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ジェンダーセンター

『帝国を生き抜く——あるブリヤート人女性の人生にみるジェンダー、生存、そして植民地的近代』 開催報告

2026年08月24日
明治大学 情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター

2026年7月10日(金)
特別講演会『帝国を生き抜く——あるブリヤート人女性の人生にみるジェンダー、生存、そして植民地的近代』

【登壇者】
タチアナ・リンホエワ氏(ニューヨーク大学准教授)
ニューヨーク大学歴史学部日本史准教授。専門は近代日本の政治史・思想史、日本帝国史、ユーラシアにおける地政学的・国家形成の諸過程。
2014年にカリフォルニア大学バークレー校で博士号(PhD)を取得、日本国際交流基金(Japan Foundation)、ドイツ科学・人文評議会(German Council of Science and Humanities)、フーヴァー研究所戦争・革命・平和研究部門(Hoover Institution on War, Revolution, and Peace)、米国全米人文科学基金(National Endowment for the Humanities)からフェローシップの支援を受ける。
著作に『Revolution Goes East: Imperial Japan and Soviet Communism』(東進する革命:帝国日本とソビエトの共産主義、コーネル大学出版局、2020年)。最新の論文「Samurai and Mongols: How a Medieval Samurai Became Chinggis Khan(サムライとモンゴル人—いかにして中世のサムライはチンギス・ハンとなったのか)」は、Journal of World History, 2023年9月号に掲載。
現在は、20世紀前半の東部ユーラシアを対象とした、複数の帝国を横断的に捉える歴史研究『Frontiers of Power: Imperial Japan, the Soviet Union, and the Mongols(権力の辺境—日本帝国・ソ連・モンゴル)』の執筆に取り組む。

【主催】明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター
【日時】2026年7月10日(金)18:30〜20:00(18:00開場)
【会場】明治大学駿河台キャンパス リバティタワー9階 1096教室
【使用言語】英語・日本語
【コメンテーター】久保茉莉子氏(埼玉大学准教授)
【コーディネーター、日本語訳】内藤まりこ氏(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
【来場者数】37名

【報告】内藤まりこ
 本講演会では、ニューヨーク大学准教授のタチアナ・リンホエワ氏を講師に迎え、日本帝国下の満洲国を生きたブリヤート人女性ツェベグマ・バツィンゲールの人生を通して、ジェンダー、植民地主義、近代化、生存戦略について考察した。講演は、従来の帝国史研究が国家や支配者の視点に偏りがちであったことを踏まえ、帝国の周縁に置かれた少数民族女性の経験に焦点を当てるものであった。
 講演の中心となったのは、ツェベグマの回想録『星の草原に帰らん』(1999年)である。ツェベグマは1924年にソ連領のブリヤート地域で生まれたが、ソ連の宗教弾圧から逃れるため、幼少期に家族とともに中国東北部フルンボイルへ移住した。その後、1932年に同地域が満洲国に組み込まれたことで、彼女は日本帝国の統治下で成長することとなった。
 リンホエワ氏はまず、ブリヤート人がロシア文化とモンゴル文化の双方の影響を受けた境界的な存在であったことを説明した。彼らは難民として不安定な生活を送りながらも、宗教的・民族的ネットワークを活用して生き延びていた。ツェベグマの家族も各地を転々とした後、教育機会を求めて定住し、娘に学校教育を受けさせたという。
 続いてリンホエワ氏は、満洲国における日本のモンゴル政策について論じた。日本はモンゴル人を中国人とは異なる民族として位置づけ、自治制度や伝統文化を一定程度維持しながら統治を進めた。教育、公衆衛生、インフラ整備などを通じて「近代化」を推進したが、その背景には帝国支配を安定化させる意図があった。とりわけ教育は重要な政策手段であり、植民地統治を支える忠実な臣民を育成する役割を担っていた。
 ツェベグマは13歳で日本人女性が運営する女子学校に入学した。そこで日本語、裁縫、衛生、作法などを学び、日本式の生活様式を身につけた。講師は、このような教育を「親密な植民地主義(intimate colonialism)」と表現した。表面的には女子教育や生活改善であったが、その実態は日本的価値観やジェンダー規範を内面化させる過程でもあった。モンゴル人女性たちは「良妻賢母」の理念に基づき、家庭を通じて国家に奉仕する存在として育成されたのである。
 また、公衆衛生政策についても詳細な分析が行われた。ツェベグマは看護学校で学び、卒業後は看護師として各地を巡回し、梅毒をはじめとする感染症対策に従事した。日本の植民地行政は医療制度の整備を進めた一方で、性病の原因をモンゴル社会の「後進性」や女性の道徳性の問題として捉える傾向があった。講師は、こうした医療政策が単なる衛生活動ではなく、女性の身体や生活を管理しようとする植民地権力の一形態であったと指摘した。
 1940年代後半になると戦況は悪化し、食糧不足や軍による家畜徴発が進行した。同時に、教育を受けた若いモンゴル人の間では民族意識が高まり、独立を志向する動きも現れた。ツェベグマ自身も将来への不安を抱くようになったが、日本の敗戦は突然訪れた。彼女は日本人教師や知人を身近な存在として認識していたため、敗戦の知らせに大きな衝撃を受けたという。
 講演の結論として、リンホエワ氏はツェベグマの経験が「被害者」「協力者」といった単純な枠組みでは理解できないことを強調した。ツェベグマはロシア、日本、中国という三つの国家権力の下で生き、そのすべてから影響と苦痛を受けた。一方で、日本統治下で教育や専門職の機会を獲得したことも事実であり、彼女の経験には支配と恩恵、生存と適応が複雑に交錯している。こうした視点は、帝国を一枚岩の支配構造として捉えるのではなく、そこに生きた個人の多様な経験から再検討する重要性を示している。
 講演後のコメントでは、久保茉莉子氏(埼玉大学准教授)が、満洲国統治とモンゴル人社会との関係を歴史的観点から補足した。また、ツェベグマの経験を台湾や朝鮮など他の日本植民地における女性たちの経験と比較する可能性や、モンゴル人女性が中華民国政府をどのように認識していたのかという今後の研究課題が提示された。
 質疑応答では、参加者による積極的な質問が寄せられ、リンホエワ氏が真摯に答える時間となった。仏教がブリャート人共同体にいかなる影響力を与えたのかや、自伝を歴史資料として読む際の問題として、ツェベグマが自伝の中でどのような自己像を構築しているのか、さらに司馬遼太郎が『草原の記』で描いたツェベグマ像との間にどのような差異が存在するのかなど講演の内容を深める議論が行われた。
 本講演は、一人のブリヤート人女性の人生を通じて、帝国・植民地・ジェンダー・民族という複数の視点を交差させながら歴史を再考する貴重な機会となった。国家や民族の大きな物語だけでは見えない個人の経験に光を当てることで、近代東アジア史をより多面的に理解する重要性を改めて認識させる内容であった。

講義をするリンホエワ氏講義をするリンホエワ氏

コメントする久保氏コメントする久保氏

質問に答えるリンホエワ氏質問に答えるリンホエワ氏

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