが可能となっている。
 「科学技術で社会に貢献する」という社是を社員の方がしっかりと理解しており、心掛けながら日々の業務に取り組んでいるという。そういう姿勢が、多くの挑戦につながっているのではないかと考えることができた。

(3)3日目(島津製作所創業記念館)
 最終日に訪れた島津製作所創業記念館では、島津製作所創設者である初代島津源蔵と2代目源蔵の創業期の考えと試みの歴史を学んだ。島津源蔵は、京都の中でも高瀬舟の終着地点として栄えていた木屋町に本店を置き、これが島津製作所創業の地であり、現在の創業記念資料館の位置する場所である。
 当時その地域は先端技術の集積地であった。というのも、学校が多くあり、学生達の若い力の恩恵を受けられるためである。先端技術といっても、その頃は海外技術の 模倣品ばかりで、徐々に技術開発を進めていき売上や業績も逓増していった。
 事業分野は次第に拡がりをみせ、医療分野での取り組みのなかで人体構造の把握が進んでいたため、 有数のマネキンメーカーとしても展開した。一貫して「科学技術で社会に貢献する」という理念のもとに、いくつもの有用な医療機器の発明に成功した。
 以前使用されていた医療機器も見ることができて、現在の医療機器が目覚ましい発展を遂げていることを感じた。その結果として、実際の医療現場において、医療従事者が役に立つ・使いやすい機器が導入されて社会の医療水準が向上しているのだと思った。事前の学習では、研究面における他社との違いを認識することができなかったが、施設見学を通して創業者の考えが現在まで変わることなく引き継がれているということに強みがあると感じた。
 さまざまな研究作品が残されていたが、多くが学校や国に提供していたものであった。幅広い領域からの依頼を断ることなく受け、社会の発展に貢献するという想いを持っていたからこそ現在の高い技術力につながっているのではないかと思った。また、今までの研究を目に見えるかたちで展示することで、創業当初の意思を忘れずに事業に取り組めることから、記念館の役割の大きさを感じることもできた。

佐々木 聡 専任教授