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第二校舎2号館の記憶:明治大学と共に歩んだ建築の軌跡

第二校舎2号館の記憶:明治大学と共に歩んだ建築の軌跡

明治大学生田キャンパス第二校舎2号館は2024年度をもって解体されることになりました。
解体にあたり、これまでの歴史と貢献を振り返ります。

1.第二校舎2号館の建設の経緯

明治大学生田キャンパスに建つ「第二校舎2号館」は、1965年に竣工し、以後60年余りにわたって学生たちの学びの場として親しまれてきた建物です。この建物を設計したのは、日本建築界の巨匠であり、明治大学工学部長を務めた堀口捨己(ほりぐち・すてみ)先生です。

堀口先生は理工学部建築学科の創設者でもあり、同学科が目指す「自然環境と調和し、安全、安心で快適な建築及び諸環境を創造し、優れた知識やデザイン能力を有する専門職業人を育成する建築教育」の理念を、実際の建築に体現した人物です。第二校舎2号館の建設は、当時拡大を続けていた工学部の教育環境を整備する一環として計画されました。特に工学部の拠点として、学生たちが授業等に取り組むための空間が求められていた時代背景があります。

この建物は、単なる「校舎」ではなく、建築教育のシンボルでもありました。堀口先生にとっては、自らが育ててきた学部と大学への贈り物のような存在だったのかもしれません。

 

2.第二校舎2号館の建物の特徴



第二校舎2号館は、機能性と造形美を見事に融合させたモダニズム建築の傑作です。外観は端正で落ち着いた佇まいを見せつつも、細部には堀口建築ならではの美意識が息づいています。特に、窓の配置や庇のデザインにおいては、採光と通風を意識した工夫が凝らされています。

内部空間は、学びの場としての実用性を第一に考えつつ、学生たちの創造性を刺激するような開放感と柔らかさを持っています。大きな講義室は、天井が高く、自然光がたっぷりと差し込む設計が特徴です。堀口先生の思想である「建築は人の精神を育む器である」という信念が、この建物の至るところに反映されています。

また、鉄筋コンクリート構造でありながら、冷たさを感じさせないマテリアルの選定も印象的です。手摺や階段、扉の取手といった細部にまで意匠が施されており、建築教育を受ける学生たちにとって「学びの教材」としての側面も持ち合わせていました。

 

3.第二校舎2号館の歴史

1965年第二校舎2号館竣工当時の生田キャンパス上空写真 1965年第二校舎2号館竣工当時の生田キャンパス上空写真

第二校舎2号館は、長年にわたって理工学部講義科目の中心的な施設として利用されてきました。ここで学んだ数多くの学生たちは、現在、建築家やエンジニア、研究者等として国内外で活躍しています。まさに、未来の建築を担う人材を育んだ「ゆりかご」と言えるでしょう。

大人数の学生が授業を受ける姿が日常の風景であり、多くの思い出がこの空間に刻まれています。 また、建物そのものが「建築とは何か」を無言で語りかけるような、静かな教師のような存在でした。

一方で、年月とともに老朽化も進行し、近年は耐震性やバリアフリー対応といった課題が顕在化していました。これにより、2024年度をもって第二校舎2号館はその役目を終え、解体されることが決定されました。


4.第二校舎2号館から次の世代へ受け継がれる「バトン」



第二校舎2号館は、単なる「校舎」ではなく、多くの人の記憶と感情が詰まった建物です。理工学部の学生にとっては、誰しもが行ったことがある場所であり、仲間と語り合った思い出が残っています。

この建物を通じて学んだことは、空間をどう捉え、人と建築の関係をどう考えるか。どんなに小さな部材にも意義があり、設計とは社会への責任であること。そうした「建築の心」を、無言で私たちに伝え続けてくれました。

解体されることが決まりましたが、これは終わりではなく、次の世代への「バトン」として、新たな学び舎が生まれる契機でもあります。第二校舎2号館の姿と精神を、記憶と記録の中にしっかりと残し、未来に引き継いでいく責務があります。

堀口捨己先生の設計思想、そしてそこに込められた教育への情熱は、建物が姿を消した後も、明治大学の中で脈々と生き続けることでしょう。なお、2号館とともに斜路も解体されることとなっています。
理工学部